中日刀文化的对比——以中国唐刀和日本武士刀为中心毕业论文

 2021-04-03 11:04

摘 要

中文摘要

日本的武士刀(平面碎锻复体花纹刃)的起源一直以来诸说纷纭。长久以来一直有人将武士刀和唐刀进行对比,认为其是由唐刀发展而来的。但是近年来, 不断有学者和刀文化爱好者指出,日本在“古坟时代”以前就开始生产铁制刀剑了。且有大量的证据表明,自中国的汉朝开始一直到唐朝,武士刀的锻造手法一直受到中国刀的影响。武士刀按照尺寸可以分为刀(太刀,打刀)、肋差(肋指)、短刀。广义上包括长刀、薙刀、剑、枪等。

唐刀是中国隋唐时期四种军刀制式(横刀、障刀、陌刀、仪刀)的总称,一般来说是指横刀。在当时的世界上,唐刀是与大马士革刀著称于世的两种名刀, 无论是技术上还是在艺术上均达到了极高的成就,可以说是我国刀剑史上的巅峰。

本文以武士刀中的打刀和唐刀中的横刀为中心,首先分别介绍这两种刀,然后进行各方面的对比,最后探明武士刀和唐刀的异同点。

关键词:武士刀;唐刀;锻造技术;异同点

目 次

はじめに 1

  1. 日本の武士刀について 2
    1. 武士刀の起源 2
    2. 武士刀の製造 3
    3. 武士刀の特徴 6
    4. 武士刀の発展史 9
    5. 武士刀の精神象徴 12
  2. 中国の唐刀について 13
    1. 唐刀の起源 13
    2. 唐刀の製造 14
    3. 唐刀の特徴 15
    4. 唐刀の発展史 16
    5. 唐刀の精神象徴 16
  3. 武士刀と唐刀の相違点 17
    1. 武士刀の長所 17
    2. 武士刀の短所 17
    3. 唐刀の長所 17
    4. 唐刀の短所 17
    5. 共通点 17
    6. 違う点 18

おわりに 19

参考文献 20

謝辞 21

はじめに

古代の戦場で最も広く使用されている武器として、刀は戦争の結果にも影響を与える要因の一つだった。刀の制作水準はこの国家の軍事力、繁栄程度などいろいろなことを反映できる。今では、刀は歴史の舞台を引退したが、歴史の現証人として、一部分が芸術的な価値を持っていることを加えて、収蔵品の一つになっていて、とうとう刀文化を形成した。

本文は日本の武士刀と中国の唐刀の製成方法から各自の発展史までいくつかの面を対照して、暴力の美学の代表的な兵器である武士刀と、中国の唐の大統合、そして政権をかためる偉大な冷兵器――唐刀を多くの人々が知らせる。両者の背景と発展の歴史の違う点を認識し、中日両国の刀文化の差を正しく見るこそ、中日刀文化の交流を推進する可能性がある。

1 日本の武士刀について

武士刀の起源

日本では独自に青銅製の刀剣類が生産されていたが、「古墳時代1」以前にはすでに鉄製の刀剣類の生産が始まっていた。例えば、古事記に登場した神武天皇の三種の神器とされ、そのなかの一つ天叢雲の剣がそれである。埼玉県の稲荷山古墳や、島根県安来市の造山古墳からは鉄剣、大刀が出土している。稲荷山古墳から出土した「金錯2銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」にはワカタケル

(雄略天皇)に仕えた功績を記念して 471 年に作ったとの由来が 115 文字の漢字で刻まれている。この時代の刀剣の多くは朽損しているが、島根県安来市のかわらけ谷出土の「金銅装環頭大刀(きんどうそうかんとうからたち」は、奇跡的に優れた保存状態にあり、黄金色の柄をもち刀身さえも古代の輝きを今に伝える稀有な例として有名である。

7 ~8 世纪以降の刀剣には原形を良く留めているものが多く、四天王寺の「丙子椒林剣(へいししょうりんけん)」や「七星剣(しちせいけん)」や正仓院の「金银钿荘唐大刀3(きんぎんでんそうのからたち)」などが知られている。推古天皇が「马ならば日向の驹、太刀ならば呉4のまさび」と咏んでいるように、この时代、呉の刀が最良とされていた。正仓院では唐太刀と呼ばれる海外からの渡来品と共に、唐様太刀と呼ばれる国产の直刀も保管されている。この時期、日本の锻冶职人の水准も上升してきた。また、平造り・切刃造りの直刀、蕨手刀(わらびてのかたな)といった国产の剣も现存している。

1 また大河時代と言われる。西暦紀元 250 年から 593 年まで。

2 「金錯」は「金象嵌(きんぞうがん)」の意味である。

3 湾刀完成できるまえの直刀には「太刀」ではなく「大刀」の字をあてる。

4 中国南东部の総称である。

図1 蕨手刀

武士刀の製造

「折れず、曲がらず、良く斬れる」の 3 要素を非常に高い次元で同時に実現させるため、武士刀の原材料となる鋼の製法、選定、刀剣の鍛錬には、古来より多くの刀工が工夫している。今日においては、古くから伝わる卸鉄(おろしがね)5や自家製鉄した鋼を用いる刀工もおり、日本固有の伝統技術として継承されている。

なお、中世以前の武士刀の製作方法や使用原料については史料がなく不明であり、現在の伝統的な武士刀の製作方法は江戸時代以降の記録に基づくものである。人間国宝6の刀工であり、長年自家製鉄に取り組んでいた天田昭次は、古刀と新刀の地鉄には決定的な違いがあると言い、古刀期の作刀の原料や鍛法は

5 鉄材を再還元して刀剣用に供する鋼を造ること。

6 重要無形文化財保持者である。

判然としないとする。鎌倉時代の名刀の材料や製作法については、いまだ研究途上にある。江戸時代末期以来、刀工やさまざまな分野の専門家が研究を続けているが、古刀の実物から試料を取って分析することが不可能なこともあり、鎌倉期の名刀を再現するまでには至っていないといわれていた。しかし 2014 年に河内國平が、日本美術刀剣保存協会主催の「新作名刀展」に出展した「國平河内守國助(くにひらかわちのかみくにすけ)」で、現在の原料では不可能といわれていた古刀の特徴である地紋の「乱れ映り」の再現に完全に成功し、刀剣界の最高賞と言われる「正宗賞」(太刀・刀の部門)を受賞した。太刀・刀の部門は長らく「該当なし」であり、18 年ぶりの受賞であった。これにより乱れ映りのメカニズムが解明されほぼ 100再現できるようになった。河内によると、受賞刀は一般的な作刀法で作られた刀と比べて地鉄が柔らかく、刃紋を美しく見せる芸術品ではなく武器としての強靭さを重視して焼入れの仕方を変えたことが成功に繋がったという。

古刀期以降の刀工が主たる原材料としてきたものは、砂鉄を原料としたたたら吹きによって製造される「玉鋼」と呼ばれる鋼である。玉鋼の名称は古来のものではなく、明治時代半ば以降に命名されたもので、もとは島根県の安来製鋼所で製造し、陸軍、海軍に坩堝の材料として納入していた鋼の商品名であった。分析から、鋼の質については鎌倉時代を頂点にそれ以降低下し始めるという現象が起こっており、一因としてどこかで鋼を作る製法に変化があった可能性について述べられることもある。上古刀に関しては、鉱石系箱形炉という鉄鉱石を原材料にした小型の炉が用いられていたことが判明している。以下の説明は、現代刀工によって行われている一般的な製作方法である。

武士刀の材料となる鋼を和鋼もしくは玉鋼と呼ばれる。玉鋼は日本独自の製鋼法である「たたら吹き」で造られる。諸外国の鉄鉱石を原料とする製鋼法とは異なり、原料に砂鉄を用いることで低温で高速還元を実現し、さらには近代的な製鋼法に比べて不純物の少ない砂鉄を原料として使うため、良質の鋼を得ることができる。玉鋼、銑鉄、包丁鉄の 3 種類の下鍛えが済めば再び小槌で叩いて鉄片にし、それぞれの鋼の配合が適切になるように選んで、1 回目の積沸かしと同じく積み上げて溶かし固める。この段階で含有炭素量が異なる心金、棟金、刃金、側金の 4 種類の鋼に作り分けられる。

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