接続詞「では」から見られる日本語の曖昧性(从接续词“では”看日语表达的暧昧性)毕业论文

 2021-04-02 12:04

摘 要

日语中的暧昧表达有着其独特之处,对于中国学习者来说,只有很好的了解

这些特征才能有效的掌握日语中的省略句。因此,本文在继承先行研究成果的基

础上,从中国人学习者的视点出发,通过大量的实例分析,对日常会话中经常出

现的暧昧表达现象进行了研究。

通过对实例进行分析,结果得出:日语的暧昧表达与日本的文化特质息息相关,它是日本人语言生活中顺利完成交际的一种有效手段。

关键词:暧昧表达 会话 省略表达 语用功能

目 次

1.0 はじめに………………………………………………………………

  

  1.1 問題提起………………………………………………………………

  1.2 研究目的…………………………………………………………

  1.3 研究手順………………………………………………………………

2.0「曖昧表現」に関する先行研究…………………………………………

2.1「曖昧表現」の定義………………………………………

2.2「曖昧表現」の形式………………………………………………

3.0接続詞「では」の語用機能……………………………………

3.1話題開始機能…………………………………………

3.2話題終了機能……………………………………………

4.0「曖昧表現」における文化要因…………………………………

5.0終わりに………………………………………………………………

謝辞

参考文献

1.0はじめに

1.1 問題提起

 「曖昧表現」は日本語の話し言葉の重要な特徴の一つと考えられている。

それに関する研究が数多くあるものの、日本語学習者が使用する教科書には「曖昧表現」がほとんど扱われていない。「曖昧表現」について、話し言葉には曖昧的に表現することができると思われている外国人学習者は少なくないのであろう。実は、「曖昧表現」はそれなりの条件と機能がある。したがって、日本語学習者にとって、正確に「曖昧表現」を使用することは重要であると言える。

 ところで、いったい日本人とはどんな民族であろうか、私はこの問題に自信をもって答えることができるわけではない。ただ、日本人の先生や留学生との付き合いから、自分なりの感想があって、それを討論してみたいと思う。

1.2 研究目的 

「曖昧表現」に関する基本的な用法を勉強しておいた。「曖昧表現」は会話中に何か語用的な機能があるはずであろう。また、会話の推進のために何か役割を備えているのだろうかと思う。

今回の比較研究は外国語を勉強する学生に一つの基礎知識となる。また中・日両国の異文化理解とコミュニケーションにも意義があると思われる。

 日本語の学習者は「曖昧表現」の用法を誰でも知っているはずである。語用学上の機能というと、知っている人は少ないようではないかと思う。本研究を通じて「曖昧表現」の語用的な機能を明らかにして、コミュニケーションをよく進めることに一助をしたいと考える。

1.3研究手順

 本研究を始める前に、まず多くの資料を調べて読んでおく。学校の図書館で「曖昧表現」に関係する資料を調べて、「曖昧表現」に関する重要な雑誌を参考し、中日の各学者の観点と見地を分析し、そして、先生の意見を聞いて、その全部をまとめてから、自分の文章となっている。

2.0「曖昧表現」に関する先行研究

2.1「曖昧表現」の定義

日本語は曖昧なことはある。英語などに比べるとむしろ意味を厳格に伝えている。結論的には厳格さということは語彙が多いということになり、状況によって日本語はいろいろな言葉を遣うことになるが、そこで、「日本人は言葉をいろいろ選んでごまかしている、あいまいだ」となる。

例えば、友人同士で「雨だ」と言う、同じ人物が自分の教師に同じ内容を言うとして「雨です」と言うことであろう。ただし、アメリカ、イギリスなら、呼びかける相手が誰でも「RAIN」である。どちらが曖昧だろうか。「相手によって言葉を変える」という状況が「ごまかし」になる。言いがかりであるし、誤解である。欧米では、逆に同じ言葉でも状況で言葉の意味が違うことである。言葉としては、曖昧なのは英語のほうだろう。端的には「SORRY」という日本人好みの言葉がある。日本語では「すみません」あるいは「ごめんなさい」という意味にされるが、英米のドラマの中では、ちょっとした謝罪の他に、「お気の毒」かとの意味がある。その場合で意味が違う。ドラマの中で、せりふは同じなのに、日本語の字幕がいちいち違うことになる。日本語のほうは意味の範囲が狭い。「SORRY」は、込み合った場所を歩くときは「ごめんなさい」であるものの、話し手の親族が死んだという話を聞いたときも「SORRY」で、これは当然「お気の毒」ということである。自分が責任を持たない出来事でも「SORRY」となる。だが、人の足をふんずけて日本語では「お気の毒」と言えば喧嘩になるはずであろう。一方、英語ではそれでいい。 

もうひとつの例を見よう。朝、勤務先について同僚への挨拶は相手の名を呼び合うことである。相手の名を呼んだからと言って用事を言いつけるわけではない。お互い名を呼び合うのが挨拶なのだ。日本でも、そのようなことがないとは言わないが、「この場合は挨拶だ」という解釈があるわけである。英語は日本語に比べて「世界語」といえる。それは簡単であり語彙が少ないからだ。なぜ語彙が少ないかと言うと、同じ言葉を場合によって意味を違えているからである。少ない言葉を「あいまいに」使って状況で意味を変えているのである。日本語は複雑で日本人にも難しい言語と認められる、それは使われる場所や相手によって厳密に微妙に語彙や使用法を選ばなければならないわけである。相手が誰であってもどんな場合でも「SORRY」一本やりというわけにはいかない。

2.2「曖昧表現」の形式

日本人の表現には「曖昧」なものがたくさんある。イエスかノーかをはっきり言わず、「お互いに察し合う」という文化に、中国人留学生は対応できない。例えば、「今度遊びに行こう」という日本人の言葉は、「単なる挨拶」あるいは「友達同士であることの確認」くらいの意味で、実際には誰も誘わない。しかし、こう言われた中国人留学生は、本当に誘いを待ってしまう。

このような小さな誤解が徐々に不信感へとつながっていくことになる。日本人の表現は「曖昧」だとか「分かりにくい」とよく言われる。「以心伝心」などという言葉もあるし、「相手の気持ちを考えて行動しなさい」「他人の迷惑になってはいけない」という学校や家庭での教育の結果でもある。こういった教育のおかげで「日本人は礼儀正しく素養が高い」と、国際社会から大きな評価を得る反面、「常に相手の顔色を見ている」「人からの評価を気にする」といったマイナスの側面も併せ持つ。そのため、日本人は非常に複雑で分かりにくいコミュニケーションを自然と身につけていく。日本人は相手の気持ちを優先するあまり、率直に物事を言わない。しかし、相手が中国人の場合には、日本人のような「相手の気持ちを察する」といった複雑なコミュニケーションは無理である。「相手のことを考えるより、まず自分の気持ちを表現してみる」「誘いや依頼を断られても、いちいち傷つかない」「迷惑かどうかは聞いてみなければ分からない」という価値観をもつことが、国際化社会を生きるためには有効だ。日本人は少し図々しくなってちょうどよい。中国人と会話するときは、言葉をオブラートに包まず、もっと明瞭に、ストレートに表現すべきである。相手を思いやるため、言葉を選び、曖昧な表現をすることによって、逆に誤解を招いたり、場合によっては相手を傷つけたりすることにもなりかねない。

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