摘 要
省略表达就是为了简单而省略某些部分,这是日语的一大特征。根据分类的不同有很多种类型。主语的省略,助词的省略,对象语的省略就是其中的三种。同时,产生这种表现的原因有很多种。日本的传统文化自不必说,日本的地理环境也是原因之一。因为省略现象的存在,给日本国内和国外也带来很大的影响。本文主要是针对日语省略表达的种类、原因及其影响进行分析。
关键词:省略表达 种类 原因 影响
目次
はじめに……………………………………………………………………1
第一章 省略表現の分類………………………………………………………1
第一節 主語の省略………………………………………………………2
第二節 助詞の省略………………………………………………………3
第三節 述語の省略………………………………………………………4
第二章 省略表現の原因………………………………………………………4
第一節 語らぬ文化…………………………………………………………4
第二節 曖昧性…………………………………………………………………5
第三節 集団意識………………………………………………………………5
第四節 地理環境…………………………………………………………………6
- 省略表現の影響……………………………………………………………7
おわりに………………………………………………………………………8
参考文献………………………………………………………………………9
謝辞…………………………………………………………………………………10
はじめに
多くの日本語学習者は日本語の言語習慣や特徴に対してあまり理解していないので、日本に行って日本人と交流する時、うまくできない場合がある。なぜ日本語を母語としない人が自然な日本語をしゃべれないのか、会話の能力はなぜなかなかあがらないのか。省略表現はその一つの原因だと思う。本研究は日本の省略表現を検討しようとするものである。省略表現をめぐって、文法の視点から、また文化の視点から、雑誌に掲載された対談や集まった研究資料の例文の分類を通して、対照分析をおこなった。また、省略表現を通して日本の文化をもっと深く理解するようにできればと思って、本研究を行うのだ。中日比較を通して、中国と日本の省略表現の違いも明らかにしようと思う。
1.省略表現の分類
省略表現の省略された内容から分類して見れば大体以下の通りである。
1.1主語の省略
中国語と違って、日本語の主語がよく省略されている。はじめて日本語を習う人にとってとても難しい。日本語に比べて中国語の主語の省略が多くない。日本人と話す時、主語の省略ができなくて、不自然になる場合が多い。日本語の主語としての人称代名称はいつ、どのような場合で省略できるのか、それを検討してみたい。
例1 「日本人ですか。」
「はい、日本人です。」
上の例の中で、中国語の主語“你、我”が欠かせない。しかし、日本語ではよく省略される。話す相手は目の前にいるから、「あなた、わたし」を言わなくても双方が理解できるという発想から、日本人は「あなたは日本人ですか」「はい、私は日本人です」という言い方はあまりしないのである。むしろそういう言い方はかえって不自然なになる。特に第二人称代名詞「あなた」、この単語は日本語で曖昧な言い方である。一般的に夫婦の中で使われている。
例2 「この新聞、読んでくれないか?」
「読みます。」
この例の中で主語が省略される。「私は読みます」と言っても、「私が読みます」と言っても、意味は微妙に違う。「私は読みます」だと、「他の人は知らないが私は読む」という意味になり、他に誰かに手伝ってもらいたいようである。「私が読みます」だと「自分がやって手柄をを立てたい他の者にはやらせないでくれ」といっている感じとなる。このことは、「読みます」が「私は読みます」の省略形でも「私が読みます」の省略形でもないことを意味している。つまり、日本語では、「主語」などなくとも、「読みます」だけで十分に一つの分だということになる。
そのほかに、日本語の敬語もそうだ。日本語の敬語は人称暗示の作用を持ち、主語はあまり現れない。
例3 「わたしは明日の会議に出席いたします(参ります)」
「あなたも出席なさいますね(いらっしゃいますね)」
こういう場合では主語は省略されても意味は変わらない、敬語は人称暗示の作用を持ち、省略されても意味が通じている。だから、主語がよく省略されている。
主語の省略は日本語の特有の表現方式の一つである。話しことばだげでなく、書き言葉のなかでも、主語が付かない表現もよく見られる。日本人が文章がいいかどうかを評価する基準の中で、主語がないのは言葉の間違いどころか、文章が簡潔で、格調高い表現だと思われる。
1.2助詞の省略
助詞というのはいわゆる「てにをは」のことである。助詞が重要であることは、言うまでもない。にもかかわらず、助詞を使わないほうが自然なケ―スを「無助詞」というようである。私たちは授業に当たって、助詞を重視する。特に最初の階段では、助詞の脱落は徹底的に言い直させる。だから学習者にとっては、助詞がかならず使うべきものとして教え込まれていく。ところが習いはじめて二、三ヶ月たち、街で日本人の話す言葉が書き取れるようになると、案外、日本人同士が助詞ぬきで話しているのではないかと気づくのであろう。助詞の省略が行われるのは、次の三つの条件を満たす場合である。
- その語を省いても文意が取れること。
- その語がない方が文意がとれること。
- 話し言葉に限定する。
まず、第一の条件にあてはまるのは、単純で短い実用文。たとえば、八百屋で大根を一本選び、値段を聞こうとするような場合には、「これ、おいくら?」で十分である。ところが、もしここで「これはおいくら」と言ったとすると、かえってややこしいことになる。文章の主題を提示する「は」が意外の意味におわせ、そこになんらかの文脈——―比較し区別するような意味合いが、はいりこんでしまうのである。買うのか、買わないのか、まだ品定めの途中なのか、欠点を見つけて値引きさせようとしているのか。この方が、意味がすっきりしない結果になる。
助詞の省略はいつも話し言葉に限定する、話し言葉の省略は世界中どの言語においてもありふれた現象である。書き言葉の中にも、省略文の姿が時には見られるが、話し言葉のように頻繁に使われていない。これはそれぞれの性質によるものと考えられるのである。
例1(アルバムをとりだしながら)「ねえ、ねえ、この写真、見て。」
この言葉で「を」が省略される。話し言葉と書き言葉の性質による違いはそのスピードにある。頭の中で考えるスピードは時に話すスピードよりも早いと感じられて、話し手をいらいらさせる場合がある。その頭の中の考えが果たして言語の態をなしているかどうかは疑問があるが、それはさておき、話し言葉はこれにほぼ等しいとしても、書き言葉で書いていくときのスピードは格段に落ちる。文章の形を整えることができるから、普通の会話と比べて書き言葉はずっと長くなる。省略表現は速くて短い話し言葉の典型的な例とも言えるのである。
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