福沢諭吉と康有為の思想の文化比較――西洋認識と儒学思想に対する態度を中心に福泽谕吉与康有为的思想之文化比较 ——以两者对西方与儒学思想的认知为中心毕业论文_日语毕业论文

福沢諭吉と康有為の思想の文化比較――西洋認識と儒学思想に対する態度を中心に福泽谕吉与康有为的思想之文化比较 ——以两者对西方与儒学思想的认知为中心毕业论文

2021-04-02更新

摘 要

在我国,思想文化的比较研究,一直比较侧重于东与西的比较,这是很自然的,也是很有必要的。但是,我们不应该局限于此,也要关注同一文化圈或同一领域中不同国家和不同民族的思想文化比较。有一衣带水之称的中日两国,一个很好的比较对象。

中国和日本的思想文化可比较的领域非常广泛。本论文选择了中日两国对本国的近代化起了重要作用的两个启蒙思想家康有为和福泽谕吉,通过比较他们对西洋的认识和对儒学的态度,来分析中日两国近代化之路分道扬镳的原因。

关于康有为和福泽谕吉的单独研究有很多,但是两者的比较研究还是比较少。本论文,首先介绍一下康有为和福泽谕吉的性格,并通过对二者的比较分析,明确性格问题在俩人人生道路问题上的作用。

其次,分析比较康有为和福泽谕吉的文化观,从两者对西洋文化的认识和对儒家文化的态度来进行比较分析。由于两者在吸收西洋文化的程度,批判儒家文化的程度存在着显著的差异,对后人的思想观念带来了不同的影响,也使中日两国走上了不同的近代化之路。

最后,康有为和福泽谕吉二者不同的启蒙思想,使得中日两国走上了不同的启蒙之路,日本迅速赶上西方国家,而中国却固步自封。对中国的戊戌变法和日本的明治维新进行比较考察。分析其中的失败和成功之处。

关键词:康有为 福泽谕吉 近代化 西洋文化 儒家文化

要 旨

うちの国では、思想の文化比較は東方と西方の比較に重点に置くのは自然なことかつ必要なことだと思う。しかし、ここにとどまらず、同文化圏あるいは同一の領域の国家や民族の思想の文化比較も重要である。一衣帯水の中日両国はよい比較対象として中日両国の近代化を十分に理解させる。

中日両国の思想の文化比較に値する範囲は広いと思われる。本論文は自国の近代化に大変重要な役割を果たし、大きな影響を及ぼした福沢諭吉と康有為を選んで、彼らの西洋認識と儒学態度を通して、近代化への異なる道を歩むことを分析したい。

福沢諭吉と康有為の思想をそれぞれ研究している学者が多くいるのに、両者の思想に関する比較研究は今まで充分に展開されていないようである。本論文は、最初、福沢諭吉と康有為の性格を紹介する。それを通して、性格は二人の人生道路にどんな役割を果たしたかわかる。

それから、福沢諭吉と康有為の文化観を分析する。文化観は西洋認識と儒学思想からなっている。二人の西洋認識と儒学思想に対する態度は大きな違いがある。

最後、福沢諭吉と康有為の異なる啓蒙思想は中日両国を異なった近代化へ歩ませた。日本は発達国家に属するのに対して中国は発展途上国である。中国の戊戌変法と日本の明治維新を分析する。それから、成功と失敗のところを比較して、結論を導き出す。

キーワード:康有為  福沢諭吉  近代化  西洋認識  儒学思想

目 次

はじめに – 1 –

一、 背景と意義 – 1 –

二、 先行研究 – 2 –

第一章 福沢諭吉と康有為の人格素質 – 4 –

第一節 福沢諭吉の性格 – 4 –

第二節 康有為の性格 – 4 –

第三節 福沢諭吉と康有為の性格の比較分析 – 5 –

第二章 福沢諭吉と康有為の文化観 – 6 –

第一節 福沢諭吉の文化観 – 6 –

一、福沢諭吉の西洋認識 – 6 –

二、福沢諭吉の儒学思想 – 6 –

第二節 康有為の文化観 – 7 –

一、康有為の西洋認識 – 7 –

二、康有為の儒学思想 – 7 –

第三節 福沢諭吉と康有為の文化観の比較分析 – 8 –

第三章 中日両国の近代化における重要な変法 – 9 –

第一節 中国の戊戌変法 – 9 –

第二節 日本の明治維新 – 9 –

第三節 両国の変法の比較分析 – 10 –

おわりに – 10 –

謝 辞 – 12 –

参考文献 – 12 –

はじめに

福沢諭吉(1835―1901)は近代日本における一万円札の肖像になるほど偉大

な思想家である。彼は下層武士階級の出身であり、子供のとき、中国の伝統的

儒学を習って豊富な漢学知識を身につけた。民族危機に陥った日本を救うには欧米の文物制度や近代思想を導入しなければならぬ、というような彼の西洋学習の思想は徐々に形成した。『西洋事情』や『学問のすすめ』、『文明論之概略』などの名著において、彼は「自由」や「平等」など西洋近代の新しい概念に基づいて、日本国民が「実学」や「独立」精神を両立して日本の独立富強をはかる、という「一身独立して一国独立する」の主張を提唱した。しかしながら、その後、彼は完全的な国権主義者になってしまった。

 康有為(1858―1927)は近代中国における有名な思想家、政治家である。彼

は士族家庭の生れで、小さい頃からも厳しく伝統的儒学教育を受けていた。1879年に、康は一度香港へ見物に行って、西洋文明の発達に感心した。これをきっかけとして、彼は西洋書籍の収集に熱心して、西洋学習をし始めた。康有為は七回もわたって近代的ブルジョア革命の性質のある社会改良の提案書を清の皇帝に奉呈して、遂に 1898 年の戊辰変法を促した。だが、変法運動がすぐに失敗して、康は中国を離れて日本へ流亡せざるを得なかった。その後、康有為が「保皇派」になって君権ばかりを唱え、ブルジョア民主革命の妨げにもなった、という通説はある。

一、 背景と意義

 長い歴史と伝統を持つ日中両国は、十九世紀の後半とともに近代化への道を歩むことになる。しかし、その歩む方向は明らかに異なっている。中国は西欧列強からの圧迫を受けつづけて簡単には自立できなかった。その一方、日本は、一八六七年に始まる明治天皇を中心とする「明治維新」の成功により、近代国家を創出した。さらに、日清戦争と日露戦争に勝利し、アジア唯一の先進国家に変身したのである。似かよっていた両国の運命が何故こんなに違っているのか。その原因は、恐らく、両国の近代化を主導する近代思想の相違にあるのではないか、と筆者は思う。福沢諭吉と康有為は、それぞれに両国の近代思想の受容とその啓蒙に、大変重要な役割を果たし、大きな影響を及ぼした。彼等の思想は日中両国の近代思想史の欠かせない一頁であるといっても過言ではないだろう。したがって、両者の思想を比較し、その根本的な違いを抉り出すことを通じて、両国の近代化の分岐点を見出せないだろうか。筆者は以前から思想文化に関することに興味を持っている。本稿をありがたい機会として、福沢諭吉と康有為の思想を考査することにしたい。

 思想文化の比較そのものはその違いを鑑定するばかりか、同じところも認識する必要がある。それに基づいて初めてそれぞれの文化圏の補充し合うことができる。中日両国は昔から以来交際が密接で、文字も同じである。また、一体の連帯感もある。近代になっても両国も目を見張るほど似ているところがある。例えて言うと、その政治制度は封建制度で、近代化は列強からの圧迫のせいで発生したのである。しかし、日本は世界の強国に飛躍するのに対して、中国は災難続きで、今になっても第三世界に属する。どうしてこんなに類似した背景の下で、明らかに異なる結果になったか。中日両国の近代思想の比較からある程度の結論を得るかもしれない。

 福沢諭吉と康有為は二人とも中日両国近代の名高い啓蒙思想家で、各国の近代化に大変重要な役割を果たした。二人の思想は洋学東漸の背景で発生、発展、進展したのである。したがって、二人の思想は同質性を備えている。しかし、二人の成長の国内環境と雰囲気が異なっている。異質性も持っているのは当たり前のことである。本稿は西洋認識と儒学思想に対する態度を中心にしてその同質性と異質性を分析したい。これを通して初めて両国の近代化をさらに理解することができる。

二、 先行研究

 福沢諭吉と康有為は二人とも中日両国近代の名高い啓蒙思想家である。したがって、二人に関する研究は少なくない。その中で、中国の崔世廣、徐興廣、馬洪林や楼宇烈などの学者の論文、著作と日本の丸山真男や小泉信三などの学者の論文は学術界に公認したものである。そのほか、福沢諭吉は生前彼の全集を出版した。しかし、康有為はそんなに幸運ではなくても、多くの学者の努力によって、彼の全集は今出版中である。

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