摘 要
宫泽贤治是日本著名的诗人,童话作家,在其短暂的一生中笔耕不辍,为后人留下了大量的精神财富。而这样一位优秀的作家,其作品自然也被众多名家多次地介绍至我国,本文即是试着以时间及译者两条线索,分析宫泽贤治其人其作在中国的译介情况,并通过对比论证,对目前市面上流通的译本进行一定的比较。译介学在我国的研究方兴未艾,而作为中国一衣带水的邻邦的日本,其名家名篇在中国的译介与研究也是层出不穷。本文亦是借鉴前人对日本近代文学作品的译介研究方法与对宫泽贤治作品的研究,尝试勾勒出宫泽贤治作品在中国译介状况的画像。
本论文主要分为三个方面,其一是介绍宫泽贤治其人其作,其二是考察宫泽贤治作品在中国译介的现状,并尝试还原译介的历史;其三是通过统计,分析宫泽贤治的作品在中国译介的时间与作品倾向,总结已有的译介成果并展望将来的译介前景。
第一方面,先介绍宫泽贤治其生平与主要活动,并分种类介绍他主要的作品。
第二方面,先介绍简略宫泽贤治作品在中国译介的现状,继而介绍宫泽贤治作品在中国译介的历史,根据时间划分译介集中的时期。宫泽贤治的作品也是自民国时代便有译介,但因时代原因未能流传下来,在建国初期17年内亦有译介,之后在80年代才开始大规模的译介,到最近20年才真正进入普及期,这也基本符合明治大正文学在我国译介过程。
第三方面,通过统计分析中国已有的译介成果,分析在中国集中译介的宫泽贤治作品,即≪銀河鉄道之夜≫与≪不怕风雨≫的译介状况,并进行分种类进行简单介绍,呈现宫泽贤治作品的译介现状,即以童话为重点,诗的译介很少,艺术论则只有翻译并无研究的现状。同时,利用图表还原宫泽贤治作品在中国译介的时间曲线,对至今的译介研究进行回顾,并对宫泽贤治作品译介的未来趋势进行展望。
关键词: 宫泽贤治 译介 中国 日本近代文学 童话
要 旨
宮沢賢治は日本の有名な詩人、童話作家であり、彼は短い人生の中で、後世に素晴らしい作品をたくさん残した。このような優秀な作家の作品は、多くの翻訳者によって、長い時間にわたって、中国へ翻訳や紹介をされてきた。拙論では、時間や翻訳者の二つの糸口から、宮沢賢治と彼の作品が中国での伝播状況を分析し、その上、原作と訳本の比較によって、中国のマーケットで流通している訳本の翻訳手法を考察する。訳介学(译介学)は中国で翻訳研究学(translation studies)をしている学問で、文字の意味から見ると、作家と作品の翻訳や紹介が専門の学問である。この訳介学は2003年謝天振が『訳介学』を中国で出版した以来、研究が盛んできて、日本の有名な作家や作品も訳介学の研究方法でたくさん研究されている。拙論も、これら訳介学の先行研究者の研究を参考にし、宮沢賢治に関する先行研究をも踏まえて、宮沢賢治や彼の作品の中国伝播の歴史や現状を考察しようと思う。
本文は主に三つの部分からできている。
その一、宮沢賢治の短い一生や彼の活動を紹介して、この後、三つの種類にわけて彼の作品を紹介する。
その二、宮沢賢治の作品が中国での伝播現状を簡単に紹介して、それから、宮沢賢治の作品の中国伝播を、伝播が集中の時期分けによって、詳しく紹介する。宮沢賢治の作品の翻訳も民国時代にはすでに翻訳があり、中華人民共和国の成立初の17年間にも訳本の出版がある。そして本格的な翻訳活動は1980年から始まり、最近の20年から中国の読者では宮沢賢治の知名度が上がり続いている。
その三、今まで宮沢賢治の作品の翻訳や出版を統計し、マトリックス表を作り、宮沢賢治の作品の中国伝播歴史や現状を分析し、種類に分けて宮沢の作品の翻訳状況を説明する。そして、宮沢賢治の作品の中国伝播の長い歴史を時間段階に分けて分析しようと思う。
キーワード: 宮沢賢治 伝播 中国 日本近代文学 童話
目 次
はじめに ……………………………………………………………………………1
第一章 宮沢賢治とその作品………………………………………………………2
- 宮沢賢治その人……………………………………………………… 2
- 宮沢賢治の作品……………………………………………………… 3
- 宮沢賢治の作品の中国における伝播……………………………………6
- 伝播の時期区分………………………………………………………6
- 第一時期(20世紀20―40年代)……………………………………6
- 第二時期(20世紀50―70年代)……………………………………7
- 第三時期(20世紀80年代―)……………………………………8
- 宮沢賢治の作品の中国における伝播特徴とその原因………………11
- 翻訳の作品選択………………………………………………………11
- 翻訳の時代変化………………………………………………………16
おわりに ……………………………………………………………………………18
参考文献 ……………………………………………………………………………19
はじめに
宮沢賢治という作家は、中国ではあまり知られていないが、日本ではかなり人気が高い。宮沢賢治は1896年岩手県の花巻市に生まれ、わずか37年間の人生において、数えられないほどの作品を残した。生前、童話集『注文の多い料理店』と詩集『春と修羅』を自費で発表したが、作品の価値が認識されなかったし、宮沢賢治自身も作家として社会に認められなかった。ところが、半世紀が経ち、宮沢は日本では国民的な作家として認められた。なぜかというと、宮沢の童話作品は、ロマンティックな超現実な世界を舞台として、理想主義と宗教観を重要な要素として使って、近代の人々の死生観や人生観、価値観を表したからである。宮沢の作品は独特な魅力で、人々に人間の弱さについて考えさせ、反省させているのである。
宮沢賢治の作品は、1940年代の日本で宮沢賢治の世評が急速に高まりの時代から、中国へ翻訳されたがあるもので、70年後の今も、彼の作品は翻訳や出版が数多く、宮沢を研究している研究者も増えている。宮沢の作品の翻訳や研究の材料選択には著しい傾向があり、これは中国では宮沢賢治のイメージや研究方向には関係がある。70年の間に、中国ではさまざまな事件が起きて、宮沢賢治の作品の翻訳や研究に影響を与えた。そのため、宮沢の翻訳や研究には時間的特徴が見られる。それに、70年も渡り宮沢賢治の作品の翻訳歴史には研究する価値があり、日本明治大正文学が中国での伝播歴史研究にも啓示を与えることができる。
第一章 宮沢賢治とその作品
作家を理解するには作品への理解は必要で、作品を理解するには作家への理解も必要である。この章は作家と作品の両方から、宮沢賢治と彼の作品を紹介する。
- 宮沢賢治その人
宮沢賢治、明治二十九年(1896 年)岩手県裨貫郡花巻川口町に生まれた裕福な家の長男である。裕福な家に生まれたが、周囲の貧しい人たちから絞り取った利益によって恵まれた生活をしてきたのではないかという思いに彼は苦しめられた。そうした思いと仏教への信仰に駆られて、賢治は短い生涯の間、貧しい農村の生活を改善することに役立ちたいという情熱を持ち続けた。農民の生活向上を目指して、賢治は農村で教鞭をとったり、各種の農村協会を設けたり、農業技術指導やレコードコンサートの開催をしたり、いろいろと苦労した。理想は叶わぬまま過労で肺結核が悪化し、最後の五年は病床で、作品の創作や改稿を行った。
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