摘 要
作为构成句子不可缺少的一部分,助词“は”、“が”的用法在日语学习中导入得很早,但在此阶段对两者的使用方法进行详细完整的区分讲解是极其困难的, 也难以被初学者接受,而上升到中级水平的学习者往往认为该问题过于简单而轻易忽略。但助词“は”、“が”在词组、句子、文章中占据着极其重要的位置,使用的正确与否很大程度上影响着日语学习能力的提高。
助词“は”、“ が”作为日语语法的基本构成成分使用方法很复杂,常会出现可替换使用的情况,可谓是困扰日语学习者的难题。但被称为“暧昧”的日语语法相比中文、英语也有着构成简洁,句式固定的特点,从这一特点进行研究能助于理解两者的使用方法,且关于这方面的研究也十分丰富。因此本论文从这一视角出发,在历来“は”、“ が”研究的基础上,通过整理、总结前人的学说来试分析两者间用法的不同。为今后更为深入的学习助词“は”、“ が”的用法打下基础, 也希望能进一步为我校日语教学略尽力绵薄之力。
关键词:助词,主题·主语,主格,固定句式
目 次
はじめに 1
- 日本語の主語廃止 3
- 構文における主題の有無 6
- 主題のある構文 6
- 主題のない構文 21
- 「は」と「が」の選択原理 28
- 「未知」、「新情報」と「既知」、「旧情報」 28
- 判断文と現象文 30
- 文と節 30
- 対比と排他 32
- 措定と指定 34
- 孟秀玲の六つ目の原理 35
おわりに 36
参考文献 388
謝 辞 40
はじめに
「国語の品詞の一、付属語で活用のないもの。自立語に付いて、その語と他の語との関係を示したり、その語に一定の意味を添えたりする」と新世紀日漢雙解大辞典1に書いてある。即ち、言葉の意味をちゃんと伝わるには、助詞は決して欠かせない。その中、特に助詞「は」と「が」の使い方は、日本語学習過程の非常に早い段階で導入され、そして頻繁に使われている。一見簡単な物が、使い方によって、異なる意味がある。以下の例文を見てみよう。
(1a)私は田中です。
(1b)私が田中です。
上の(1a)は自己紹介の時よく使われている、「は」はその前の物事を既知のものとして提示し、その後に未知の事柄を説明する。相手は「私」を見て、顔、身長、服装など目に見えるものを通して「私」を認識した、後の「田中です」は相手が見た「私」を説明する。それに対して、「が」は物事を未知として提示するである。(1b)は相手が既に田中という名前を知っている、「田中は誰ですか」という問いに対して、「私」と答える。以上二つの例は文法的の間違いがないが、助詞の使い方によって言葉の意味が変わる。
今まで、「は」と「が」についての研究が沢山あるが、系統的に勉強したことが少ないので、本稿はこれらの研究に基づいて、三つの側面から助詞「は」と
「が」の使い方を考察する。それらに関わる学説の提出者と代表的研究者を主線として、代表的な著作、論文を挙げながら、系統的に「は」と「が」の使い方を整理してみる。
1 外国語教育研究出版社 2009
まず、明治維新後日本語文法の発展を論じる。「主語廃止論」が現れた後、西洋化されたくない日本の言語学者は日本語文法システムの構築への貢献を論じる。続いて、主題の有無という視点から、固定された八つの構文を分析する。それらの構文の格関係、構文をめぐる異なる解釈、使われる場合等の点から分析していく。最後に異なる分別方法によって助詞「は」、「が」の変動を論じる。野田尚史がまとめた五つの原理の上で、中国の学者孟秀玲の主張にも目をつける。以上の各要点に応じられる例文(学説の提出者の典型的な例文、文学作品、新聞など確信度の高い出所から収集する)を引用しながら、「は」と「が」の使い方を説明する。
1 日本語の主語廃止
明治維新以前、日本語には系統的な文法システムがない、江戸時代では、本居宣長と富士谷成章を代表の学者達は客観的に古典を注釈し始めてから、日本自身の言語学が段々形成された。明治維新以降、このような状況が一変し、他の分野と同じように言語学も西洋化に影響され、「主語」という概念が欧米から日本に普及された。
外国語のシステムなので、日本語を解釈には多少違和感がある。例えば強いて英語の主語-述語という構成関係に当て嵌める。大槻文彦の「句は主語と説明語からなっている」という命題は代表である、明治政府が創立した文部省は大槻文法を「学校文法」として普及された。
だが、「僕はウナギだ」などの文は主語論で解釈できない、「僕は」主語としたら、後の「ウナギだ」との関係はどう理解すればいいのか、主語ではないのなら、何であろう。ということで、三上章(1993-1971)は「主語廃止論」を提出した。三上の学説によると、日本語には主題が存在している、日本語にとって極めて重要な概念、「は」はその象徴である。そして、日本語には主格が存在している、その象徴は「が」である。でも、主格はただの補語なので、文には欠かせない要素ではない。一方、英語には厳密な「主語-述語」の関係がある。文には主語と述語の二つの部分があり、主語は述語への支配権を持っている。日本語では「主語-述語」の代わりに「題目-述部」と捉えるべき文が非常に多いと考える。題目とは、話のテーマ(主題)を明示するものである。英語と比べて、日本語は殆ど主題「テーマ」と述語「レーマ」(Topit-Comment)の関係を持っている。
主語がいらない原因を理解し易いように、金谷武洋は英語の基本構文と日本語の基本構文を「クリスマスツリー型」(図 1)と「盆栽型」(図2)と称し、以下の図を挙げた。
(2a)Goerge burned the letter at home.(図 1)
(2b)譲治が家で手紙を燃やした。(図 2)
George
burned
グリスマスツリー型
at home
the
で
が
を
燃やし
盆栽型
手紙
譲治
家
図 1 図 2
図 1 クリスマスツリー型の頂点に居たのは主語である、主語とは動作の主体で、文の頭に置いて、文の構成には欠かせないもの、動詞の人称変化を影響する重 要な名詞(代名詞)である、このようなものは日本語にはいない。
図 2 盆栽型の特徴は「が」と他の助詞が同じ位置にいること。即ち(2b)の
「譲治」は主語ではなく、「が」格(主格)は補語である。基本文「燃やした」に基づいて、三つの補語をつけただけ。「で」、「が」、「を」が同じ地位で、ある場合に置き換えことができる。
日本語には主語がない、「は」は主語を指すではなく、主題の象徴であるという学説は広い範囲で受け入れた。では、本稿の第二部分に、構文における主題の有無という視点から、共通性のある構文を通して助詞「は」、「が」の使い方を論じる。更に、述語に含めた情報に目をつけ、情報によって「は」、「が」の
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