从感情动词「困る」来看日语的委婉表现毕业论文

 2021-04-02 10:04

摘 要

人们在相互交往的过程中,为了使交流能够顺畅进行,必须要站在对方的立场上,体谅对方的心情来考量自己的言行举止,所以有许多不得不注意的问题。特别是在与对方面对面的言语交流中更加有必要考虑对方的感受,并对此加以重视。因此便产生了在日常生活中被广泛应用的委婉表达。委婉表达存在于世界上的所有语言中,但是在日语中尤为发达。

本文将从「困る」一词来探讨日语中的委婉表达。首先介绍并考察日语中的委婉表达,其次对感情动词加以说明并对「困る」一词进行定位,接着把二者联系起来通过在不同场合中「困る」的使用来分析其与委婉表达之间的关系。通过分析,得出了多义词的暧昧性属于委婉表达的一种以及以「困る」为代表的感情动词的人称限制实际包含了对他人的考虑与尊重因此也属于委婉表达的结论。

关键字:委婉表达;感情动词;困る;人称限制;时态;相

目 次

はじめに 1

1 序論 3

1.1先行研究とその問題点 3

  1.2本稿の立場 3

2 日本語における婉曲表現について 5

2.1婉曲表現の定義と特徴 5

2.2婉曲表現の働き 6

3「困る」から見る婉曲表現 9

3.1感情動詞における「困る」の位置づけ 9

3.2「困る」の基本的な用法と婉曲表現 10

3.3「困る」の人称制限 14

おわりに 15

注釈 16

参考文献 17

謝 辞 18

はじめに

 日常生活の中で他人と付き合う時に、相手の気持を考えて、自分の言葉に注意しなければならない。いいことは相手を喜ばせるからどう伝えても構わないが、悪いことは人の感情を傷つけたり不快な思いをさせたりする恐れがあるので、どう伝えればいいのだろうか。ほとんどの人が相手の気持を考慮に入れて、直接に言わず、相手により受け入れやすい表現をとって遠まわしに言うだろう。それが婉曲表現である。相手の立場に立って自分の言葉に気をつけるゆえ、婉曲表現はまさに「以心伝心」の表現である。それは人間関係がスムーズに行くのに欠くべからざるものである。

 周知のように、日本民族は古くから人間関係を重んじ、それを非常に大切にしてきたのである。それが原因で、日本語は他の言語よりも婉曲表現が遥かに発達しているのである。それは日本語の最も顕著な特徴だと言っても過言ではなかろう。そうとはいえ、文化の全く違う外国人にとってそれが難点である。時には誤解を起こす恐れもある。中国人はコミュニケーションをするとき、日本人と違って、何よりも情報の伝達に重点をおいて、明確に言う傾向がある。例えば、BはAから明日のご飯を誘われて断りたい時、中国人は直接に断るあるいは言い訳を探して断るだろう。それに対して、日本人が「すみませんが、明日はちょっと…」と答える場合が多い。「ちょっと」の一つの言葉だけで自分の行きたくない気持ちがちゃんと相手に伝えて、相手も喜んで受け入れるのだ。もし言い訳を探したら、日本人はきっと相手に申し訳ない気がするのだろう。「ちょっと」を使ったら、うまく対処するのだ。副詞の「ちょっと」が婉曲を表すことができ、これはまさに日本語における婉曲表現の特有の美であろう。だから、本稿はこの研究を通して、婉曲表現から覗いた日本文化そして日本人の心理を考察し、日本語をより明確に理解して、今後の中国人の日本語勉強に役に立ちたいと思う。

1 序論

1.1先行研究とその問題点

 今まで婉曲表現について多くの研究が行われている。ここでその代表的なものを見てみよう。

森本哲郎が著作の『日本語の表と裏』の中で、「日本語は婉曲な言語である。また、そのような婉曲表現から日本人の心理特徴、日本の文化などを伺うことができる」[1]と指摘されている。

 金田一春彦が『日本人の言語表現』では、「日本人の言語生活の特色として、まず第一に注意すべきのは、話さないこと、欠かないことをよしとする精神があるということである」[2]と述べていた。

 黄暁君が「中日委婉表达对比研究」という文章の中で、主に語彙と文法の視点から中日の婉曲表現の比較を行われた。

 加藤由紀子が論文の「感情動詞とその周辺」で、「喜ぶ」を中心に、感情表現における動詞の種類、人称制限、動詞の対象語、テ型における前件と後件との関係、文末表現などから、それらの動詞の性質を観察した。

 以上の先行研究から見れば、確かに日本語における婉曲表現について多くの研究が行われたが、私の見た限りでは、ひとつの単語からそれを考察することが極少ない。そして「困る」を焦点とする研究もあまり見えなく、たかだか感情表現を説明するのにそれを例として挙げられただけである。「困る」に含む多義性とその使う範囲の広さが必ず婉曲表現に何かの関わりがあると思っている。だが、それを検討した論述はまだ見えない。

1.2本稿の立場

 本稿は先行研究を踏まえて、日本人に頻繁的に使われている感情動詞の「困る」を中心に、日本語における婉曲表現を再研究したいと思う。更に、「困る」を代表にして、感情動詞と婉曲表現との間の関係の分析を試みた。

2 日本語における婉曲表現について

2.1婉曲表現の定義と特徴

 婉曲表現は諸言語の共通のもので、日本語特有のものではなく、ここでその定義を英語と日本語に分けて説明する。まずは英語の解釈である。英語における婉曲表現は「euphemism]といい、もともとはギリシア語から来た言葉である。オックスフォード大辞典によれば、その意味は「an indirect word or phrase that people often use to refer to something embarrassing or unpleasant,sometimes to make it more acceptable than it really is.] (人間がコミュニケーションする時に、相手を困らせること、あるいは不快な思いをさせることを間接的に言う言葉で、時に相手をより受け入りやすい言葉でもある[3])である。

 日本語における婉曲表現は『国語学大辞典』の説明によると、「断定的に直接的に、又は露骨的に言うのを避けて、遠回しに表現すること」と解説されている。『大辞林』では、「文法で、事柄の実現が可能であったり予想されたりすることを、はっきり断定しないで、推量の形でやわらげて表現する言い方」と指摘されている。これは一応辞書による解説で、学者たちもそれぞれの定義を下した。例えば、徐萍飛が「婉曲表現とは、他人との無益な衝突を避けるため、角が立つような言い回しから角が立たないような言い回しへの言い換えと、確実である事柄を確実でないように表現する表現の仕方である」[4]と指摘している。また、仁田義雄が婉曲表現の成立条件からその定義を説明した。その条件の一つは「話し手が言表事態の成立が真であると認識している」で、もう一つは「言表事態の成立がまだ確認されていないところを有するものとして表現されている」である[5]。柏岡珠子によると、婉曲表現とは「話者にとって確実な判断が存在することを前提とし、それを不確実であるかのように表現する」ことである。

 これらの定義をまとめてみれば、婉曲表現は以下の特徴を持っていると思われている。

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