试论宫崎骏与水木茂漫画中妖怪的对比毕业论文

 2021-04-02 10:04

摘 要

日本的妖怪传说贯穿了整个日本历史成为了日本文化的一个重要组成部分。千奇百怪的妖怪形象被广泛用于各个行业, 它和日本人的生活密不可分, 特别是在日本的动漫作品中妖怪文化更是发挥着不可或缺的重要作用。

之所以会拿宫崎骏和水木茂的漫画作对比是因为这两位大师创作出的动漫具有一定的代表性。水木茂是日本鬼怪漫画第一人,是怪谈系题材的元祖,最长青的漫画家之一,一代漫画经典《鬼太郎》的原作者。接近五十年的漫画生涯里,他产量虽然不多,涉及的范围却非常多样化。他的作品大多以妖怪故事为主,当中也不乏以战争、科幻、幽默等题材,绰号“妖怪博士”。宫崎骏的动画作品很多也涉及到了妖怪。比如众所周知的《千与千寻》《百变狸猫》《龙猫》《幽灵公主》等著名的动画都包含了妖怪文化。他出品的动漫电影以精湛的技术、动人的故事和温暖的风格在世界动漫界独树一帜,在日本动画界占有超重量级的地位,更在全球动画界具有无可替代的地位,迪士尼称他为“动画界的黑泽明”,《时代周刊》评价他为全球最具影响力的人物。 本文从这两位大师创作的妖怪中挑出几个具有代表性的形象进行对比,来分析一下两位大师的自然观和人生观。

关键词:日本动漫;妖怪;宫崎骏;水木茂;

目 次

はじめに 1

1 日本アニメの妖怪文化 2

1.1 日本妖怪文化の起源 2

1.2 妖怪文化は日本アニメの影響 4

2 宮崎駿と水木茂の「妖怪世界」の比較 5

2.1 妖怪の分類 5

2.2 宮崎駿の「大自然の妖怪」 7

2.3 水木茂の妖女たち 10

3 宮崎駿の自然観と水木茂の人生観 12

3.1 宮崎駿の「森の崇拝」精神 12

3.2 宮崎駿の「人類と自然の関係」の反省 13

3.3 水木茂の「日本女性観念」の表現 13

3.4 水木茂の妖怪から見る人生観 14

終わりに 16

参考文献 18

謝  辞 19

はじめに

大学で日本語を専攻するので、日本のアニメーションに触れ始めた。初めの頃は興味がなかったので日本のアニメをずっと見たことがなかった。ある夜に時間があったので、先日みんなが特に薦める「千と千尋の神隠し」を見ることができた。これは私が初めて見たの日本アニメで、その後、私は宮崎駿アニメに恋に落ちた。彼のアニメを全部みることとした。周りの友達はちびまる子やワンピースに夢中になっていた。しかし、私一人宮崎駿のオーム、トトロ、湯婆婆が好きだった。一度インターネットでゆーぱーぱが天狗の化身であるという報道を見た。突然、私の興味を呼び起こした。私はインターネット上それらの資料を探し始めているうちに、トトロやススワタリの変遷が見たくなった。その後、徐々に日本の妖怪に興味を持つようになった。でも、自分自身は日本の妖怪文化をあまり知らなかった。ただ宮崎駿の作品を少し知っているだけで、彼が創作した妖怪のイメージに対し、一定の認識は有った。その為彼の妖怪のイメージを研究したくなった。

 宮崎駿と水木茂のアニメの中の妖怪の対比に変更したのは、私の友達「中島さん」によるためだ。彼はしばらく中国から日本に戻り、水木しげるの漫画博物館へ行き、それらの妖怪の写真を撮って私に見せ、私に知っているかどうか聞いて、正直言って、私は一つも知らなかった。そして目玉おやじの可愛い姿に私は興味を持った。私は中島さんに頼んで、水木茂と彼の妖怪作品に関する資料を探してもらった。私も彼の「鬼太郎」シリーズを見て、妖怪たちは面白いと感じた。彼の「妖怪横丁園」は「千と千尋の神隠し」にやや似ていて、百種の妖怪が一緒に生活していて、それぞれの妖怪の姿はどれでもおもしろかった。しかし、二人の想像する妖怪のイメージには多少の違いがあるようだ。本文で私は、二人の妖怪を比較したくなった。しかし関係する文献と研究報告を探したが、彼らの妖怪を対比する文章がなかった。先輩の研究基礎がない上で研究を進めてきたため、比較的に分りやすくして、また広い範囲に渡らせて、たたき台の作と思っている。

1 日本アニメの妖怪文化

1.1 日本妖怪文化の起源

アニメが好きな人にとって、日本妖怪はよく知っているだろう。妖怪に関するアニメ作品の中に、昔から今まで一貫した筋があると思われる。日本のアニメ文化は千年も経った老木のように、乏しくなり続ける土地に根強く生きている。しかし、今日の中国では、「山海経」のような、すばらしい想像力はあまり見られない。世界妖怪協会会長の水木茂さんはずっと妖怪を研究しており、今でもたゆまなく妖怪の世界の秘密を探し求めている。中国の妖怪と比べたら、日本の妖怪はどんなに幸せだろう。日本の妖怪文化のアニメに対する影響は多くの作品の中で表現していることができる。いろいろなアニメ作品の中で妖怪の文化が築いた烙印を見ることができる。言い換えると、ある人たちはもっぱら妖怪を研究しているではなく、妖怪はだれでも知っている素材だから、巨大の倉庫のように、だれでもそこから取り出し使っていいのだ。

「当岩石草木会说话的时候,妖怪就已经存在于这个世界了」。[1]最初、自然や動物に対する畏敬の心理がある。人間はこれらの見えない、触れないものを総称して「妖怪」と呼ばれてる。日本の妖怪の起源はその地元の地理環境に関わる。なぜかというと、日本は特別な地理位置にあるし、地形も複雑だ。島であるから、水と共存している。昔の日本では、森林などもたくさんあって、その中に様々な野獣が生きていた。同時に、火山噴火や地震、台風、津波もよくあった。当時、その自然環境を恐れ、すべての災難はある神秘なものが作ったと思っていた。生老病死、自然災害に対する科学認識がまだないため、長期間に渡り、日本人の心の中に恐怖が芽生えてきた。このような恐怖は自然に対しはっきり見えてこず、妖怪は思想の産物となって、日本人の考えの中に残っている。

 初期の原始神話や怪談は祖先の素朴な生活であり、簡単で率直だ。封建時代に延伸した後、日本の社会形態は、農業、漁業、狩猟が主だった。農業が暇な時、農村のあぜを囲んで座り、人々は祖先から伝わる幻想を言い伝え、話に色をつけ、また創作し、みな民話を作ってきた。妖怪は面白いテーマとして最も人気があった。妖怪は解決が不可解な現象が合理化され、未知ものとして解釈された。

平安時代には、統治階級があり、平和であるが、内部では権力闘争の時代だった。当時の公家の統治は無能で、人々の生活は苦しかった。それに加えて、京都は未曾有の自然災害が発生して、地震、火災、洪水などがあった。民間では災害は妖怪の力だという伝説が頻繁に起こった。そのため平安時代は妖怪文化の全盛期である。確かに、妖怪は単純な伝説から宗教の信仰になった。

江戸時代、鬼怪文化は最盛期となり、士農商工が繁栄し、都市も発展した。社会意識の変化は民俗に影響を与えた。だから妖怪は、生活の小道具に取って代わってきた。最も有名なのは「百鬼夜行絵巻」[2]だ。描写された琵琶、傘、鍋等の古く人に捨てられたものは怒り妖怪に変わり夜な夜な歩いていく情景がある。水木茂の「鬼太郎」シリーズの唐傘、一反木綿も物品から妖怪になった。

  明治維新の後、日本は徐々に近代化な国に変わった。過去の奇妙な、神秘的な日本の妖怪文化は芸術、民俗から強いショックを受けた。しかし、驚くことは、日本の大学でも、「妖怪学」[3]の専攻が開かれている。その「妖怪学」を最初に使用した人は、明治時期の哲学者井上円了だ。彼は1886年に「不思議研究会」[4]を創立した。二年目に「不思議室主人」の名義をもって、「妖怪選談」を印刷して発行した。その後、日本の学者は、「妖怪研究会」を立ち上げた。徐々に、「妖怪学」についての研究をブームにした。

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