从《雪国》解析川端康成的美意识及其根源—虚无毕业论文_日语毕业论文

从《雪国》解析川端康成的美意识及其根源—虚无毕业论文

2021-04-02更新

摘 要

川端康成是日本著名的小说家。他于1986年,为日本第一次摘取了诺贝尔文学奖桂冠。从川端康成的作品中可以感受到日本的传统美和自然美、精神上的余情美以及女性美。据说他从中学时代开始阅读《源氏物语》,而据说《源氏物语》最大的特征就是表现了日本传统文化中的“物哀”的精神。因此,我认为“物哀”的精神是川端康成的美意识的根源。除此之外,川端康成认为佛典是世界中最博大精深的文学。由于佛教的禅的影响,川端康成的审美情趣似乎也与佛教的意识相联系。他的作品大都反映出了佛教的虚无思想。因此,我认为佛教的禅的影响也是川端康成的美意识的一个根源。

我的论文就是试着探索这些美的表现与根源。以其作品《雪国》为代表。举出了我所感受到的美的例子,并且,就这些例子以自己的想法说明了作者是如何表现他的美意识的。

关键词:川端康成;美意识;雪国;物哀;佛教

目  次

はじめに 1

1 「物の哀れ」の精神 3

1.1 『源氏物語』の「物のあはれ」 3

1.2 「物の哀れ」:川端康成の美意識の源 4

2 物の哀れ 5

2.1 伝統を受け継ぐ川端の美 5

2.2 葉子の美 6

3 『雪国』からみる自然美と人物美の融合 8

3.1 自然美に対する崇め 8

3.2 二つの融合 10

4 仏教の禅の影響 12

4.1 禅の文学思想 12

4.2 仏教の意識に繋がる 12

おわりに 14

参考文献 15

謝  辞 16

はじめに

川端康成は明治三十二年(1899)に生まれ、昭和四十七年(1972)に没した。小説家。大阪市天満此花町で長男として生まれてきた。父栄吉は医師で、大阪の某病院の副院長をしたこともあり、漢詩をつくり文人画を描く趣味を持っていた。母げんは黒田家の出である。姉芳子と二人きょうだいであった。年譜を見てゆくと、以後しばらくは、肉親の死と一家離散の記載がつづく。三歳の時父が肺結核で死に、翌年感染した母が死んだ。孤児となった彼は、祖父母に引き取られ、原籍地の大阪府三島豊川村(当時)に帰るが、姉が大阪市の伯母の家に預けられることになる。この姉も数年後、結核で死ぬ。七歳のとき、祖母死去、以後、川端康成は、祖父と二人きりの生活をするが、この祖父三八郎も大正三年五月に死んだ。豊里村(当時)の伯父の家に引き取られることになる、翌年一月は府立茨木中学校の寄宿舍に入る。府立茨木中学校の時代にはすでに習作に努めていた。一高を経て大正九年東大英文科に入学、翌年国文科に変わった。今東光らと第六次『新思潮』を創刊、その二号に載せた「招魂祭一景」で菊池寛らの好意ある批評を受け、文壇の注目を集めた。十二年「文芸春秋」の同人となり、この雑誌を母胎に横光利一らと新感覚派の運動が始まった。当時の創作集『感情装飾』における、意匠、装飾、デザインの新奇さはこの派の代表作品としての実を表している。新感覚派の作家たちは、思想的、イデオロギー的に変貌が激しいが、川端だけが変貌せず、深く東方的な虚無思想と東方的な美意識を持続しつつ、『浅草紅団』、『伊豆の踊り子』、『雪国』などを書いた。川端康成には『伊豆の踊り子』、『雪国』、『古都』、『眠れる美女』、『ゆくひと』などの代表作がある。

川端康成の作品が虚無を基調としながら、、そこには日本の古代以来の文化真髄--淡い悲しみが溶けあって、凝集している。川端康成は以前、自分の作品には表面から見れば何も見られないが、実はその中に日本の古代以来の悲しみが含まれていると語っている。

川端康成には美について深い研究がある。彼は綿密な観察力がある天オ的な作家である。彼はいつも字句を練っていて、できるだけ美しいものを追求していた。それは芸術品を作ることと同じようであった。彼の文章の描写は極めて細かい。それに彼の思想の表現は物語によるのではなく、淡い筆調によるのだ。それは中国の詩と同じような感じがしている。

1 「物の哀れ」の精神

1.1 『源氏物語』の「物のあはれ」

川端康成はノーベル文学賞を受賞した後、彼の成功が日本の伝統によって成り立ったのだという感想を発表した。彼はストックホルムのスウーデン・アカデミーで「美しい日本の私」と題して記念講演をした時、こう言った。「『源氏物語』が心におのづからしみこんでゐると思ひます。『源氏物語』の後、日本の小説はこの名作へのあこがれ、そして真似や作り変えが、幾百年も続いたたのでありました。和歌は無論、美術工芸から造園にまで『源氏物語』は深く広く、美の糧となりつづけたのであります。」と。こうして見れば『源氏物語』が川端康成の心の中にどんな重要な地位を占めていたのかわかるだろう。これによってこういう印象が出てきた。

川端康成の目の中に「日本の伝統」はすなわち『源氏物語』であるのだろう。「日本の小説はこの名作へのあこがれ、そして真似や作り変え」というのが、言い換えれば、彼の多くの作品も例外なく、「真似や作り変え」で、それにその中から「美の糧となり続けた」のだろう。

しかしある人は、『源氏物語』の精髄が儒、仏、道という三教をあわせた思想だと言う。『源氏物語』の主題が諸説紛紛で、一致した結論に達することが出来なくても、これがすごく優れた芸術作品であることは一人も否定しない。『源氏物語』の美学価値と芸術感染力ということは、それが一種の女性の気質を書き出したものだということだ。つまり、含蓄、感傷、淡雅、純朴と細かい格調の中で、人物の胸の悲哀な情緒を表に出す。

1.2 「物の哀れ」:川端康成の美意識の源

江戸時代の中期に、『源氏物語』の研究に力を尽くした日本国語学の大家の本居宣長が『源氏物語』の精髄について自分の新しい見解を言った。彼の話によると、『源氏物語』は主に悲しいことを書いて、人を感動させ、「物」によって思いを伝えて、「物のあはれ」の事を人に知らせるということである。また本居宣長が人間の種種の情感の中で、ただ、苦悶、憂えること、悲しみだけ――つまりすべてが望みどおりでない事こそ、人間を一番深く感動させることであると思っている。本居宣長はいちばんはやくから日本伝統文化の中に沈積した「物のあはれ」という審美範疇を帰納してきた。「物のあはれ」の意味が理解しにくい『源氏物語』は、大体こう理解すればいいと思う。つまり、心の中から出た喜、怒、哀、楽の情感の中に、悲哀の構成要素がほかより多いと考えられる。

2 美の物哀れ

2.1 伝統を受け継ぐ川端の美

日本の文学は『源氏物語』以来、自分の美学観念が形成された。その基本的な精神が「幽情」である。即ち、人間の様々の感情の中に、苦しみ、物哀れ、つまり、羨ましくないことだけ人に最も深刻な印象をあげる。このような審美の趣はかなりの延続性があった。川端康成はこの伝統を継承した、彼の作品は人に淡い哀しみの印象を上げる。彼はよく、悲しみと美しさを緊密に繋がっている。民族の特色がある川端康成の美を創造してきたいう。日本の伝統の古典の文学作品を代表する『源氏物語』から『方丈記』『徒然草』まで全部悲しくて細かしい美意識を体現している。

川端は『雪国』の創作過程の中でこのような物哀れの日本文学を十分に継承と発揚していた、文の中での女の悲しい情緒を与えていて、そして、その悲しさを彼女の質素と純真を関連させていて、微かの悲しさの中で真実の美を表していて、それによって悲しい世界を創造になっている。川端が言葉遣いの駒子は人にあげる印象は清潔な奇抜な女である。人々に「足指の裏の窪まできれいであろうとおもわれた。」[1]のような印象を与えた。このような珍しい清の女は真剣に一日ごとに生きていて、勇敢に人生の挑戦を受け入れて、毎日日記を記して、そして、自分が読んでいた小説を筆記に整理している。いつも山峡の大きい自然を自ら知らぬながら相手として孤独に稽古して、ならわした。その孤独は哀愁を踏み破って、野性の毅力を宿していた。師匠の息子を救うために、芸者に出てまで、病院の金を送ったそうだ。妻室がある男のゆえに誠実で熱烈に自分の愛を表現している。でも、彼女を追求するのに関わらず、結局はすべて無駄なことである。

2.2 葉子の美

川端康成は繰り返して「雪国」の中に、葉子の美を描いた。そうした美は幻の、惊くほどの様子でって、実在しない映像のようである。「鏡の底には夕景色が流れ手いて、つまり写るものと写す鏡とが、映画の二重写しのように動くのだった。登場人物と背景とは何のかかわりもないのだった。しかも人物は透明のはかなきで、風景は夕闇のおぼろな流れで、その二つが融け合いながらこの世ならぬ象徴の世界を描いていた。殊に娘の顔のただなかに野山のともし火がともった時には、島村はなんともいえぬ美しさに胸がふるえたほどだった。」[2]

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