关于自然观——以河童传说的变化为中心毕业论文

 2021-04-02 10:04

摘 要

妖怪是一种非常复杂的社会文化现象,其起源、变化与经济、自然和信仰等息息相关。解读妖怪现象对研究人类心理、文化、历史有着不可或缺的重要意义。

作为日本的传统妖怪之一的河童,既有着可怖又多变的外形,又有着可爱而有趣的民间传说。它的起源与日本的地理特征,民俗习惯紧密相连,其行为有着典型性,并体现在不同但相似民俗传说中。与民俗学家所预测的日渐衰落的趋势相悖,在现如今科技发达的社会中,河童形象渐变温和可人,并越来越为人们所喜爱、引起了不同程度的“河童热潮”。关于造成这一现象的原因一直被现代的民俗学家热衷讨论。

本文是基于从民间的河童传说中提取典型形象,从河童起源,不同称呼中寻找与自然的相关点,并在探讨这一变化与自然、社会、文化的关系的同时,尝试解读现代河童热潮兴起的原因。

关键词:河童;自然观;民间传说;认识的变化

目  次

はじめに 1

1 自然の代弁者として――河童 3

1.1 河童に関する民話の誕生と環境の背景 3

1.2 伝承形式からの自然暗示 5

1.3 河童の形象からの連想 6

2 水の神様が零落した姿――河童の起源 8

2.1 自然から生まれた架空の動物 8

2.2 水の神から変換する妖怪 9

3 民話による河童の形象 11

3.1 単なる恐怖の存在――人馬を引き込む河童 11

3.2 人との戦う――河童退治! 13

3.3 恩恵を示す河童 14

3.4 現代の民話――「公害を告げる河童」 15

4 河童が長年に生きているという推測 17

4.1 河童を主人公として創作する作品 17

4.2 河童がいまさら復権した原因 19

おわりに 22

参考文献 24

謝  辞 26

はじめに

小稿は、河童という妖怪に関する日本各地の民話を集めて、河童と日本人の自然観の関係を論述する。それらの民話には河童のイメージが反映されてきたのは明らかであり、その原因と、自然に対する人間の感情の変化について述べる。合わせて、その二つの関係と河童の姿が今まで日本人に愛されているという現象を詳しく分析する。

河童については柳田國男と石田英一郎が研究を始め、近代になって飯倉義之などの民俗学者がその二人の研究を続けて河童及び妖怪学などが確立されてきた。いまや河童が研究し尽くされたのではないかのような気がするほどである。本稿も柳田の思想に基づき、妖怪学の三段階によって、河童の進化史を述べたい。また、その進化史を礎として、日本人の自然観の変化を解釈してみる。柳田國男は「今日はお化けの話をとおしてでなければ、もはや以前の国民の自然観は窺い知ることができなくなった。」[1]と述べている。柳田國男によれば、お化けを研究対象とするのは、日本人の精神構造や社会の変化を読み解くことである。

柳田の妖怪観の立場からすれば、時代の推移に応じて妖怪はやがて消えていくはずである。しかし、河童の民話のは日本各地で消滅せず、逆にその話題が熱くなってきた。河童を主人公とするマンガ、小説は非常に人気があり、さらに、近年では、各地で河童像が建立されることさえある。河童の生命力はどこから来たか、河童の起源、江戸時代の民話、現代の社会文化と結び合わせ、その原因も自然の魅力をめぐって研究したい。

まず、江戸時代から現在まで代表的な河童の民話を概観し、河童と自然の共通点を探る河童、言い換えれば妖怪はやはり人間と自然の接触から生まれた産物である。したがって、河童が現在の社会に生きられる主観的な原因と客観的な原因及び自然が人にとって不可欠の存在であり、人間の文化・社会・信仰などの分野に深い影響を及ぼすことを明らかにする。

1 自然の代弁者として――河童

本章では、日本の具体的な地理環境と民話の誕生と河童そのものの消えない文化感に閲連しながら、河童と自然との切れない関係を最初に指摘する。周知のように、「妖怪」は日本人の自然観に多大な影響を及ぼし続けてきた。それゆえ、河童民話の分類・分布、民話における河童のイメージから自然に対する感情ということの論証を探る。

1.1 河童に関する民話の誕生と環境の背景

河童にまつわる伝説は北は北海道から南は沖縄にいたるまで、日本各地に存在する。多くの場合、河童に関する言い伝えは、河川ばかりでなく、山野にいたるまで深いかかわりがあるといっても過言ではない。

たとえば、河童に関する伝説が多く残る筑後地方は、九州第一の筑後川によって支えられた地域である。『6067 筑後地方における水に関わる民間伝承の地理的特性に関する考察』(上田祥史 菊地成朋 6067 筑後地方における水に関わる民間伝承の地理的特性に関する考察(地域資源,農村計画) 学術講演梗概集. E-2. 建築計画II. 住居・住宅地. 農村計画. 教育 2003. 635-636. 2003-07-30 社団法人日本建築学会ISSN : 13414526.)によると、河童民話は、筑後川・矢部川本流ではなく、この二つの大河の支流、または人の手によって造られた水路付近に多く分布している。また、『信濃の河童』(塩入秀敏 『紀要19』. 1996.03 A17-A46. )でも、河童民話は長野県(信濃)の河川に沿って広く分布するところから、河童民話の誕生は自然との深い関係があることが分かる。

もともと、河童は筑後の柳川が本場だの説があるが、江戸(東京)でも盛んにその名が広がった。[2]河童が突然現れたということの原因は、江戸時代に水利の利用と農業の変化が結び合った結果、つまり自然との接触の変化である。

江戸時代から、農村では用水ができて農地が開拓されるようになり、大灌漑事業も行われたこともあり[3]、そのことによって、自然に変化がもたらされたという歴史がある。また都会では、水運のための運河ができた。人家に接して用水や運河、お堀ができると、子供が落ちて死ぬことも多くなった。夏に子どもが川や池で遊んでいて、溺れ死ぬこともある。すなわち、自然と人間の関係が環境の変化によって、矛盾するようになってきたということである。

人間は水なしに生命活動を維持できない。人は水から離れては生きられない。水は、農業にも牧畜にも不可欠なものである。しかし、このような密な関係の裏には、水の威力・不規則な流動に対するはっきり言えない恐怖や畏敬もある。次第に、河の見えない隅のところに、きっと何かが存在し続けているという思いが出てくる。それは、河童が属する妖怪は人間の幻想で生まれた生物であり、人が自然の偉大な力に対して、複雑な感情があり、また生活している途中で解読できない現象の中で生れたものだといえる。

生活の便利のために、自然を切り開くに従って、人間と自然の接触は日々に密になってくる。ところが、新しい矛盾も出てくる。それに対して、以前と違う河童民話も出てきた。すなわち、人間と自然の関係が進化するにつれて、化け物もまた進化するのである。

1.2 伝承形式からの自然暗示

口承文芸研究においては民間説話、いわゆる民話は「昔話」「伝説」「世間話」に分類されている。「昔話」は「昔々あるところに」で始まるフィクションとしての説話、「伝説」は事物や行事の起源を説明する説話、「世間話」は同時代の日常に起きた奇事異聞の説話である。河童話の多くは「世間話」に当たる同時代の目撃談・遭遇談だといえるが、河童は昔話や伝説の中にも活躍している。[4]

世間話は、人が労働するなかで人知を超えて畏怖したことに自分の想像をまじえて作り上げた話を、まわりの人々に伝えたものである。何もすることがない夜に、村の人々がたき火を中心に囲んでいる時、「最近なんか面白いことがあったか?」と尋ねられて、語り手が起こった出来事を話した。このようなわけで、今広がっている妖怪談は豊富で生き生きとした話として存在しているということである。普通、化け物の話を好む人は、存在しない河童の形象を創造し、自分の意識でこの話に合理性をもたせ、人を信じさせなければならない。

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