摘 要
日本自古以来深受中国传统文化影响,但随着时代变迁,由于社会、经济的发展,日本文化出现了不少与中国文化相异的表象,狐狸的形象即是如此。在两国传统文化中,对狐狸的形象都有所表述。虽然两国都认为狐狸是美丽、神秘的动物,但其具体形象却多有差异。另外,日本的狐狸与稻荷信仰等宗教意识也颇有渊源。本文以民间传说和文学作品为素材,归纳中日传统文化中狐狸形象的异同,并尝试揭示其成因及背景,从一个微观的角度考察中日文化。
关键词:传统文化;差异;狐狸;稻荷信仰
目 次
はじめに 1
1 禅と茶道の発展の繋がり 3
1.1 中国元来のイメージ 3
1.2 歴史的な変遷 3
1.3 典型的な物語から見る異同 4
2 化け狐について 6
2.1 化け方 7
2.2 禅僧に化ける 7
2.3 中国との異同 8
3 狐女房の話 9
3.1 葛の葉の伝説 9
3.2 類話のパターン 10
3.3 中国の狐女房 11
4 宗教信仰との関係 12
4.1 稲荷神のお使い 12
4.2 お使いになれる原因 13
4.3 中国の狐の宗教性 14
おわりに 15
参考文献 16
謝 辞 17
はじめに
日本は古来、中国の伝統文化に深く影響を受けたと考えられている。
しかし、歴史の変遷とともに、両国の社会的、経済的な発展が相当の差が現れたゆえに、日本文化は中国文化と相違するところが現れたようである。狐のイメージもそうである。
中日両国では、狐は美しく、知恵があり、不思議な能力を持っていて、神秘な動物と思われている。そして、音真似をしたり、狐火をとばしたり、ずるい手段を使って人を騙したりという、悪賢くていたずら好きなイメージもある。また、怪しい霊能力をもって、吉凶、火災や盗難などを予知できると人々に信じられている。それに、さまざまなものに化け、人を畏れさせたり、人の身を借りて憑いたり、人を惑わして面白がる狐の話も多い。また、狐が年を経て、美人に化け、男に近づき、結婚して子供まで生まれる狐婚姻譚が各地に流伝されている。
しかし、中国の影響を受けて、共通点が多いにもかかわらず、日本の狐は独特な一面もある。日本人が狐というと、稲荷寿司や小豆ご飯がすき、稲荷神社に祀られる狐神のことや雨が静かに降る夜の山道を提灯をもって、嫁入り行列のまねをするイメージが思い浮かぶ。
中国文化における狐は、古代ではトーテムとして信仰されていたが、現代では一般的にずるくて陰険な化身とされており、よく村の家禽を襲う泥棒だと思われている。文学作品においては、人の心を見極める霊能力を持っている狐の精が、人の外形を借りて、美女に化け、異性を惑わす物語が広く流布している。
いわば、世の中には、狐より神秘の色彩を備える動物がない。これは、中国
でも日本でも、ほぼ同じである。一方、国の風土による文化的な相違があるはずであり、その相違はどこにあるのだろうか。そこで本論で中日両国における狐についてのイメージを比較し、その相違を述べてみたい。
1 九尾の狐について
中国では古来、狐に関する伝説が数多くあるが、大ざっぱに分けると、天狐や空狐、野狐などいくつかの種類がある。その中に九尾の狐は能力が一番強く、外見が一番美しく、狐の族に特別な存在であり、文献などによく描かれた狐である。
1.1 中国元来のイメージ
九尾の狐は中国上古時代に瑞祥の形であらわれ、神獣として古代の人々に崇拝されていた。例えば、涂山氏[1]などは狐をトーテムとして信仰することで有名な氏族であった。その信仰はある伝説から由来されてきた。古代中国の明君であった禹王は舜の時、治水に功をおさめ、涂山を経たところ、九尾の狐を見つけ、そこで妻を取り、子どもを設けた。その子はのちの夏という王朝を打ち立てるという伝説がある。九尾の狐は瑞獣で、これが現れるのは君主が賢明、国が治め、農業が豊作する時であると人々に信じられていた。さらに、九という数字は中国でめでたい数字で、数多いの意味である。ゆえに、九尾の狐が現れるのは、子孫が多いという意味であると思われている。以上のように、九尾の狐は至高の地位に拝められていた。
1.2 歴史的な変遷
しかし、歴史の経つに従って、九尾の狐は昔の神聖な地位を失い、何時かに悪い印象を後世につけたようである。それは、漢の王朝からのことであった。
なぜかっと言うと、中国古来の思想では、「生物が年の高ければ、怪しくなる」という伝統的な考え方がある。したがって、九尾の狐は千年の妖怪で、霊力が高く、人に害を及ぼすはずだと思われるのは一般的である。(狐は百年の修行を通じて尻尾が一本伸ばせ、その能力を付き、千年が経って九尾の狐になり、その能力が大成するということである。)他に、狐は年が高くほどきれいだとおもわれ、九尾の狐はもちろんその一番素敵な外見を持っている。中国では、「木が大きければ風当たりが増す」という説がある。九尾の狐はあまりきれいすぎるせいで、人々に印象を傷つけるのは考えればわかるはずである。
1.3 典型的な物語から見る異同
九尾の狐は完全に妖怪化された時は宋朝の初めである。その時の九尾の狐はもう美貌を利用して人間に害をし、ずるくていやしい印象に考えられてしまった。「封神演義」[2]では、殷朝の紂王の寵妃である妲己は九尾の狐が化けた美女だと言われている。妲己(だっき)は天下一の美女と言われ、歌と踊りも上手で、非常に素敵であったので、王に大変寵愛された。しかし、最後に、淫乱を極めた故、殷を滅亡させ、自身も周の武王に殺されたという伝説であった。それ以降、九尾の狐は神聖な存在ではなく、まったく悪狐の代表になってしまった。
日本では、その妲己の話に似ている伝説もある。それは室町時代末頃に発生したらしく、玉藻の前(たまものまえ)伝説に玉藻の前という九尾の狐の妖妃が朝廷を騒がしたという作り話である。その玉藻の前という狐は殷の妲己から輪廻転生したという考証もあるそうである。その妖狐は玉藻の前と呼ばれるようになるが、天下一の美女、国一番の賢女だった。また、不思議なことに、体
からは自然によい香りが漂い、一日中美しい装いをしていたそうである。しかも、美しいだけではなく、大変な博識でもあった。年の頃はわずか二十歳くらいに見えるが、知らないことがない。したがって、院のご寵愛も大変深く、片時もそばを離れないことになり、玉藻の前の美しさにひかれて、深い契りを結んだ。ところが、院は突然病気になってしまい、原因もわからないまま、日に日に病は重くなっていった。医者からこの病は邪気によるもので、医者が治療できるものではないという診断が出た。陰陽師を召して占わせたところ、何と玉藻の前の正体は下野国那須野に住む百歳の狐であり、院の病気はすべて玉藻の前のせいだとわかってきた。院より二人の武士に狐退治の命が下された。二人は神のお告げを得て、百日の犬追い修行の後、那須野原でようやく射し止めることができた。この狐はやはり妖怪中の妖怪であり、死んでまでも怖がるべき毒気放つ石、殺生石と呼ばれる石になったという伝説であった。
そのふうに、九尾の狐は瑞獣のイメージがまったくなくなり、ほぼ妖力で人殺し、国を奪う悪い意地を持つ悪狐の形象と定着されてしまう。
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