摘 要
中文摘要
日本在经历过第二次世界大战后,成为一片废墟,全国上下都陷入了饥饿和失望的窘境中,国民经济也处于瘫痪状态。但是在短短几十年间,日本的经济快速发展,还成功挤掉德国成为仅次于美国的第二经济大国。其中教育体制的改革在促进经济发展方面有着至关重要的作用。
本文通过说明不同阶段的教育改革,特别是义务教育和高等教育等一系列的措施对于人才培养方面做出了巨大的贡献,从而促进战后日本经济的发展。本文利用数据分析的方法来证明教育对经济发展的重要意义。使我们更深刻的意识到教育的重要性,进而关注经济发展趋势,培养更多优秀的人才推进国家进一步的发展。
关键词:战后日本;教育;经济;发展;影响
目 次
はじめに 1
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先行研究 2
- 研究の背景 2
- 研究の意味 2
- 研究の方法 3
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GHQ 占領下の教育 4
- 教育の民主化 4
- 教育基本法・学校教育法 4
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高等教育の発展・拡大 6
- 高等教育機関変容 6
- 高等教育機関の拡充 7
- 高等専門学校・専修学校の発展 9
-
教育と経済の関係 12
- 人的資本理論 12
- 教育基礎である経済の教育発展に対する保障 13
- 教育による経済発展への人材提供 13
おわりに 15
参考文献 16
謝 辞 17
はじめに
現在、世界第三位の経済強国としての日本は、第二次世界大戦により、国民 は飢えとパニックに陥った状態からすぐ戦前の発展レベルに回復した。そして、数十年もかからず、経済は急速に成長しており、世界強国となった。この成功 は多くの要素が関係していると思われるが、日本経済の発展を促す重要な要素 は教育だと考えられる。国内外の研究者は、戦後、高度経済成長を達成した日 本に驚き、短期間で回復できた要因をテーマに研究をしているが多い。
しかし、教育と経済との関係をテーマとしての先行研究は経済学の視点から書かれたものであるが、多くの内容は経済学の領域に属しており、教育の政策と改革の内容についての分析はあまり詳しくない。そのため、筆者はこの視点から戦後の日本教育が経済へ与えた影響について分析するつもりである。
本稿では、人材育成を中心として、日本政府が実行した政策を具体的に説明し、義務教育の普及と高等教育の発展について、データ分析の方法を利用し人材育成の成果を実証する。義務教育は高素質の人材を提供し、高等教育は管理人材および技術人材を育成し、日本経済高速発展の基礎を打ち立てたという事実を具体的に説明する。
1 先行研究
研究の背景
1950~60 年代、復興に向かった日本経済は世界に例のない高度成長期に入ったため、「東洋の奇跡」と言われ、世界からの注目が集まった。
第二次世界大戦敗戦により焼け野原となった日本では、全国の国民は飢えとパニックに陥り、被災した生産設備、物流の寸断、不足する物資、復員兵や引揚者の帰国による急激な人口増で経済は混迷を極めた1。しかし、10 年もかからず、工業や農業において既に戦前の水準を上回った。1968 年、日本の GNP は当時の西ドイツを抜き、米国に次いで第二位の経済強国となった。その後、日本はオイルショックの影響を受け、高度経済成長期から安定成長期に移行しこれまでと比べ低成長の時代を迎えたが、ずっと世界経済の「優等生」と呼ばれていた。1991 年になると、バブル崩壊後の経済成長率は年平均で 1.0%であり、これまで景気回復には至っていない。それでも、科学技術や人材育成、企業経営管理などの領域で、日本は相変わらず世界では経済強国である。国内外の学者は、戦後、高度経済成長を達成した日本に驚き、短期間で回復できた要因をテーマに研究をしているが多い。成功の要因は一つではなく、多くの要素が関係していると思われるが、日本経済の発展を促す重要な要素は教育だと考えられる。
研究の意味
最近、特に世界的に注目されているのは、経済の発展と教育の関係である。アジア、アフリカの多くの発展途上国は国家の発展を目指し、努力を傾けつつあるが、その際、社会、経済発展の基盤として、まず教育の普及、発展が不可欠の条件であるという認識が広く認められる。1960 年から、日本で教育と経済の関係についての研究は増えてきた。しかし、当時の日本の学者はほとんど教育経済学の視点から研究し、教育を直接の対象とした研究は非常に少ない。
1 「日本経済の浮沈と東アジアの発展」(滋賀大学)小田野純丸(2011)
そして、この時期、教育経済学は急速な発展を遂げた。アメリカから「人的資本理論」を導入し、例えば、この理論を通し、教育の経済的効果は人的資本に対する投資および消費としての教育サービスの経済財としての意味を説明するなど、教育が経済の発展を促すことが分析され始めた。
王玉珊(2012)はまず経済学の人力資本投資の視点から、教育の重要性を説明し、日本の教育優先発展政策が確立され、日本の政府は戦後から「教育」と
「経済」をよくつなげ、「人」の作用を十分に発揮したため、戦後の経済回復と発展を促すと述べている。また、最後に、教育と経済が互いに影響する関係を具体的に分析し、日本経済の高速発展は改革開放の中国に多くのヒントを挙げた。しかし、経済学、教育学の視点から書かれたものであるが、多くの内容は経済学の領域に属しており、教育の政策と改革の内容についての分析はあまり詳しくない。
研究の方法
本稿では、教育学の視点から、戦後、政府が広めて実行させた教育政策と改革の人材育成にとっての意義を明らかにすることを目的とする。また、人材育成を中心として、日本政府が実行する政策を具体的に説明し、義務教育の普及と高等教育の発展について、データ分析の方法を利用し人材育成の成果を実証する。
本稿は、第一章では、戦後日本経済発展の過程について説明し、教育の経済 成長への影響を簡単に論じたうえで、研究意義と研究方法を紹介する。第二章 では、戦後初期の GHQ 占領下の教育における民主化改革を説明し、この時期の改革が未来教育を正常な発展の路線につかせたことを証明する。第三章では、高等教育について詳しく説明する。第四章では教育と経済との関係について分 析し、教育が経済発展に優れた人材を提供すること、経済が教育発展の基盤で あることを紹介する。
GHQ 占領下の教育
教育の民主化
1945 年、日本はポツダム宣言を受諾し無条件降伏した。日本を軍国主義国家から民主主義国家に戻すため、連合国最高司令官総司令部 GHQ が東京に設置された。日本政府と文部省は占領軍が到着する前に、戦前の教育状況への復帰を図り、「新日本建設ノ教育方針」を発表した。この新旧の理念が混在する方針は GHQ に認められなかった。GHQ は四つの指令、いわゆる「四大指令」という形で日本側に示され、次々と実行を迫ってくることになる。「四大指令」の内容のほとんどは戦前·戦中の教育を解体しようとするものであるが、「永久に民主的に生活を営むような国民を創造する」ための、「計画的に自由を教え込む」教育の役割も、GHQ は重視していた2。
その後、米国教育使節団報告書は翻訳され、広く公表される。この報告書は、日本教育の目的及び内容、国語改革、初等及び中等段階の教育行政、教育活動と教師教育、成人教育、高等教育の六章からなり、教育の全般について新しい方向を示すものであり、その後制定される教育基本法の基本的方向を示唆していた。また、行政面では、教育長の権限を弱める修正や、現職教員の委員への立候補禁止を定めた条文が全文削除され、教科書の採択、校長·教員の任免などの現行の教委が有する権限に加えられた。これらの民主化の教育改革は、日本における近代教育の発展を妨げていたものを、強力な方策によってとり除き正常な発展の路線につかせ、さらに進展させた。つまり、日本教育の民主化を進めたということである。
教育基本法·学校教育法
戦後の民主的教育体制の確立と教育改革の実現にとって最も重要な意義を持つものは「日本国憲法」とこれに続く「教育基本法」の公布である。「憲法の附属法」を持つと見なされる教育基本法には、教育の目的·方針、教育機会
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