摘 要
唐诗是中国古典文化的重要部分。唐朝时期,中国和日本的来往非常密 切。遣唐使把中国的文化传到了日本,日本文化也深受中国文化的影响。两国的古典文化的内容和表现形式有相似的地方。众所周知,王维被称为诗佛,其作品多是山水诗。本文对王维的山水诗和日本著名的俳句诗人松尾芭蕉的俳句进行比较,试着分析了两者的相同之处和不同之处,从中可窥日中文化差异的冰山一角。并且考察结果发现王维的诗和松尾芭蕉的俳句都体现了“闲寂”这一独特的审美思想。通过对此审美思想的进一步考察,帮助我们理解中日古典文化的同时也对现代文学创作提供了启示。
关键词: 王维 山水诗 松尾芭蕉 俳句 闲寂 文化差异
目 次
- はじめに 1
- 問題提起 1
- 先行研究 1
- 研究目的 2
- 研究方法と手順 2
第一章 王維と彼の作品 3
- 王維について 3
- 王維の作品 3
第二章「わび」について 5
- 「わび」の定義及び変遷 5
- 「さび」について 7
- 王維作品に見られる「わび」 7
第三章 王維作品と松尾芭蕉作品の比較分析 10
- 共通点 10
- 相違点 11
第四章 現代文学創造への啓示 12
- 松尾芭蕉の「わび」の発生について 12
- 中国の現代文学創造への啓示 12
5.おわりに 14
参考文献……………………………………………………………………… 15
謝辞…………………………………………………………………………… 16
0.はじめに
問題の提起
今の社会は情報が溢れんばかりである。各国の文化がだんだん融合する同時に、自分の文化の特色が知らず知らず少なくなっている。特に、ファーストフード・カルチャーが氾濫していて、古典文化、現代文化などの文化の発展は苦しい立場に陥っている。従って、自国の文化を発展させることは問題になっている。
唐詩は中国古典文化の重要な部分である。唐の時代、日本と中国の交流が盛んで、遣唐使により中国の詩などの文化が日本に伝えられ、日本文化は深い影響を受けた。そして、両国の古典文化から見ると、内容と表現が似ているところに気づいた。
本稿は王維の詩と松尾芭蕉の俳句を比較して、両者の共通点と相違点を分析してみる。また、中国と日本の文化差異などを考察することにより、中国と日本の古典文化を認識する同時に、現代の文学創造への啓示となるものも分かるだろうと思う。
先行研究
『王維の山水詩と松尾芭蕉の俳句の比較――禅の影響を中心にする』という文章に、作者は王維と松尾芭蕉の作品から、中日の文化の思想差異を研究した。禅の思想を中心に置いて、二人の作品を比較した。以下は重要な内容の整理である。
王維も松尾芭蕉も山水田園に特別な愛情がある。山水は彼らの審美対象と創造の源泉であるだけではなく、二人の感情の託すところでもある。二人は作品の中に自然の美と人生の美を力強く描いた。
よく味わうと、二人は山水詩への言い表しの風格は似ている。自然を描いているようだが、実にのんびりしていた詩人の心境が「自然のまま」反映されている。
王維と松尾芭蕉は異なる時代や国で生活したが、両者の審美的な感覚や芸術風格が似ている。ぞの原因は禅の思想の影響を受けたことであると思われる。
王維の美意識には仏教を主体として、禅、道、儒の思想と密接に結びついているが、松尾芭蕉芭蕉の美意識には道の思想の影響が深い。
研究目的
本研究の目的は、王維の詩にの「わび」という美意識を分析してみる。また、王維の作品と「わび」という美意識を含んだ松尾芭蕉の作品を比較して、共通点と相違点を研究する同時に、現在の文学創造に対する啓示となるであろうと思う。
研究方法と手順
まず、本稿は先行研究を踏みつつ、王維の作品と人生経歴に基づいて、作品中の「わび」を分析し、彼の美意識形成した原因を探してみる。それから、
「わび」という美意識の変遷、発展を見る。
次に、「わび」を含んだ王維の作品と松尾芭蕉の作品を比較して、共通点と差異点が生み出す歴史原因と文化差異を詳しく考察する。最後に、文化交流の角度から現在の文学創造に対する啓示を考えてみる。
第一章 王維と彼の作品
王維について
王維は唐の有名な詩人と画家である。王維の母親は敬虔な仏教の信者なので、王維は幼い頃から仏教の影響を受けていた。王維は多くの技芸を身につけていたので、十五歳の時、彼が都に大きな名声があった。二十一歳の時、彼は進士①になったのをきっかけ、政治生活が始まった。
だが、王維の政治生活はあまり順調ではなかった。政治理想溢れる少年であった時、統治者を怒らせたから、左遷されて政治中心を遠く離れた。この事件は王維に大きな影響があった。開元②14 年(726 年)頃、王維は官職を辞めて長安に帰った。その後、王維は「道光」という僧侶を師について北派③の禅学を学んでいた。開元 19 年(731 年)、王維の妻が死去し、王維は隠遁した。開元 24 年(736 年)、王維は政治生活の第二の転換点を迎えた。張九齢とい う丞相の推薦で、王維は再度官職についた。だが、張九齢は李林甫との政争に敗れて失脚し、丞相を罷免された。それは王維も累を及ぼした。王維は新
しい自分を解脱する方法を求めようと、この頃、南派④の禅宗を接触し始めた。しかし、安史の乱が勃発して、王維は反乱軍の安禄山に囚われて、やむを
得ず安禄山の政権の官職に任じられていた。これは彼の晩年の汚点になった。
王維の作品
王維は高潔な品格と作品によって、後世、高い評価を受けていた。清代の徐增からは「天才は李太白、地才は杜子美、人才は王摩詰」と評価された。近代の研究家からも「高人であるが、凡人であった」、「彼は世の汚濁をうとみながらも、捨て得ず、荏苒として安易な一生を送った凡人に過ぎない」
① 中国で科挙の科目の一つ。また、その合格者。
② 開元:中国、唐の玄宗の前半の治世。
③ 禅学の一つの流派で、漸悟を主張していた。長安、洛陽などの北方の所で広く流行していた。
④ 禅学の一つの流派で、北派に対した。頓悟を主張した。
という厳しい評価も受けた。
王維の詩は主に山水に関するものである。東晋の陶淵明の田園詩や宋の謝霊運の山水詩を受けつつ、よりダイナミックに自然の美を詠う自然詩は王維より始まった。
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