摘 要
日本的现代流行音乐的发展势头越来越猛,从 J-POP 的诞生、卡拉 OK 的发明到现在 NHK 红白歌会的流行,已经广为人知。
中国的现代流行音乐文化早期有对日本流行音乐文化模仿与学习的时期,到现在拥有很多新兴崛起的不同形式的流行音乐元素。
早期的流行音乐中,两国互相借鉴互相学习。到现在,各自有了各自不同的风格,但也仍然会存留对方的影响。
本论文通过日本和中国流行音乐文化的对照研究,了解两国现代流行音乐文化的不同与相同之处,分析两国之间文化、风俗和思想对于音乐文化的影响,从而加深对中日两国之间的了解。
关键词:日本音乐 中国音乐 流行音乐 影响 对照研究
要旨
日本の現代にポップス音楽文化の発展の勢いはますます激しくて、J-POP の誕生から、カラオケが発明されるまで、また NHK の紅白歌合戦も、すべて有名である。
中国の現代のポップス音楽文化、早期は日本ポップスに教養があり模倣して勉強した時期と、今まで多くの新興の切り立った違った形式のポップス音楽文化元素を擁る。
本論文は日本と中国ポップス文化の対照によって、両国現代のポップス文化の違いと共通点を知って、両国間文化、風俗と思想が音楽文化に対する影響を分析して、これによって中日両国間の異文化理解を深める。
キーワード: 日本音楽 中国音楽 ポップス 影響 比較研究
目 次
はじめに 6
- 問題提起 6
- 先行研究 6
- 研究目的 7
- 研究方法と順序 7
第一章 日本と中国の流行音楽文化交流 8
- 古代からの日本と中国の音楽についての交流 8
- 近代日本の流行音楽の中国での伝播 9
第二章 日本と中国の流行音楽の相違点と共通点 11
- 日本流行音楽文化の特徴 11
- 中国流行音楽文化の特徴 12
- 日本と中国の流行音楽の相違点と共通点 14
第三章 日本と中国の流行音楽文化の今後の動向と発展 15
おわりに 16
謝 辞 17
参考文献 18
はじめに
問題提起
現代生活の中で、社会経済の発展に従って、人間は自分の娯楽生活を豊かさせるため、ほとんどの人は音楽を選ぶ。私はとても心から音楽特にポピュラー音楽を愛している。4 年間日本語を学んで、私も更に日本のポピュラー音楽の文化に対して濃厚な興味を持ている。周知のように、日本文化は古代中国から大きな影響を受けた。実は、流行音楽発展初期の中国も日本の影響を深く受けた。本研究は両国音楽文化の特徴を究明しようと思う。。
今回の研究の問題点は、主に日本と中国の流行音楽の相違点と共通点である。相違点というと、両国の流行音楽文化種類と特色の発展の傾向について説明す る。共通点は両国の流行音楽文化中の共同発展の道を研究し、両国の互いに影 響に従って、生じているそれぞれの流行音楽文化について説明する。
先行研究
「流行音楽」は中国の大衆文化生活中の一つの重要な方面である。中国の流行音楽は 30 年くらいの発展を経て、成熟期に歩み始めた。本文は中国社会の経済、文化などの面の発展を結合し、中国流行音楽の発展過程を研究したいと思う。流行音楽は発展の過程中現れたいくつかの特徴、問題を分析する。日本の現代音楽は日本の流行文化の重要な構成部分である。日本の音楽文化圏はアジア第一、世界第二を誇る。日本現代音楽の発展は日本の現代文化を豊かさせるだけでなく、日本の巨大なレコード産業も日本国民の生活と経済発展にも大きな貢献を遂げた。
日本の現代音楽の発展は J - POP の発生とカラオケの発明から、NHK紅白歌合戦の流行まで、自己革新の過程である。
音楽理論と音楽思想の面で、日本は中国音楽文化を吸収する。日本初期の音楽文化は中国文化から大きな影響を受けた。そして、西洋音楽文化が日本に入ってから、日本のミュージシャンは自己の革新と向上が始まった。
研究目的
本研究の目的は、日本古代から現代までの流行音楽傾向と特徴、中国古代から現代までの流行音楽の傾向と特徴についての研究を通じて、日中両国音楽文化交流の発展史を了解する。中国から日本流行音楽に与えた影響、および日本は中国の流行音楽にもらった変化を研究し、それによって、両国音楽文化交流の真髄と両国の音楽文化交流は両国にもたらした各面の変化を究明する。
研究方法と順序
各類の日本と中国の流行音楽の文章を読んだあと、両国の流行音楽文化の特徴を十分に理解する。そして、日中音楽文化を対照する。そして、全ての材料を準備して詳しく分析を行って、流行音楽文化の相違点と共通点を明らかにする。最後に、アンケート調査を通して、日中両国人がそれぞれの国の流行音楽に対する見方、流行音楽への理解の程度や見方を究明する。
第一章 日本と中国の流行音楽文化交流
古代からの日本と中国の音楽についての交流
中日音楽文化交流は唐の時代にピークに達した。流行音楽文化交流は国際化とローカル化の手本を提供する。
日本語の「音楽」という言葉は中国から伝来したものである。中国語では、「音乐(yīnyuè)」であり、春秋時代(BC770~BC403)の孔子(BC551~BC479)から漢(前漢 BC206~8 後漢 25~220)にかけて儒学者がまとめた礼に関する書物「礼記」の「楽記」に音楽のことが書かれている。「音楽:音を美的に調和、統合して、ある情感を表現する技術。楽器に対するものを器楽、肉声によるものを声楽という」。これは唐代以降、五経の 1 つとして尊重された。また「楽記・楽象章」には次のように述べてある。「楽者,心之動也。聲者,楽之象也。文采節奏,聲之飾也。君子動其本,楽其象,然後治其飾。」楽は心の動 きであり,声は楽の象であり,文采節奏は声を整える飾りであり,羽籥干戚は楽を載せる器である。君子はその根本(心)を感動させてその象(声)を楽しみ, その後,装飾を整えて羽籥干戚を用いる。音楽を含む、日中両国の文化は明らかな共通点を持っている。遣使の派遣により、日本は隋(581~618)や唐(618
~907)の先進文化を導入し、音楽領域の並行的な成長および総合的な発展を促進することができ、音楽芸術を受容し自国のものとする過程において、独特な文化的空間を生んだ。
5~8 世紀は、中国の隋や唐の盛世であり、中国の古代音楽が大きな成果を挙げた。雅楽(宮廷の祭祀楽と朝会の礼儀楽を指す)舞踊音楽、散楽(民間の俗楽)および仏教音楽などが盛んであった。その中の多くは 日本に導入され、日本に大きな影響を及ぼした。隋や唐では、日中両国間に多数の遣使をお互いに派遣した。文化交流を図り、日本から遣隋使が 5 回、遣唐使が 19 回 実施された。遣唐使の人数は 200~600 人であり、毎回音声長と音声生がいた。日本は高度に発展した中国を中心とする様々な外来音楽文化をできるだけ受容し学ぼうとしたが、外来音楽を完全に消化し、日本の伝統音楽と完全に融和す
るまでにいかなく、伝統音楽と外来音楽が共存するようになった 。
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