摘 要
日语中的女性用语在各个时期的表现形式不同。对于中国学习者来说,只有了解各个时期的女性用语,才能有效地掌握好女性用语。并且还要通过女性用语去看各个时期女性的地位是如何的。因此,本文在继承先行研究成果的基础上,通过阅读大量的文献,对两者关系进行了研究。
通过对文献的阅读和分析,结果得出:日语中女性用语的变化与女性的地位是息息相关的,它是日本女性地位变化的一种表现。
关键词:女性用语 女性地位 变化 日本女性
目 次
はじめに 4
1.1 問題の提起 4
1.2 先行研究 4
1.3 本論の目的 6
1.4本論の研究方法と手順 7
2.0初期段階 7
2.1日本語における女ことばの芽生え 7
2.2古代の女性の地位 8
2.3日本語における女ことばの発生 8
2.4平安時代の女性の地位 10
3.0発展段階 11
3.1日本語における女ことばの発展 11
3.2中世の女性の地位 11
4.0全盛期の段階 12
4.1日本語における女ことばの全盛 12
4.2江戸時代の女性の地位 13
5.0新しい段階 13
5.1日本語における女ことばの社会化 13
5.2明治時期の女性の地位 14
5.3日本語における女ことばの新しい傾向 14
5.4二戦後の女性の地位 15
おわり 16
謝辞 17
参考文献 18
はじめに
1.1 問題の提起
日本語を勉強しているうちに、日本語における女ことばがたくさんある。それに、こういう女ことばは女性社会地位とも関係があるということに大きな興味をもっている。だから、本稿は日本語における女ことばから見る女性地位についてわりに詳しく考察することにする。
人間のことばは長期の社会労働の中から生まれてきたものである。それは人類の間に伝えられ、思想、感情、行為の媒介である。言語の発展は社会のそれぞれの歴史の時期の発展を裏付けて、社会の発展と変化の具体的表現の一つである。日本語における女性言葉の発生、発展およびその変化も、実際にそれぞれの歴史の時期における日本女性の社会生活とその地位を反映しているものである。違う歴史の時期の女性言葉の変化から、女性の社会地位の変化を観察できる。そして、女性言葉の変化は日本社会の政治生活と密接な関係がある。例えば、日本社会の「男尊女卑」は隠さずに言語分野に反映しているのである。
日本語における女ことばは多く、しかもその複雑さは、現代日本語の中で最も活躍する一部といってもいい。男性ことばと違うのは言語の表現が婉曲で、柔らかい。主にイントネーションの多様性、文末表現や敬語を使うことなどが多いのである。言葉は一種の社会現象、歴史の交代と社会の変遷を反映している。日本の女性ことばは異なる歴史の段階で、異なる社会階層にそれぞれ相応した、著しい特徴がある。逆に、またそれは日本社会が女性への態度を反映しているともいえる。
1.2 先行研究
日本語における女ことばがたくさんあるが、これは日本語の特徴の一つであると思われる。日本にも中国にも日本語における女言葉に関する先行研究が少なくないのである。中国では日本語における女ことばを論じるものがあるからと言って、比較的に少ないのである。楊曼の「日本語における女性言葉のやさしい分析」は、主に日本語における女ことばの形成、特徴および社会性などについて論及した。趙鴻の「日本語における女性言葉に関する研究」は、女ことばのそれぞれの方面について詳しく研究した。インコウの「日本女性の地位の変遷と日本女性言葉の制度化」という文章の中では、女ことばの制度化の過程を分析し、明治維新以後、言語政策を借りて、女ことばの制度化を進めていたと述べられた。これらの論文において、大部分は日本語における女ことばの形成、特徴などについて論及した。しかし、二十世紀九十年代から今日まで、わずか二十年の時間の中で、日本語の女言葉の研究では,大きな成果をあげた。
日本においては女ことばの研究は、以前主に日本伝統の女ことばについてである。一九七0年以前、国語学の伝統の中に房詞や遊里語などのことばに関する研究が存在していた。例えば、真下三郎の「遊里語の研究」国田百合子の「女房詞の研究続編」などがある。
現代女ことばの研究については、一九七0年代にアメリカで起きたフェミニズムはそ日本語における女ことばの研究に大きなインパクを与えた。一九七九年に女ことばに関する壽岳の著書「日本語と女」が出版された。一九八0年代には、一つの女ことばの研究班は女ことばの研究のためのプロジエクトを企て、女性による研究誌「ことば」は一九七九年創刊された。
別に、遠藤織枝の研究グループは、性別言語差別現象の研究を尽くし、日本語辞書にある女性差別語彙を分析し、大きな成果をあげた。その上、秋葉かつえも欧米女権主義の視点から、日本語における女ことばを分析した。
また、女性地位に関する研究もいろいろある。まず、中国では、李銀河は「日本女性の権利」という文章を発表した。この文章では、第二次世界大戦から日本女性がもっと基本権利を得るべきであるという観点を提出した。宋叡の「日本女性の社会地位の変遷」は日本女性の地位は社会の状態の変化に従って、絶えず変化していた。原始農業社会では、女性は崇高な地位を得ていた。法令社会では、女性の地位が下がっていた。封建の武士社会まで、女性は自分を失っていた。タギョクヨウの「日本女性の地位を論じる」は日本女性の地位の形成の原因から発展変化まで日本女性の社会地位を分析した。秦頴の論文は日本のタブー風俗から女性の社会地位を探索した。田暁虹(田晓虹)は戦後の日本の女性の法的地位や基本的な権利、教育状況や教育目標、就職希望や就職環境、結婚の観念や家族役など多方面で考察した。社会制度、経済状況や文化は日本女性に直接、間接影響を与えたことを掲示した。
ここでは、女性の地位に関する従来の研究を述べてみたい。
教科書には江戸時代は「男尊女卑の風も強まり、女子には三従の教えが説かれ、これらの傾向は、武士だけでなく、社会一般にもおよんだ」と記述されている。「明治維新」という本の中で、明治維新における時、日本政府は欧米の殖民地になるのを防ぐために、明治維新を行った。でも、日本女性についてのことはあまり書いていなかった。明治維新を行ったので、西洋思想の影響で日本女性の思想が基本的に変わった、それに、この時はいろいろな優秀な女性が出てきた。「日本女性詩論集2ー政治と女性」、この本には、日本の歴史上で政治腕は男性に負けずすごい女性政治家が何人出てきた、彼女たちは日本の歴史に大きな影響を与えたとか書いてある。一九四六年、日本女性が初めて選挙権を行使した。同時に、日本では教育改革を進めていた。一九四六年に公布された日本の憲法は女性に参政権と平等な教育の権利を提供した。一九八0年代には、「女性の時代」ということがうたわれるようになった。日本ジェンダー学会は男女両性の研究者によって一九九七年に創設され、男女の共同参画によって学際的、国際的なジェンダー研究を進めていた。
1.3 本論の目的
中国と日本でなされた日本語における女ことばの研究は、およそ以上のようなものである。日本女性の地位についての研究は比較的に多いようである。しかし、日本語における女ことばと女性地位に関する研究は少ないようである。本稿の目的は日本語における女ことばと女性地位の関係を研究するつもりである。
1.4本論の研究方法と手順
まず、歴史文献や様様な調査データおよび会話例文を資料として、自分の考え、意見などを織り込んで、日本語における女ことばから見る女性地位を探究してみようとする。また、日本の社会、歴史や日本人の思想、心理などと結びつけて、日本語における女ことばから見る女性地位を検討してみたい。手順は第一の部分は先行研究と研究目的を簡単に紹介した。第二の部分は日本戦前女ことばの表現と女性の地位。第三の部分は日本戦後女ことばの表現と女性の地位。第四の部分は日本語における女ことばと女性地位の関係を探究してみようとする。
2.0初期段階
2.1日本語における女ことばの芽生え
紀元前六世紀末から八世紀初めまで(奈良時代)、日本では相次いで六位、八代女帝は政権を掌握した。当時の日本は「祭政一体」の時代に置かれて、女性が祭りの中で重要な役を演じていた。この時期では女性の言語生活がかなり自由になって、女性の言語が生活の中で何の束縛も受けなかった。古代の日本語は性別の差がないだけではなくて、甚だしきに至ってはいくつかの言葉には「女は先に男は後に」というのが現われた。たとえば、「父と母」を「おもちち」と呼ばれて、「ふうふ」を「めおと」と呼ばれて、「兄妹」を「いもせ」と呼ばれた。こうした女ことばを自由に使用したので、女性は文学芸術面でも素晴らしい成績を上げた。例を挙げて、日本歴史の上での第一部の和歌集、「万葉集」の中には額田王、笠女郎、狭野茅の妻などの数名の女歌人の、情熱で、豪放な文学作品が収録されたのである。
2.2古代の女性の地位
上古時代、原始集落の日本人、一族の者はただ母親を知って父は知らなくて、母係社会の中で女性は絶対的な優位を占めた。『古事記』の中の天照大神(日本神話や伝説の中で最も人に尊重された神)で、日本皇室の祖先の位置に付けられて、すなわち女性の化身であった。政治の中で、弥生後期に、日本国家の起源として―邪馬台国、これは卑弥呼が建てた。紀元前六世紀末から八世紀初めまで、日本では相次いで六位、八代女帝は政権を掌握した。彼女たちは内政も外交も、その功績が優れているといわれて、日本の歴史学者はこの期間を「女帝の世紀」と呼んだ。
奈良時代になると、日本は時代の進歩につれて、実は母係社会はだんだん崩れてきた。でも、母係社会の観念がまだ残っていた。家族の中で、長期に母係社会のやり方を踏襲して、「妻問い婚」がすごく流行っていた。「妻問い婚」とは男性は十五―十六歳になると、結婚相手の女性を探す。相手の女性が賛成すると、生活は女性の家で行うようになった。それも、男性が夜に通ってきて朝には帰るという形であった。この婚姻は女性を主体として、女性は決定権を持っていた。この大きい背景の下に、どんな生産も家政管理もすべて女性を主体とした現象を形成した。この時の日本の女性は両方の家族でも社会でも高い社会的地位を持っていたのである。
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