文学に見る日本人の言霊思想について毕业论文

 2021-04-02 10:04

摘 要

自古以来,日本人都十分相信语言的力量,相信世间万物都有生命,说出的话与所指事物本身是一体的。这就是“言灵思想”。“名实一体”是“言灵思想”的重要体现。在上代文学中,表现或宣扬“言灵思想”的例子有很多,这也成为上代文学的特征之一。本文将《万叶集》和《古事记》作为主要材料,通过研究一些现象,探究“言灵思想”对古代日本人生活产生的影响。

本文的目的是分析日本人重视名字的理由,考察“言灵思想”对古代日本人生活产生的影响。本文由三部分构成。首先是“言灵”诗歌(第2章)。主要从文学中根据《万叶集》的诗歌分类来考察日本人的“言灵思想”。通过该考察,明白日本人重视名字的缘由。接下来我们关注《古事记》中古代日本人的“言灵思想”(第3章)。这个部分我们分析神明、咒文和“言灵思想”的关系。最后讲述重视名字的古代日本人的“言灵生活”(第4章)。这部分从民俗观点出发,分析“言灵”给古代日本女性带来的影响,考察与“名实一体”的“言灵思想”相关的名字的忌讳。通过以上途径,分析上代文学的“言灵”,明白“言灵思想”给古代日本人带来的影响。

关键词:言灵;名实一体;名称;古代;习俗

目  次

はじめに 1

1 名と言霊についての先行研究 3

1.1 言霊の定義 3

1.2 言霊についての先行研究 4

1.3 名についての先行研究 5

1.4 上代文学についての先行研究 6

2 言霊の歌 7

2.1 「言霊」という語を使った歌 7

2.2 『万葉集』における名前の歌 9

3 『古事記』から見る古代日本人の言霊思想 12

3.1 神名と言霊 12

3.2 「呪」による言葉の力 14

3.3 誓約から見る言葉の力 15

4 人名を重んじる古代日本人の言霊生活 16

4.1 古代の女性の名と言霊 16

4.2 命名について 17

おわりに 20

参考文献 22

謝  辞 23

はじめに

大学二年次に「日本概況」という授業で、「日本語の歴史」についての講義があった。その講義で「言霊信仰」が取り上げられた。その概容を記すると、文字のない時代、古代日本人は声が出たことに、驚いた。その時、彼たちは言葉に神様がいるのだと信じていた。彼たちは口から見えないものが出て、自分から消えてなくなり、元に戻ってこないとも信じていたことである。その授業の話を通し、言葉の力を信じていた古代日本人には言葉に対しての恐怖感があるのではないかと私は考えるようになった。さらに、もう一つ興味深いことは古代の女性が自分の恋人にしか名前を教えなかったことである。その講義を契機に、名と言霊について、より深く研究したい気持ちが湧いてきた。

古代から、日本人は言葉の力、そして、声に出した言葉は現実に何かの働きがあると信じていた。「八百万の神々」のいる国で、彼らは万物に精霊たちが宿っていると考えた。最も言葉の力を示すのは名と言霊思想との関係である。例えば、妖怪の実名の知る人間はその妖怪のことを操るといわれている。日本には「大工と鬼六」[1]という化け物の話がある。「大工と鬼六」で相手が自分の名前を知った途端に、自分のことを支配されるようになってしまったと書かれている。

また、古代日本人は人とその人の名前だけではなく、神名も、そのもの自体と一体であると見られていた。このことは、「名」とそのもの自体が一体とするという「名実一体」に繋がっているということである。特に、上代へ遡ると、実名を他人に知られることで、当人の生命が薄れるとか、呼ばれれば呼んだ人の許に行かねばならないし、名に呪詛を加えられると呪われて傷つくとまで信じられていた。だからこそ、多くの人は二つの名を持っていた。一つは「実名」で、もう一つは日常でよく使われる「仮名」である。

文学作品のなかにも言霊思想が見える。上代文学から見れば、『古事記』と『万葉集』には言霊が読み取られる部分が多くある。代表的な例としては、『古事記』に於ける神々の名は言霊の名実一体の思想を反映しているものが多々ある。

現代においても、言霊思想が見られる。近年、大人気になった『デスノート』、『夏目友人帳』というアニメ番組に言霊の名実一体の思想がよく反映されている。『デスノート』では、ノートに誰かの名前と死に方を書いたら、その人が書いたとおりに死んでいく。『夏目友人帳』では夏目という主人公は友人帳に書いた妖怪のことを支配できるとしている。それは古代の女性は自分の恋人にしか名前を教えない思想の名残とも言えるであろう。声に出した言葉は現実に作用する。そのため、神道での祝詞の奏上では絶対に誤読がないように注意されただろう。結婚式などでの忌み言葉も言霊信仰に基づいて生じたものである。

また、現代日本人の日常生活の中でも、新年の挨拶や誕生日のお祝いの言葉で、言葉の力を示しているという場面があると思われる。節分のとき、家で「鬼はソト、福はウチ」といいながら、豆を撒く習俗も、その力を示す典型的な例であろう。

1 名と言霊についての先行研究

1.1 言霊の定義

言霊についての研究としては、民俗学あるいは文化論からのアプローチや言語学あるいは日本語の問題としてのアプローチ、また文学研究としてのアプローチなどがある。民俗学あるいは文化論の研究には、言霊思想を論じているものに、豊田(1980)、豊田(1988)、牧田(1990)、伊藤(1993)があり、それらは主に言霊思想を論じている。言語学あるいは日本語の問題として論じたものには豊田(1980)、杉本(1982)、山口(2006)があり、そこでは言霊の力について論じられている。文学研究について、犬養(1938)、豊田(1980)、叶渭渠(1998)、東茂(2005)、李沛(2013)があり、多くは上代文学からみる日本の言霊思想を論じている。以上の纏めにより、豊田(1980)には民俗学、文学、文化などのさまざまの視点から言霊思想を総合的に分析していることが分かる。そこで、本論文は主に豊田(1980)を参考にしながら、先行研究を整理していく。

その先行研究を整理する前に、まずは「言霊」という言葉についてその漢字の意味も含めて、定義を整理していく。言霊の意味について、まず、国語辞書では確認してみると、

①ことばにやどっているふしぎな力。(『新字源』)

②言葉に宿っている不思議な霊威。古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた。(『広辞苑第五版』)

③その言葉に宿る不思議な働き。(『新選漢和辞典新版』)

とあり、纏めていえば、「言霊」というのは、「言葉に宿っている不思議な力である」と整理できよう。

「言霊」はさまざまな研究者たちによって多少違っている所もある。研究者たちの定義付けについてみてみると、豊田(1980)は古代日本人が言葉に内在する言語精霊という風にを解釈している。また、文学者の犬養孝(1938)は言霊信仰について、言葉に霊魂があって、言葉が命であるので、良い言葉をいえば良いことが実現し、悪い言葉をいえば悪いことが実現するというものだと考えている。また、言語学の山口(2006)は言語学の視点から、言葉が現実を作用する力を持っているということを同じく主張している。本論文では、上代文学に見る日本人の言霊思想に重点を置くため、「言葉の不思議な力」という解釈を「言霊」という言葉の定義にする。

1.2 言霊についての先行研究

豊田(1980)によれば、コトは、人と人、人と物とのかかわり合いによって、時間的に展開•進行する出来事、事件などをいって、モノとは時間的に不変の存在であるという[豊田(1980):23]。そして、タマという語は、美しい石や宝石類など、あるいは事物の美称として使われるほか、主として霊魂をあらわす言葉に深いつながりをもつと解釈されている[豊田(1980):24]。

豊田(1980)の独自性は「言事融即」という観念を作り出し、そのアプローチから精細に考察を行い、言霊という言葉の意味とその使い方をコトとタマから分析したところにある。その分析によって、豊田(1980)では、神代における、言葉と事柄については、「コト」として一致するものとして明らかにした。これが「言事融即」の根本であるとされている。すなわち、言葉が物事と一体をなすものだというのは豊田(1980)の結論である。豊田は「言事融即」という造語をもって、言霊信仰の主要原理とし、位置づけしようと試みている。「言事融即」の言語観、あるいは言霊観に使用されている。言語を駆使することがそのものを駆使することであった言語と事物との密接関係であると思われる。

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