摘 要
谷崎润一郎是日本有名的小说家,在日本文坛占有重要的地位。他的刚开始的作风是耽美主义,随着时代的变迁不断得变化着,但是对“美”的追求这一信念却一直没有改变,这种不变的美意识是谷崎文学永远的主题。
《春琴抄》作为谷崎文学的巅峰之作,为谷崎带来了巨大的荣耀。春琴是个非常美丽却又高傲自大的女人,佐助作为她的领路人,沉迷于春琴的美貌中。为了保留住春琴的美甚至不惜一切用针刺瞎自己的眼睛,而且在自己失明后意外得感到很幸福,因为就能和春琴一样了,我认为这种快乐是凄惨的,作者所表达的这种美为什么要这么痛苦呢?这种美与作者本人有什么联系呢?笔者想借用此次写论文的机会进一步的研究理解。
关键词: 春琴;佐助;被虐;官能主义;凄惨的美丽
目 次
はじめに 1
1 「悲惨な美」を探そう 2
1.1 文学界の意見 2
1.2 小説を顧みる 3
2 いろいろな方面からこの「悲惨な美」を述べる 5
2.1 話の方面 5
2.2 行為の方面 6
2.3 一部の細かい点 8
3 この美意識と谷崎潤一郎の関係 11
3.1 家庭生活 11
3.2 愛情の体験 11
3.3 西洋思想の影響 12
おわりに 14
参考文献 15
謝 辞 16
はじめに
谷崎潤一郎は日本有名な小説家であり、日本文壇に重要な地位を占めている。谷崎さんは、明治末期から第二次世界大戦後の昭和中期まで、戦中戦後の一時期をぬき終世旺盛な執筆活動を続けた。作風は、初期は耽美主義の一派とされたが、生涯にわたって様々に変遷し続けた。でも美を追求するという信念は変わらなかった。変わらない「美意識」は谷崎文学の永遠な主題である。谷崎潤一郎の作品は森鴎外や上田敏、とりわけ永井荷風に認められ、恐ろしくも妖しい美の幻想と新奇な魅惑に富む有望な作家として称えられた。
『春琴抄』は谷崎文学の頂点をなす作品と言われている。盲目の三味線師匠春琴に仕える佐助の愛と献身を描いて、単なる被虐趣味をつきぬけて、思考と官能が融合した美の陶酔の世界を繰り広げる。この小説について、文学界には様々な観点がある。女性を尊重するという観点は中流である。だから、目が見えない春琴でも、美貌を破壊した春琴でも、佐助にとってはいつものように美しい。でも佐助は春琴のために、たくさんな苦しみを受けた。そしてこの変態官能享受におぼれる。葉渭渠先生は彼の作品に佐助は悲惨な幸福を求めるという観点を提出した。
『春琴抄』を何回読んだ後、ひとつの美が感じてきた。それは「悲惨な美」小説の主旨である。筆者もこの美にショックされた。谷崎潤一郎はどうしてこの美を表現したいか。これから、小説から現れた「美」とこの美の根源について、この論文を書き始めたい。
1 「悲惨な美」を探そう
1.1 文学界の意見
『春琴抄』について、国内と外国の研究は多数である。女性を崇拝するという観点は主流である。たとえば
日本近代文学の耽美主義小説家谷崎潤一郎は自分の独特な知恵と執着な追求によって、相変わらず女性を対象として小説道路を広げた。頽廃的な作風に傾いて、強い刺激や自分を虐待する快感や変な官能満足を追求いていた。そして女性を崇拝するという作風が形成してきた。この作風を表現するもっとも褒められる作品は『春琴抄』である。[1]
小説の全体から見ると、女性を崇拝するという旨は明らかである。でも佐助は春琴のために自ら自分の目を針で突き、失明した。そして彼と春琴二人は幸せな生活を送った。佐助の行為は、普通の人間にとってただ思うだけ恐ろしいであろう。佐助が失明した後、その「悲惨な美」も自然に現れてきた。有名な学者葉渭渠先生は彼の作品にこう言った。
『春琴抄』――この作品は谷崎潤一郎の観点を反映した。美はもともと目に見えるはずだ。この美は一旦消えると、美を保持する唯一の方法は目を壊す。そしてその美を幻覚化にする。幻覚的な意識の下で美を人工的な楽園に置いている。いわゆる悲惨な幸福感を追求する。[2]
他に、谷崎潤一郎本人も彼の著作『異端者の悲しみ』の初めにこういうふうに書いた「彼(いわゆる佐助)は睡眠と覚悟ミックスした世界に躊躇したい。できるだけ半意識状態のなかでぶらぶら歩く。美しいハクチョウの幻影を朦朧に眺めて、そして自分の心に不思議な喜びと嬉さを体験される。」[3]その話は更に谷崎さんの意図をはっきりと指摘した。この暗くて朦朧な美は不思議な悲惨な幸せを持ってきた。春琴と佐助はもともと違うの世界に存在べきである。でも二人はある原因で恋をした。しかし春琴は他人に顔を傷つけられた。佐助はその事実が分かってから、即座に自分の目を針で突いた。よく考えるとそれは二人の幸せを守る唯一の方法である。佐助にとって目を壊した時はきっと辛いであろう。でも代わりに愛と幸せは来た。いわゆる「悲惨な美」
1.2 小説を顧みる
物語は春琴の墓を訪ねる「私」のモノローグから始まる。大阪道修町の薬種商鵙屋の次女、春琴(本名は琴)は9歳の頃に眼病により失明して音曲を学ぶようになった。春琴の身の回りの世話をしていた丁稚の佐助もまた三味線を学ぶようになり、春琴の弟子となる。わがままに育った春琴の相手をさせようという両親の思惑とは裏腹に、春琴は佐助が泣き出すような激しい稽古をつけるのであった。やがて、春琴が妊娠していることが発覚するが、春琴も佐助も関係を否定し、結婚も断る。結局春琴は佐助そっくりの子供を出産した末に里子に出した。
やがて春琴は20歳になり、師匠の死を期に三味線奏者として独立した。佐助もまた弟子兼世話係として同行し、わがままがつのる春琴の衣食住の世話をした。春琴の腕前は一流として広く知られるようになったが、種々の贅沢のために財政は苦しかった。
そんな中、春琴の美貌が目当てで弟子になっていた利太郎という名家の息子が春琴を梅見に誘って口説こうとするが、春琴は利太郎を袖にしたあげく、稽古の仕置きで額に怪我をさせてしまう。その一ヶ月半後、何者かが春琴の屋敷に侵入して春琴の顔に熱湯を浴びせ、大きな火傷を負わせる。春琴はただれた自分の顔を見せることを嫌がり、佐助を近づけようとしない。春琴のために佐助は自ら両眼を針で突き、失明した上でその後も春琴に仕えた。佐助は自らも琴の師匠となり、温井琴台を名乗ることを許されたが、相変わらず結婚はせずに春琴の身の回りの世話を続けた。
春琴は明治19年に心臓病で亡くなり、佐助もまた、その21年後の明治40年に亡くなった
以上の粗筋から見ると、この小説は悲劇のようである。佐助は春琴のために、自分の手で自分の目を針で突き、失明した。最初、私が佐助のことはどうしても理解できなかった。男としてどうしてそんなことをやらなければならないか?いろいろ勉強してから、その理由は分かってきた。それは「悲惨な美」のもっとも素晴らしい表現である。佐助は失明の痛みが感じなかった。意外にとても幸せだと言う感じが現れた。谷崎氏はさすが文学巨匠である。特別な表現形式によって、皆に特別な美を描き出していた。
2 いろいろな方面からこの「悲惨な美」を述べる
この小説を何回読んだ後、その「悲惨な美」がさまざまの方面に隠していることは分かってきた。
2.1 話の方面
鵙屋の夫婦は自分の娘が妊娠していることを知った後、出来てしまったことは仕方がない、相手が佐助だったのはよかったと思う。そのくらいなら昨年結婚を勧めたとき春琴はなぜあのような心にもないことを言ったのか。夫婦ふたりは悩んでいて、此の上は人の口の端にかからないうちに早く一緒にさせる方がと改めて春琴に持ちかけてみると、春琴は「又してもそんな話はいやでござります去年も申しましたように佐助などとは考えてもみませぬこと、私の身を不憫がって下さいますのはかたじけのうござりますがいかに不自由な体なればとて奉公人を婿に持とうと迄は思いませぬお腹の子の父親に対しても済まぬことでござります。」[4]と顔色を変えて言う。以上の言葉から見ると、人の前に佐助は春琴に軽蔑された。春琴は自分の地位をとても気にして、だから佐助を犠牲にするしかない。春琴の話を聞いた瞬間、佐助はきっと苦しいと思っただろう。でも彼はずっと黙っていた。そうするしかない、春琴との恋を守れた。
もちろん、このような話は小説の中に大量である。春琴は佐助の師匠になった後、いつも佐助を罵ったり打ったりした。春琴の両親も自分の娘がやりすぎだと思って、娘を説諭しようと、春琴は返事がなく、でも「佐助は何という意気地なしぞ男の癖に些細なことに堪え性もなく声を立てて泣く故にさも仰山らしく聞こえお蔭で私が叱られた、芸道に精進せんとならば痛さ骨身にこたえるとも歯を食いしばって堪え忍がよいそれが出来ないなら私も師匠をことわります。」[5]と却って佐助に嫌味を云った。爾来佐助はどんなに辛くとも決して声を立てなかった。この結果は当然であろう。佐助は春琴が好きだから、二人の素晴らしい未来を憧れるだから、ずっと我慢して春琴に従った。
2.2 行為の方面
「ある時、佐助虫歯を病み右の頬が夥しく腫れ上がった。春琴は寝床に這入って足を温めよと言う。佐助は畏まって裾の方に横臥し懐を開いて彼女の足裏を我が胸板の上に載せたが胸が氷の如く冷えるのに、反し顔は寝床のいきれのためにかっかっと火照って虫歯がいよいよ激しくなるのに溜まりかね、胸の代わりに脹れた頬を足裏へあてて辛うじて凌いでいると忽ち春琴がいやと云う程その頬を蹴ったので佐助は覚えずあっと云って飛び上った。また曰く主人の体を以て歯を冷やすとは大それた横着者哉その心底憎さの憎しと。」[6]佐助はいつも悲劇な立場に立って、文句はなく、春琴に仕えていた。春琴はどんなにひどいことをやっても、佐助はぜんぜん気にしなかった。却ってその虐待に浸っていた。もしかしたら彼は悲惨な幸せを追求した。多分谷崎さんもそのような「美」を求めたかもしれない。そして佐助を作って、その抽象的な美を生き生きと表現した。
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