中空结构思想形成的原因——围绕日本神话展开毕业论文

 2021-04-02 10:04

摘 要

“中空结构”这一概念在政治、思想、建筑等各个领域都曾经被人引述过。它包含了多重涵义,即中心的空性,对立因素的均衡性等等。在日本社会中,这种中空的结构被人们普遍地接受。尤其存在于日本神话当中。形成这种结构的原因令人深思。

《古事记》作为日本最古老的记录神话传说的作品,其中体现中空结构的地方很多。如无所作为的月读命、天照大神和须佐之男命之间的关系等等。同时,在科技高度发达的今天,日本特有的这种中空结构的所带来的缺陷同样值得我们关注。

关键词:中空;对立;均衡;原因

目  次

はじめに 1

1 中空構造について 3

1.1 中空構造の定義 3

1.2 日本から見る「中空」 4

2 日本神話の中の中空構造 7

2.1 日本神話の中の中空構造の形成 7

2.2 中国神話と違って――特別な「空」 10

3 中空構造の形成原因の尋ね 13

3.1 地理と文化からの影響 13

3.2 統合と均衡の論理 14

おわりに 17

参考文献 19

謝  辞 20

はじめに

神話には極めて多面的なアプローチが可能である。日本神話についてもこれまで多くの研究が蓄積されてきている。大林太良氏は日本における神話研究を概観し、そこには何らかの意味において歴史的関心が強く作用しており、一つは神話がいつ誰によって、いかなる目的によって作られたかに関心をもつものであり、他の一つは民族学者が主として関心をもってきた系統論的なものであることを指摘している[1]

これらに対して、最近は神話に対する構造論的研究が盛んとなってきたことを同氏は述べているが、この分野においては大林氏および吉田敦彦氏などによって、目覚しい業績が積み上げられている。

筆者の日本神話に対する関心も大別すれば構造論的なものにいれられると思うが、既にあげた研究者たちとは立場を異にしているので、その点をはじめに明らかにしておきたい。河合隼雄は「中空」の構造が日本神話の特徴であると思っている[2]。彼は日本人の心の深層を解明するモデルとして『古事記』神話における中空bull;均衡構造を提示し、西欧型の中心統合構造と対比させて、その特質を論究した。筆者の考えはこれとほぼ一致している。

「中空構造」に対して、筆者は次の三つの見方がある。

一つ、中心に据えるものは「空」あるいは「無」である。

二つ、肝心なものを縮んで、ひいては「無」にすること。

三つ、物事の両面性を均衡させて、バランスを保つという。

本稿は、日本神話における「中空構造」に関して、いろいろな資料を集めて、「中空構造」と日本人の心や思想などの関係を試論するつもりである。また、日本神話と中国神話を比較して、その「中空」の形成原因を尋ねたい。

1 中空構造について

1.1 中空構造の定義

昔から、人間はこの世に最も知恵を持つ生き物として生きてくる。同時に、人間も自分の思想に対していろいろな研究を行ってきた。肉体を外して、人々は一体どんなものの支配で行動するのであろうか。人間思想の中心は何であるか。このような問題はかなりわれわれに付き纏っている。

ここで「魂」という言葉はよく使われている。人間が死んだ後、魂が体から飛び出して、天国へ行くとかある人たちは信じている。ところで、物理学者のハイゼンベルクとパウリの対話[3]の中で、「魂」に話し及ぶことはあった。二人が自然における中心的秩序の存在の問題について話し合っている時に、突然、ハイゼンベルクは「魂」という言葉を使った。魂が本当に存在するかどうかはともかく、科学者として、こんな非論理的な語句を使うのは、つまり、魂という用語は現在の自然科学の先端をゆく人々にとっても、重要な用語として用いられているのである。ハイゼンベルクは「魂は存在の中心的秩序を示す」と言った。これは筆者は、「中心は空である」と言うのも同じであろうと思う。ここに中心として据えるものは、ある種の曖昧さを持つものでなければならない。いわゆる、「中空構造」というものである。

「中空」というのは、肝要な中心におけるものが充実しているものでなく、かえって虚無的なものであることである。その上、何か微妙なバランスが存在している。この常識と違う構造こそは本文が探求したいものである。世界中に、多くの学者はこれについて研究しつつけてくる。

十九世紀もまさに終わる頃に、フロイトによる精神分析学の萌芽が生じてくる。フロイトは「無意識」の存在を主張し、それが意識の世界を超えた心全体を問題とするものと思っている。文字どおりに、「無意識」の「無」も、「魂」と同様に虚しい感じをしている。フロイトは人間の無意識に注目し、そこは本能的な欲求に満ちていると考える。彼が中心に据えたものは「科学の知」であった。無意識の力を認めつつも、彼が意図したことは、それを理性によって分析しつくすことであった。

科学を中心に据えて現代の文明はますます発展すると思われたが、最近、われわれはそれに対する疑問を感じ始めたのである。気の早い人は、科学の代わりに中心に据えるものとして、「東洋の知」や「オカルトの知」にとびついた。自然科学という中心を失ったのみではなく、その他のものを中心と考えていた人も、最近強い中心喪失感を味わっているのではないだろうか。このような感じがするのも、虚無主義が現在では強くなっているからである。日本では、この思想も既に人々の心の底に刻み付けていた。

逆に、中国などの地域では思想の中心は主に充実しているものである。たとえば、古代中国は清朝まで長い時間に専制君主制という制度を行ってきた。「皇帝」という人は人民の指導者として、国の財務、建設、外交など各方面で絶対的な権威を持っている。「皇帝」が決めたことは、誰でも反対する権力がない。その時の中国ではやっている思想は「中実」であると言えなくてはならない。

1.2 日本から見る「中空」

日本では、こんな昔話がある。「難波に住む子供のない夫婦が、住吉明神に祈願して男子を授かる。背丈が一寸なので、一寸法師とよぶ。12、13歳の頃、京に行き、三条の宰相殿に仕える。16歳のとき、13歳の殿の姫を見そめ、一計を案じ、寝ている姫の口に米粒をつけ、米を盗まれたとさわぐ。だまされた宰相殿は、法師に姫を殺せと命じる。姫を連れて難波に下る途中、風に流され、鬼がいる島に着く。法師は鬼に食われるが、目から出ては飛び回るので、鬼は打出の小槌を捨てて逃げる。小槌を打つと、法師は一人前の若者になる。法師はさらに金銀を打ち出して京に上り、姫と結婚して出世する。」[4]

これは皆が知っている一寸法師の物語である。ほかにも、桃太郎、金太郎とか、話の主人公は全部体が小さくても、すごい力を持っているものである。西洋の物語の中に巨人が多く現れているとは違って、日本人は「小さい子」を偏愛している。中心であるものを縮んで、あるいは「無」にすることは日本人の好みであろう。これも「中空」の一つの表現と思えられる。

日本の各方面から「中空構造」の影が見出すことができる。たとえば、日本で推賞されている俳句は五・七・五の十七音節を基本とする短詩型の文芸である。世界で最も短い詩歌として、日本人に大変受け入れている。山、川、木などの景色や人のさまざま複雑な感情と一緒に、余計な部分を削除して、ただ十七の音節に圧縮するのは見事なことである。また、日本でたくさんある神社に行くと、いくつかの仏像が祭られているが、真ん中にはほとんど仏像がないのである。真ん中という中心の位置に据えたのは「無」あるいは「空」というものである。

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