摘 要
中文摘要
从秦朝至清朝的 2000 多年间,中国是亚洲历史舞台的主角,中国文明强烈地影响着亚洲国家。日本、朝鲜以及后来独立的越南,均以中国为文化母国,大规模地接收和容纳中国文化。日语是在古汉语的基础上演变发展而来的一种语言。现代日语中的大部分汉语词汇都是唐宋时期从我国引入的。随着汉字的传入,我国古代典籍及文学作品也传到日本,这里面就有我们所熟知的四书五经、老子、庄子、荀子、管子、左传、史记、汉书、后汉书以及唐宋八大家的诗词文章,所以在日语词汇中很多汉语词仍保持着古汉语的词形和词意。
本文想通过对日语词和古汉语词的词义词性解释以及变化的比较分析,对日语词和古汉语词某些词的词义词性变化等方面进行研究。有些汉字词完全照搬古汉语的词义词性,但现代汉语已不用了。有些词语虽然在现代汉语依然在使用, 但词义和词性却发生了改变,通过对日语中依然使用的古汉语词汇的研究,可以让人们了解日语与古汉语词义,词性的差异的实态,了解古汉语对日语的发展所起的重要作用。
关键词:古典汉语;日语;词义;词性;词类活用
目 次
目 次
はじめに 1
- 古典漢語の伝播 2
- 古典漢語の由来 2
- 古典漢語の吸収 3
- 語義の一致性 5
- 単音節語語義の一致性 5
- 多音節語語義の一致性 7
- 品詞活用の一致性 10
- 名詞の活用 10
- 形容詞の活用 11
- 動詞の活用 13
- 語義の変化 15
- 語義の拡大 15
- 語義の縮小 16
- 日本語と古典漢語の相互影響 20
- 古典漢語が日本語に対する影響 20
- 日本語が漢語に対する影響 22
おわりに 24
参考文献 25
謝 辞 26
はじめに
はじめに
中国語は世界で歴史が一番長い言葉の一つである。古代中国は高度発達の文化を持ち、善隣国家に対して深い影響を与えた。多くの外国の言語には漢語が存在し、日本にはまだ完全な古典漢語の読み方が保留されている。古代漢字は朝鮮を通じて日本に伝わり、日本語の文字として記録されているだけではなく、日本が文字を創造するの基礎になっていた。日本は吸収の漢字に、すでに日本語の主要な成分になり。そして、時代の移り変わりと歴史の変遷とともに、一部の漢字の意味が変化し、ある言葉は古典漢語の意味を保留している。そのため、日本語と古代漢語は語義、品詞活用には緊密な連絡が存在している。
本文は、古典漢語の伝播と発展、単音語、多音詞語義の一致性、名詞、形容詞、動詞の活用及び語義の保留や変遷などのいくつの方面を分析する、それによって古典漢語は日本語の文字の発生と言語表現方式の多様化について貢献を証明する。しかし、影響は相互に、日本語は中国語にも一定の影響がある。例えば:「幹部」は日本語に由来しているという。両国は相互の勉強と交流の中で、それぞれ発展と進歩を得る。
1 古典漢語の伝播
古典漢語の由来
漢字が日本に伝来しない時、日本は自分の民族の言葉だけしかない、自分の文字がない。既存の文物と史書から記載、漢字が日本の歴史に伝わってきたと推測できる。王莽の時期に作られたという「貨泉」の通貨は、日本糸島で出土した。「貨泉」は、最初の漢字が日本に伝わったのかもしれない。また、日本にある長崎、熊本、広島、京都、大阪などの地の出土品は、全てこの種類の中国古代通貨を発見して、その上では“貨泉”や“貨布”の漢字があることを刻まれる。1784 年、日本の農民は福岡県誌賀島水田で、金印を発見して、印は篆書体が「漢委奴国王」五字が刻まれる。その後、当時の著名な儒者亀井南冥の鑑定、この金印は中国の『後漢書』に記載の漢光武帝の賜物印章。上述の史実は、纪元一世紀漢字が日本に導入したと表明している。しかし、当時はまだ漢字を自分の文字として使って、まだ系統的に漢字に接触がない。西暦 3 世紀、大量に汗籍の日本に入って来て、その時日本はまだ本民族の文学がなくて、仕方なく外国文学を借りて空白を埋める。社会の発展につれて、日本人は文字を使って書く必要がある。紀元5世紀末、日本人の祖先は漢字を使って日本語を記録し始めて、宮廷文書などは漢字で書く。「万葉集」は漢字の範例を活用する。
西暦 7 世紀から 9 世紀、この時はちょうど中国の封建社会の盛り隋唐の時期に、日本は全面的に中国の文化を吸収するのを始めた。中国の漢字の文化に従って、インドの仏教も日本に入って来て。中日の文化交流は高潮に入って、この時、日本は使節を派遣するを通じて、留学生と留学僧など、中国から大量の
汗籍を入力した。推古王朝の時期、聖徳太子が度々に留学生を派遣して中国が学習と、そして各氏族の子弟を招集して漢字で書かれた文章を学んで、中国の文化を吸収すると主張して、漢字はだんだん日本で伝播した。
古典漢語の吸収
日本は古典漢語の進化と吸収に長い歳月を経て。大体以下の幾つかの段階: 音訓段階、万葉仮名段階、片仮名と平仮名段階、漢字仮名交り文段階。
(一)音訓の発生
中国語と日本語は完全に異なる二つの言語に属するから、漢字が日本に伝わったのはすぐに日本語に溶け込みできない。音読みは日本語の漢字は中国語の発音によって読んで、これは日本語の発音の基礎の上で合っているので、我が国の古代漢字の発音を真似て形成した。訓読みとは、古典漢字の字義を借用した、依然として日本の元の発音によって読むことである。
(二)万葉仮名の発生
「万葉仮名」またという「真仮名」、奈良の初期(8 世紀初め)が発生して、その使い方は主に日本の古典の名著『万葉集』の中で、そのため名声を得る。真仮名とは、真名というのは漢字、仮名は漢字の一種類の仮借と偽で使う。彼らが漢字の中から日本語の発音と同じか、近い字を探し出して。この時の漢字は表意の記号ではなく、ピンインの記号。日本の重要な文学作品『古事記』、
『万葉集』などはすべて万葉仮名の形式の記録した。
(三)片仮名と平仮名の発生
片仮名と平仮名は万葉仮名から発展してきた。吉備真備は漢字の字画の一部だけを取った「片仮名」がある。日本僧侶空海は、漢字の草体化、簡略化「平
仮名」がある。片仮名と平仮名は漢字簡略字画を形成して、文字工具は簡易な要求に合って。
(四)漢字仮名交り文
片仮名と平仮名は出現以後、日本語の表記形式は純漢字から「漢字仮名交り文」に発展して。今までに、「漢字仮名交り文」は日本に常用する文字形式になっている。仮名と漢字と一緒に日本の文字システムを構成している。明治維新後、日本人は西洋文化に間に合うように、西洋の文化を勉強して、多くの学者は西方の文字を研究して、日本の文字には欠点がたくさんあると思う。例えば:漢字を複雑にして、手間がかかる、仮名は似て、識別しにくいなど欠点は国民教育にはならない。日本人は文字改革の必要性を認識しまった。当時の多くの過激な主張を、あるいは漢字を廃止すると日本の近代化と民主化が実現できないと思った、これから「制限漢字」も「漢字廃止」運動を起こして。でも、漢字は日本で既に 1600 年余りの歴史を持ち、日本の重要な典籍と文物はすべて漢字を使って記録した、廃棄漢字は歴史を切り、日本人と彼らの伝統文化と隔絶した。最終的に漢字制限を決めて、漢字の数量を圧縮した。1919 年日本は『漢字整理案』を提出し、字数は 2600 字として。1946 年に日本政府は「当用漢字 表」と発表した、字数は 1850 として。1949 年に発表した『当用漢字字体表」では、800 ぐらいの当用漢字の字形を整理して、同時に異体字として処理した。
1977 年に『新漢字表試行草案』を発表し、字数は 1900 個。試用と研究の後に、1981 年十月、日本政府が正式に発表した「常用漢字表」と明確に規定して、公文書、新聞、雑誌などの一般社会生活に使う漢字の字数は 1945 字として。
語義の一致性
単音節語語義の一致性
古典漢語の特徴の一つは単音語が大多数を占めている、現代中国語になったり、単音語なくなった、あるのは換えて別の 1 種の言い方は、もうひとつの同義詞を結び付けて。類義語や反意語は新しい複音言葉を構成した。しかし、日本語の中ではまだ古典漢語の語義、品詞とまったく同じ単音語を見ることができる。下記の例を見よう。
a、「隅」(すみ)
「隅」は、日本語には「 囲まれた区域のかど。また、端の方。すみっこ。 ある場所の中心やその周辺でない所。」という意味を表す。これも古漢語の意味である。
课题毕业论文、开题报告、任务书、外文翻译、程序设计、图纸设计等资料可联系客服协助查找。微信:bishe985 QQ:3236353895