对日本化妆现象的研究毕业论文

 2021-04-03 11:04

摘 要

本论文对化妆这一行为为什么在日本如此的普及和日本人化妆的心理和效果又是怎样的为目的进行研究分析。

第一章叙述了化妆文化史。首先以化妆的历史因素为代表,论述日本的化妆文化在各个时代的现象和特征。其中,以现代的化妆文化为主。在明治维新约 140 年间,日本的化妆吸收了西洋的化妆流行元素,但和西洋的化妆流行不完全相同。正因为这个差异,反映出当时日本的女性们生存的社会和文化。

第二章对日本人化妆的理由进行分析。通过化妆可以把想要隐藏的部分隐藏, 把想要显露的部分显露,这此过程中,不仅只有化妆人本身面向于自己的意识也会有面向于其他人的对他意识。因此化妆的效果也存在“对己实现”与“对他魅力” 两种效果。

在第三章中,对化妆的行为产生对社会的影响和经济,医疗,人际关系等三方面进行了分析。在日本,化妆在医疗方面上的作用也很活跃,引人注目,涉及对高龄者的心理治疗和精神方面的治疗等等,也就是可以通过化妆达到医疗效果。我们可以通过化妆向社会展现自我,通过化妆提高心理素质,并在化妆过程中能够提高生活质量。除此以外,日本化妆还影响日本的经济,在日本金融危机时, 在一定程度上解决了日本得经济问题。在人际关系方面,化妆也起到促进的作用, 拉近了人与人之间的距离。

关键词:化妆行为;化妆心理;日本文化;化妆历史;医疗

目 次

はじめに 1

1 日本の化粧について 2

    1. 日本の化粧の発展 2
    2. 日本の化粧の意味 4
    3. 日本人が化粧に対する態度 5

2 化粧する理由 6

    1. 自己認識を高めるため 6
    2. 他人に魅力を現すため 7
    3. 自身の注目度を高めるため 8

3 化粧行為の影響 10

    1. 日本経済への影響 10
    2. 日本医療の発展への影響 10
    3. 人間関係への影響 11

終わりに 13

注 释 15

参考文献 16

謝 辞 17

はじめに

私は日本語を勉強する時、日本人の化粧文化に触れ、日本人の化粧はわれわれ中国人の每日の歯磨き、顔を洗うように日常活動の一つであることを実感した。日本人の化粧に対して主に感じたのは日本の女性はほとんど化粧をすることで、たまに化粧した男性の姿も見えるようなことである。

日本人にとっては、化粧品は付属品ではなく、もうすでに日常生活の必要品になっている。化粧によって、化粧した人の心理的な状態に変化を与え、例えば、化粧すると、安心感が生まれたり、自分への自信が高まったり、自分がより若々しくなったと自己認知したりする。

化粧における研究は、様々な分野で行われているが、本論文は化粧文化の方面から研究したい。本論では化粧の心理効用と医療効用をメインに考察し、社会文化の一種である化粧文化の働きを明らかに追究してみようと思っている。本研究は、化粧はどんな心理効用がもらえるか、そして、これらの心理変化を利用して、医療上でどんな役割を果たしているかということを明らかにするつもりである。そして、化粧の文化性と社会性を深く研究し、日本人が長年養成した美意識を考察し、化粧文化が日本文化上の意義も改めて見ていくことを

目的にしている。

1 日本の化粧について

日本の化粧の発展

日本は中国と同ように、長い化粧文化史を持って、古代の日本の化粧はほとんど中国の化粧を模倣していたと言えるべきだ。石器時代の土偶をはじめとして、古墳時代の日本人では、左右の頬に朱を塗っている。3世紀に書かれた中国の史書『三国志』の「魏志倭人伝」のなかに、日本人がこのようなことをするのは中国の化粧のようであると記し、『日本書記』の神話伝説のなかでは、海彦·山彦の話にもあるように、顔に朱をつけるのは服従の意味を表すものとしている1。

国風文化を発達し、だんだん唐の影響を脱して優美な和様が主流になった。化粧においても、眉、白粉、お歯黒、紅の化粧いわゆる伝統美の基本が形成される。

万葉の時代には、貴族文化が発展するとともに、本来の眉を拔き、自然の位置から額の上部に描き眉をする風俗を生み出した。同時にこの時代、お歯黒2風俗も始まり、貴族社会では女性の成人になったしるしである。

日本の近世には、いわゆる日本髪は、髪を結い上げた結果、顔全体を露出させて文化を発達させた。江户前期では、額の形をよく見せるために生え際の化粧、際化粧が、後期には衿足をすっきり見せる衿化粧が発生し、日本的な顔の化粧美を成熟させていった3。

明治維新によって変わったには、政治や社会制度だけではない。日本人の化粧もまた、ここから大きく変わっていく。江戸時代の化粧文化は確かに高度なものであったけれど、鎖国政策の下でお話である.問題は、開国後に多くの外

国人がやってきた。彼らの目から見た当時の日本人の化粧は決して美ではない。日常的なお歯黑と眉化粧は野蛮とされ、世界一醜いであった。

明治 16 年、上流社会の社交場として鹿鳴館が建設され、西欧化の政策がとられたとはいえ、まだおしろい全盛の和風化粧で、そのほかに、紅、眉墨、髪油、洗い粉などが普通に使われていた。そのときは、日本全般西洋化で、化粧服装から日常スタイルまで西洋をまねてきた。

1970 年代に入り、女性解放運動の影おを受け、人前では素顔を見せないという江戸時代の武家社会以来の化粧観が崩れはじめた。素顔で公の場に出る女性が登場し、「素顔も顔と」いう声が高まった。

90 年代に入り、女性の自立は絵に描いたモチではなく、今度は実現できそうであった。経済的不安がなければ、結婚しなくてもやっていけると追思った女性は、「知的な女」という姿势が現れた。フューシャビンクの口紅は 90 年代のオフィスの定番カラーとなった。

日本の化粧文化史を顧みるとすれば、二つの部分に大きく分けている。明治維新を境界線にして、その以前の日本化粧は伝統的な化粧と言えるが、その以降のは西洋化粧まねの化粧だと言える。

伝統的な日本の化粧は、眉、白粉、お歯黒、紅の化粧に大きく分類できる。今からみると、ぜんぜん美しく見えない化粧だと言えるだろう。特に、剃り眉とお歯黒。そして、現在の化粧観から見れば、伝統的なは化粧は人をきれいになるわけではない、むしろ化け物になったのではないか。それは、文明未開化のしるしの一つであり、化粧礼法としでの化粧である。明治維新から約 140 年の間、日本の化粧は、西洋化粧を取り入れつつ、西洋の流行とはいつも少しず

れていた。そのずれにこそ、日本の女性たちが生きてきた社会や文化が映し出されているのではないか。

日本の化粧の意味

日本の化粧は主として顔に紅をつけたり、白粉をつけて装い、自分および他人に美しく見せることをいう。人類の誕生以来のもので、現在では身だしなみとして欠くことのできないものとされる。つまり化粧は、未開社会から始まって文明社会に及ぶものであり、同時に世界共通の事象であり、身分の上下のない普遍的な事柄でもある。ことに晴の儀式や祭礼、耕作などの年中行事のおりには、ひときわあでやかな化粧をして、神の心を和らげ、豊年を祈念する風習は、宫中の盛儀や民間の行事として根強く存在している。

今は「化粧とはなにか」と問うと、おおかたの答えがメークアップとなるが、それは狭義の化粧である。化粧を広義にとれば、人類学などの従来を参考して、次の三つに分類する。

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