摘 要
众所周知,日本是一个很擅长吸收外来文化的国家。尤其是明治维新后,日本积极引入欧美国家先进的经济、政治、生活等各方面的成果,并且给饮食生活带来了很大的影响。本文以代表性的油炸食品为中心,探究日本在与外来文化交流的过程中如何吸收外来文化,如何改善外来饮食从而形成独特的日本饮食风格。
论文首先介绍古代至现代的日本油炸食品的历史,其次详细阐述日本从平安时代至今的油炸食品的发展,以及每个历史时期代表性的油炸食品不同的特征。然后分析随着油炸食品的流行给日本人带来的健康问题。最后从油炸食品的角度探究日本吸收外来文化的特征。日本积极的引入外来食文化,逐步改进油炸食品的制作方法和素材,在发展的过程中逐渐具备日本文化独有的特征,体现了以我为主的活学活用的精神。
关键词:食文化;外来文化;吸收;油炸食品
要 旨
日本は外来文化への受容性が強い国だとよく知られている。特に明治維新以降、日本は欧米の経済・政治・生活などあらゆる分野の成果を積極的に導入した。こうして食生活にも大きな影響を及ぼした。本稿では、日本の代表的な揚げ物を中心として、外来文化と交流しているうちに、日本はどのように外来文化を吸収し、どのように外来の食文化を改善し独特な日本食文化を形成したのかを研究したい。
本文はまず古代から現代まで日本の揚げ物の歴史を紹介する。次に平安時代から現代までの揚げ物の発展を詳細に述べ、時代によって代表的な揚げ物の違う特徴を探求する。そして揚げ物の流行とともに、日本人にもたらした健康問題を分析する。最後に揚げ物の発展から、外来文化を吸収する特徴を探る。本文の研究を通して次の内容を明らかにした。日本は外来の食文化を積極的に導入し、揚げ物の作り方と材料を改善し、発展するうちに、徐々に日本独特な特徴を備え、自分の文化を主として、外来文化を学びことを活用する精神を現れた。
キーワード:食文化;外来文化;受容;揚げ物
目 次
- はじめに 1
-
揚げ物の発展と影響 2
- 揚げ物の起源 2
- 揚げ物の発展 2
- 揚げ物による食生活の変化と健康問題 3
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外来文化を吸収する特徴 7
- 外来文化への開放性と包容性 7
- 外来文化への反省と改善 7
- 折衷料理の流行——和洋融合 8
- 終わりに 9
参考文献 10
謝 辞 11
揚げ物から見た日本の食文化における外来文化の受容
はじめに
食事が人間の生活に及ぼす影響の大きさは言うまでもないことである。
日本食が淡白な味を主とするのはよく知られている。しかし、油脂が多い揚げ物も日本代表的な料理の大切な部分である。それにから揚げ・とんかつ・天ぷらなどは美味しく、どこでも見られる。日本の揚げ物は多くの国の優秀な食文化を吸収し、形成したものである。例えば日本の代表的な食物の天ぷらはポルトガルの文化の産物である。(渡辺実,1976)しかし揚げ物に関する研究は僅少であり、断片的なものである。 加藤美池の『食用油脂Ⅱ油脂に歴史』は油の起源からてんぷらとトンカツまで、揚げ物の発展史を説明した。原田信男の『江戸の料理と食生活』は江戸時代の代表的な天ぷらと当時民間の人気メニューを述べた。安達巌の『日本の食文化の起源』は詳細に日本の食物の起源を探求した。これらの研究の角度がそれぞれ違うが、文化の視点から、日本の揚げ物の発展を研究する文章はない。
本稿では代表的な日本料理の一つとして、揚げ物はどのように今日の形になったのか、揚げ物の発展から、日本は外来文化を吸収する特徴を探りたい。この研究を通して、日本人は外来文化への態度を考え、日本文化における外来文化への受容を研究し、更に日本の文化を理解したい。本稿ではまず日本の揚げ物の起源を述べる。次に揚げ物はどのように発展し、食生活にどのような影響をもたらすのかを分析する。最後に日本が外来文化を吸収する特徴を分析したい。
揚げ物の発展と影響
揚げ物の起源
揚げ物とは、多量かつ高温の油の中で、食品を加熱するという伝統的な料理の調理方法で、作った食品である。
日本では神功皇后のころ製油の技術が知られていた。平安時代まで油を使う食物が大きく発展した。鎌倉時代、禅宗の流入に伴い、中国風の食品・調理法が伝来し、精進料理の発達に寄与した。前時代により、仏教の戒律によって、精進料理は肉や魚を使わない料理だが、野菜ばかりでタンパク質と脂質が不足であることから、中国風を模倣し、植物を油で揚げる風潮が盛んになったと言われる。安土桃山時代中世末期ポルトガル人すなわち南蛮人が来航し、南蛮の文化とともに南蛮料理が輸入されるようになった。南蛮料理の中で最も代表的なものには天ぷらがある。これが天ぷらの起源だとされている。江戸時代に菜種油と胡麻油の増産によって、天ぷらは大衆料理として次第に庶民の食卓に登場してきた。天ぷらが人気を博した屋台の食べ物として庶民は好んで食べたと考えられる。
明治時代には、西欧文化の影響を受け、カツレツ・コロッケなどの洋風の揚げ物料理は徐々に庶民の生活に広がるようになった。昭和時代、とんかつ・コロッケ・サンマのフライなど揚げた洋風料理は飛ぶように売れたと言われている。現在、日本人は年齢を問わず、唐揚げ·フライドポテト・天ぷら・トンカツ・コロッケなど揚げ物を好む。
揚げ物の発展
平安時代末期、社会の不安定が増大し、動乱で仏教にも変革が起きた。僧侶のなかには、真剣に仏教を志す人物が多かった。道元禅師を始めとする禅僧たちは、中国に渡り、仏教の修行を学びにやって来た。仏道では戒律を守って、肉食をしない修行者はよく菜食をたべ、「精進」の教えを常としており、精進料理を食する実践方法をやっていた。こうして禅僧たちは中国で禅宗を学んだ。日本に帰った後、禅院を開き、修行しながら、そこで精進料理を広めた。そうした禅僧達の代表とする栄西や道元などが有名であった。中国の食作法は野菜を中心として、開祖道元がこれを参考とし、日本の風土に合わせ、日本の精進料理を考案した。修行以外、重要な修行として、修行者は薪運びや水汲みなどのことをしないといけない。しかし、野菜ばかりである精
進料理は脂肪分が不足し、栄養の摂取は足りなかった。そして中国風料理をまねて、油で揚げた食物を食するようになった。
16 世紀には、南蛮料理がポルトガルから日本に伝わった。「長崎天ぷら」の祖として、最初の天ぷらは衣に砂糖・塩・酒を加え、動物性油で揚げるものであった。衣の味が強いため、何の味付けもせずに食するものであった。17 世紀になってから、これが関西に渡り、天ぷらの食材が変わった。動物性油に代わり、野菜を中心としたタネをごま油などの植物油で揚げるようになった。これは「つけ揚げ」とも呼ぶ。そして江戸幕府を開くに従って、天ぷらは江戸に進出した。当時有名であった「ゴマ揚げ」はごま油で日本橋の魚河岸で商われる魚介類を揚げ、庶民の中に広く広まったといわれている。
明治時代、明治維新の進行とともに、天皇はヨーロッパの食生活を提唱し、洋風料理 が徐々に普及し、コロッケなど数多くの揚げ物は庶民の食卓に侵入するようになった。また天麩羅と蕎麦を組み合わせた天ぷらそばが登場するなど、伝統的な和食と油を使 った料理との混交が見られるようになった。大正末期には、サラダ油が登場し、油を 使った料理はほぼ今日の形を整えるのである。
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