中日における『イソップ物語』訳本比較研究中日《伊索寓言》译本比较研究毕业论文

 2021-04-01 11:04

摘 要

古希腊《伊索寓言》传入中国和日本已有几百年的历史,学者们用各自国家的语言将它翻译出来。随着它的传播发展,相继有多种译本问世,其中收录的寓言数量也随之增加。由于各版译本的译者各不相同,身处的时代各异,因此不同作者、不同时期的译本都有各自的特点、认识角度、翻译方式以及翻译目的。在阅读这些译本的时候,很容易忽视译本的特征和译者的存在。

本文以中日两国不同时期的六个译本作为研究对象,通过对各个译本特征的把握和比较,研究《伊索寓言》在中日两国的传播发展过程,了解到了两国接受外来文化的程度、它们的价值追求和对外来文化的选择。

通过对两国译本的分析和对比,了解到两国对西方文化都有积极接受,在接受的过程中又对这些文化按照本国的需求加以改变,最后以能够为本国大众接受的形式在社会中传播。这种改变在译者翻译时就有具体表现,并且每个译本都有各自的侧重点。比如林纾的译本,使用意译的方法,并将故事的寓意改变成自己想要表达的内容;周作人和中国现代版的译本的翻译则主要是围绕儿童的道德教育展开的;1615 年的《伊曾保物语》将故事原本的寓意与日本社会中的佛教思想、儒教思想、忠君思想以及孝的思想相结合,显示了西洋文化与日本文化的结合;渡部温的译本作为当时的教育读物被翻译至日本;中务哲郎的译本则是以对人生教育为主。

通过本文的译本比较,认识到了翻译活动不仅仅只是语言之间的交流,也是文化交流和传播的过程。两国与西洋文化的交流以翻译书籍的形式进行,借此接受引进西洋文化,并将其与本国的文化加以融合。翻译和文化传播的结合, 更是促进了文学、教育、社会的发展和进步。

关键词: 伊索寓言 译本 特征 对比 文化选择

要 旨

ギリシャの『イソップ物語』(または『イソップ寓話』)は数百年前から中国と日本に伝わり、両国の学者によって自国の言語で翻訳されていた。『イソップ物語』の伝播と発展にともなって、各バージョンの訳本は相次いで世に出、中に収録している物語の数も増えてきた。異なるバージョンの訳本の作者がそれぞれ違い、訳者が生存した時代も異なっているため、訳本には各自の特徴、認識の角度、翻訳方法及び翻訳の目的がある。また、それらの訳本を読む時、読者達が訳本の特徴や訳者の存在を忘れる傾向がある。

本文は中日両国の各時期の六つの訳本を研究対象として、訳本それぞれの特徴を把握し、比較することを通して、『イソップ物語』が両国における伝播や発展の過程を研究し、外来文化を受け入れる程度、両国の追求している価値観と外来文化への選択を理解したい。

両国の訳本に対する分析と比較を通して、両国とも西洋文化を積極的に受け入れ、その過程の中で、自分の文化を基準に社会の需要に応じて相手文化を受容し、変容したことが分かった。この変化は訳者が翻訳する時に表現された。それに、訳本もそれぞれ重点がある。例えば、林䋒の訳本は意訳の方法を使い、物語の啓示を自分の言いたいことに変えた。周作人と中国の現代版の訳文は主に児童の道徳教育をめぐって繰り広げられた。1615 年の『伊曽保物語』に、物語の啓示は日本社会の仏教思想、儒教思想、忠君思想及び孝の思想と結びつけ西洋文化と日本文化の融合を示した。渡部温の訳本は当時の教育読物として翻訳された。中務哲郎の訳本は終身教育を主とした。

翻訳は言語を跨ぐコミュニケーションだけではなく、文化を跨ぐ交流方式と伝播過程でもある。両国の西洋との文化交流は書籍の翻訳を通して行われた。翻訳を借りて相手文化を受け入れ、自国の文化と融合した。更に、翻訳は文化の伝播と結びつけられて、文学、教育、社会の発展と進歩を促した。

キーワード: 『イソップ物語』 訳本 特徴 比較 文化選択

目 次

序 論 1

第一章 時代背景の比較 5

    1. 中国の訳本 5
    2. 日本の訳本 6
    3. 中日訳本の時代背景の異同 7

第二章 翻訳方法と翻訳目的の比較 8

    1. 翻訳方法と翻訳目的について 8
    2. 翻訳方法と翻訳目的の異同 11

第三章 翻訳用語の比較 12

    1. 翻訳用語について 12
    2. 翻訳用語の異同 14

第四章 啓示性の比較 16

    1. 啓示性について 16
    2. 異なる訳者による同じ物語の啓示性の相違 18

結 論 22

参 考 文 献 24

謝 辞

序 論

『イソップ物語』(または『イソップ寓話』)は、紀元前 3 世紀ごろイソップによって作成された古代ギリシャの説話集で、動物を主人公とする寓話に託して日常的な道徳教訓を説いたものである。現在伝わっている最古のギリシア語テキストは紀元後 2~3 世紀のものである。

中国は、翻訳歴史の長い国として、漢代の仏経の翻訳から今まで、二千年もの翻訳の歴史がある。明朝中期、ギリシャの『イソップ物語』が中国に伝来した。その後、『イソップ物語』が中国において広く伝播し、大衆に知られた。文学作品の翻訳が盛んになるにつれて、『イソップ物語』の中国語訳も多くなってきた。『イソップ物語』の動物キャラクターが中国人の文化観念と一致している故に、受け入れ安く、広く伝えられている。

今までの先行研究は、『イソップ物語』が中国に伝来してからの訳本の発展過程を紹介することが多い。しかし、作者がどのような理由を持って翻訳したのか、西洋文化の伝来に対する受容程度と文化選択の価値観はどのように表現されているのか、などの問題については深く研究する必要があると思う。『イソップ物語』が隣国の日本に伝来してからも何百年もの時間が経った。日本においてはどうなっているのか。

本論文は中日両国の『イソップ物語』の訳本の中から代表的なものとして三つずつ選び、一緒に分析した。これらの訳本は『イソップ物語』の翻訳史上に大切な役割を果たしたものである。

中国においては、明朝中期からイタリアのキリスト教宣教師利瑪竇(マテオ・リッチ)によって『イソップ物語』が伝えられた。利瑪竇の『畸人十篇』とスペインの宣教師龐迪我の『七克』の中に『イソップ物語』のいくつかの物語が引用された。明朝の天啓五年(1625 年)に中国最初の『イソップ物語』が独立した姿で登場した。それはフランスの宣教師が訳して中国の宣教師の張赓が筆記した『況義』である。そして、道光二十年(1841 年)広州に 81 話が収録された英訳本『意拾喩言』が出版された。光緒十四年(1888 年)に天津

日報で張赤山が編纂した『海国妙喩』が出版された。光緒二十四年(1898 年) に白話文版の『海国妙喩』が現れた。また、1902 年に黄海之が編纂した『泰西寓言』も出版された。1906 年、林紓と厳氏兄弟の厳培南、厳璩が共同翻訳したはじめて中国人が自分で翻訳した作品『ギリシャ名士イソップ物語』が出版された。外国語がわからなかった林紓は厳氏兄弟の訳したことを整理して本に書いた。1909 年陳春生の『伊朔評訳』と 1915 年孫毓修の『イソップ物語演義』も出版された。その後、1955 年に周作人が編纂した『全訳イソップ寓話集』が出版された。1981 年に人民文学出版社で羅念生、王焕発、陳洪文、馮文崋四人が共同編纂した『イソップ物語』が出版された。これらの訳本の中から林紓の『ギリシャ名士イソップ物語』、周作人の『全訳イソップ寓話集』と羅念生、王焕発、陳洪文、馮文崋四人が共同編纂した『イソップ物語』の三つの訳本を選んで研究を行った。これら三つの作品はそれぞれ清末、新中国時代、現代の代表的な訳本として選択した。私は時代別にこの三つのバージョンを選択した。建国前後と戦後の時期に、代表性のある訳本がその三つのバージョンである。

日本において、『イソップ物語』は、1593(文禄二)年に、イエズス会の手で天草において活字化されている『イソポのファブラス』が出版された。慶長末から元和の頃(1610 年代)の古活字本をはじめとして、数種類のものが確認されている。このうち最もよく知られているのは、「万治二年整版絵入本」すなわち伊藤三右衛門刊行の『伊曽保物語』(1659 年刊)である。1927 年、小学校の修身の教科書として用いられた渡部温の『通俗伊蘇普物語』が出版された。その後、福澤諭吉がヨーロッパから日本にもたらした教科書の中に、『イソップ寓話』が何話か含まれていて、それが慶長・元和の古活字本や万治の絵入整版本とはまた別系統の、新たな形式の『イソップ寓話』を日本に流布させるきっかけとなった。二十世紀の初期、江戸期の仮名草子や教訓本、心学書等々における『イソップ寓話』の影響を詳しく調査した武藤禎夫氏はさまざまな書物の中に『伊曾保物語』の寓話が取りいれられていったことを、逐一具体例をあげながら報告している『万治絵入本/伊曾保物語』も出版された。その後も

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