摘 要
2001 年 9 月 11 日,美国本土发生了最严重的恐怖袭击事件,包括文学在内各界都受到了巨大的影响。恐怖袭击所带来的灾难和创伤催生了以「9・11」为背景的文学作品, 反思自我的文学作品以及反映「9・11」过后人类境遇的作品。
与相关的「9・11」文学作品中,本文以西方的日语作家李比英雄的《支离破碎千万 象》为例,通过在异国他乡流离的爱德华的视角来探寻遭遇「9・11」越境者的境遇。
本文第一章围绕越境文学的特点阐述了“去母语化”以及越境文学作品群中“我”(主观个人经历的再现)的同一性。进而在第二章中主要介绍李比英雄,并以李比英雄的作品 为例探讨了中作者、越境者和主人公“我”的统一。
在第四章,详细讲述了支离破碎千万象所展示的世界。以「9・11」普遍受害者的视 角和主人公爱德华(同时又是作者的代言人)的特殊受害者视角还原越境者在这次恐怖袭 击中的境遇和心声,探寻越境者劫后余生的疗伤道路。
关键词:李比英雄 《支离破碎千万象》 越境 「9・11」
要 旨
2001 年 9 月 11 日、アメリカ本土で最も恐ろしいテロ事件が発生した。文学界以内各界は大きなショックを受けた。テロによる災害とトラウマのため、「9・11」を背景にし た文学作品や、自己文化反省の文学作品、そして「9・11」以降の人間の境遇を映し出 す作品が生まれた。
「9・11」についての文学作品の中で、本稿は西洋の日本語作家リービ英雄の「千々 にくだけて」を具体例にして、異郷で流離しているエドワードによって、「9・11」の目 にあった越境者の境地を探してみる。
本稿の第一章においては、越境文学の特徴をめぐって、「脱母語化」と越境文学作品 群の中の「わたくし」(主観的個人体験の再現)の同一性を述べた。
さらに、第二章では主にリービ英雄を紹介し、リービ英雄の作品を例にして作者、越 境者と主人公「私」の同一を検証した。
第三章においては、「千々にくだけて」の小説世界を詳述しながら考察していく。同 時に「9・11」で通常な被害者の視点と主人公エドワードの特殊な被害者の視点から「9・
11」における越境者の境地と本音を再現し、越境者が生き残った人生から自己治癒の道 を探求してみる。
キーワード:リービ英雄 「千々にくだけて」 越境 「9・11」
目 次
摘要 I
要旨 II
はじめに 1
- 先行研究 1
- 研究の目的 2
- 研究の方法 2
第一章 越境について 4
- 越境文学の脱母語化 4
- 越境作品群の「わたくし」 6
第二章 リービ英雄と「千々にくだけて」 7
- 越境人生の始まりーー「星条旗の聞こえない部屋」 7
- 微妙な記憶――「千々にくだけて」 8
- 「千々にくだけて」のあらすじ 9
第三章「千々にくだけて」における越境者の「9・11」 10
- 「9・11」について 10
- 潜伏する悪意 10
- 傷癒しの先端 10
- 流離するアイデンティティー 11
- くだけたエドワード 12
- 離れても迫ってくる「9・11」 12
- 「9・11」がもたらす崩壊 13
- くだけた母国 15
- 越境者との同化 15
- 非国民の抵抗 15
おわりに 17
参考文献 18
謝辞........................................................................
はじめに
テロ戦争ときたら、一般的に驚き、恐怖、怒り、悲しみ、憎しみ、悔しみなどという イメージが浮かんでくる。しかし、一部の文学作品は越境者の特殊身分によって、前述 のような一般的なイメージと違って、戦後の希望、傷癒しなどが見える。本稿は越境す る文学の一つの「千々にくだけて」について考察してみる。
先行研究
青柳悦子によると国家や言語の枠組みを越境した作家たちの活動はそもそも言語的 な小集団に属する者たちの固有の「マイナー文学」1(53)の部分であり、越境作品は母 語以外の言葉の力を通じて、多和田葉子のように世界への不信を訴え、多くの作者は自 分と自分の周囲の人々の生活体験そのものを作品化にしたそうである。いわば「集団的」 私小説の性質をもつのである。「境界地帯に生きる複数的自己の文章表現者としての出 現によって、<人生> と<文学>が新たな切り結びをみせはじめたようだ。」2(24)と青柳悦子が述べた。孤独な越境作家が求めているのは、いわば主観な人生の体験を小説世 界にしか表すことである。それで、吉原真 里も「漂う体験」について水村美苗の「私小 説」とリービ英雄の「星条旗の聞こえない部屋」における越境者の群像と結んで、故郷 やアイデンティティと言ったテーマで論じた。国家を問わず、純粋への憧れと自己認識 への求めに乗って、越境の人生は異郷人がふるさとを尋ねる過程とも言える。
越境文学における「わたくし」の点について、柴田勝二も越境作者と小説主人公との
「曖昧な同一性」3(40)-(42)を指摘した。越境の原因が色々ある。本稿が検討する対象は テロの被害者の越境者である。「千々にくだけて」の越境作者リービ英雄は「9・11」の 被害者であり、「千々にくだけて」の主人公も「9・11」である。つまり「千々にくだけ
1 宮田文久 (2012)リービ英雄「千々にくだけて」を読む―「越境文学」の可能性 日本大学大学院総合社会情報研究科紀要。ここに「国民文学」としての主流に対して個人主観の体験に基づいて少数な小集団「越境文学」と指す。
2青柳悦子(2001)「複数性と文学 : 移植型lt;境界児gt;リービ英雄と水村美苗にみる文学の渇望」言語文化論集。生と文学の再結合つまりは新次元<私小説>。
3「曖昧な同一性」「星条旗の聞こえない部屋」のベンと「千々にくだけて」のエドワードはリービ英雄作品群の自己・
「わたくし」と曖昧に合致していると柴田勝二が述べている。柴田勝二(2014)「テロリズムと私小説 : リービ英雄の表現と『千々にくだけて』」東京外国語大学総合文化研究所
はじめに
て」の主人公エドワードの被害者身分は十分わかる。その特殊な身分こそ覇権中心を離 れ、特殊な視点からこのテロ事件が観察できる。このテロがもたらすショックは共的な 記憶である。「千々にくだけて」におけるエドワードが聞いたり見たりした恐怖の光景 はリービ英雄が伝えたいことそのものである。「無数にくだけたことばを聴くエドワー ドは、夥しい音、声、文字を幾つもの時空と結び合わせる。音の複数性は、幻の複数性 につながり、それはたった一つの強固な幻(復讐)に抗するものとして、翻訳家エドワー ドを支える。」4(143)という小説の巧みを藤田祐史が評価している。
研究の目的
戦争は平和な年代でも平和な国でも避けるべき話題ではない。今日は戦争がなくても、 未来は戦争がなくても、戦争の歴史は人類発展の歴史の一部である。戦争の罪を見なくても戦争が気付かなくても、戦争によってもたらされた傷と戦争が伝えている不気味さは消せない。「9・11」によるトラウマは通常的・普遍的にアメリカ人の恐怖と復讐心を呼び起こす。しかし、相対的に「9・11」における被害される越境者は国境という枠組みを超えて、恐怖と復讐以外のものも見える。それで、二重身分の越境者の「9・11」における境地を探求してみる。
研究の方法
本稿はまず先行研究を参考にし、日本語における言葉遣いの「越境」の定義や表現を まとめ、ほぼの状況を説明する。越境者とエドワードの同一性が合致していることを検 証する。それから、リービ英雄の小説「千々にくだけて」におけるエドワードを越境者 の群像として、「9・11」で「帰りたい」という越境者の姿を取り出すのである。エドワ ード(「わたくし」)という妙な身分によって「9・11」におけるトラウマや母国への微 妙な同情をさがしてみる。さらに、「越境者」の身分と「9・11」と結んでアメリカの行 為への抗いを検討する。最後、エドワードによる母語・母国帰復の可能性と「9・11」 における越境者の境地を探究してみる。
4藤田祐史『「千々にくだけて」論 : 複数性・翻訳・俳句 (特集 文化翻訳/翻訳文化) 』跨境 : 日本語文学研究(2016)
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