平安時代女流日記文学に対する考察―『蜻蛉日記』#12539;『更級日記』の比較を中心に―对平安时代女流日记文学的考察—以《蜻蛉日记》《更级日记》的比较为中心毕业论文

 2021-04-01 11:04

摘 要

平安时代是自奈良以来深受中国影响的唐风文化向日本独自的和风文化过渡的时期。也是在这个时期,出现了世所罕见的女流文学繁荣的盛况。在此当中,《土佐日记》是纪贯之假借女性的身份,使用假名文字创作出的,堪称是日记文学先驱的作品。自他之后, 许多平安贵族女性开始使用假名,回顾自己的人生经历与情感思想,省视自己的内心进行日记文学的创作。而其中藤原道綱母是《蜻蛉日记》的作者,这也是世界上最早的女性日记文学作品。

本论文,以日记文学的代表作《蜻蛉日记》与《更级日记》的比较为中心,对女性日记文学的特质进行考察。首先对日记文学的定义,两部作品的内容以及两位作者的生平经历逐一介绍。然后在先行研究的基础上,通过举例对两部作品的叙述方法进行比较。最后, 分析总结女性日记文学的共性与个性。

关键词: 日记文学 蜻蛉日记 更级日记

目 次

はじめに 1

    1. 背景説明 1
    2. 問題提起 1
    3. 先行研究 2
    4. 研究方法 2

第一章 女流日記文学 4

    1. 日記と日記文学 4
    2. 藤原道綱母と『蜻蛉日記』 4
    3. 菅原孝標女と『更級日記』 5

第二章 『蜻蛉日記』と『更級日記』との比較 7

    1. 人称叙述 7
    2. 時間叙述 8

第三章 女流日記文学の特質 10

    1. 女流日記文学の共通な性格 10
    2. 女流日記文学の個性 10

おわり 12

参考文献 13

謝辞 14

はじめに

背景説明

異なった時代はそれなりの時代的な色彩がきわめて濃いジャンルがある。人間はジャンルをうみだす。ジャンルの誕生や滅亡は、その背景である政治、経済、文化、社会制度に密接に関連している。なぜなら、社会性を持った人間は必ずその客観的な条件の制約を受けるからである。そのため、文学史を見渡すと、同じ現象は二度と繰り返されない。いくつかの類似点はあっても、それぞれの時代のジャンルはきわめて独自である。平安時代の女流日記文学は例の一つである。唐風文化の影響から徐々に離脱し、独自の和風文化が創出される平安時代で、律令制成立のもと、儀式した政務を詳しく記録する国家日記から職務を担当した貴族の個人の私的な日記が生まれてきた。さらに、女性たちは国家日記や貴族私的な日記とは別に回想や内省内容を含める日記を作成し始め、文学性が高く、とても回想録風で、内省的な傾向が強く、女流日記文学と呼ばれ、平安時代に隆盛した。日本文学史だけでなく、世界史上にも非常に重要な位置を占めている。優れた女性たちはいろいろな作品を書いた。その中で、代表作としての平安女流日記文学の始まりと終焉の作と言える『蜻蛉日記』と『更級日記』は研究価値が高いので、従来、中日を問わず、多くの学者の注目を集めた。

中国で、近年以来、日本語を学ぶ人は年々増えている。大部分の学習者は古典文学作品より、近現代の日本の文学作品のほうを読むのが好きである。たとえば、東野圭吾の推理作品や村上春樹のベストセラーなどである。しかし、古典文学作品は古代から今に至るまで伝わり、読む値打ちがある。日本語を学んでいる外国人にとって、古典文学に対しての鑑賞や理解にも少し難しいかもしれない。そこで、私の視点から女流日記文学の特質を考察し、日本語学習者の理解を深めてみたい。

問題提起

『蜻蛉日記』と『更級日記』は平安時代の女流日記文学として広く知られている。優れた古典文学作品は時間が経つにつれて、作品の価値も時代の変化に応じて新たに見出

される。そこで、『蜻蛉日記』と『更級日記』との比較を行い、平安女流日記文学の特質に関しての研究に値する。両作者の生き方やものの見方、感じ方を理解する古典文学の魅力・面白さに触れ、豊かな感受性を身につけるとともに、生涯にわたり文学に接しようとする姿勢が涵養されることも求められる。

先行研究

長岡るみ(2007)[1]は叙述するには、いかようにであれ、対象を取捨選択せざるをえないことを指摘した。菅原孝標女が書いた『更級日記』は同時期の日記文学に比べて、記事の分量が少ないことははっきり見える。作者はこれを重視すべきと思っている。この論文では、まず取捨選択の必要性を説明し、その後違う角度から取捨選択の方法を分析し、「私」と「私」以外の人物との関係を詳しい例を通して、日記の構成を論証することとする。そのうえで、『更級日記』の時間叙述についても触れている。

宮崎壯平(2014)[2]は『蜻蛉日記』を中心に国文学における時間叙述方法を考察した。まず、『竹取物語』などの時間問題を分析して、物語の内容を経過する時間の中に位置づけて語る叙述方式を使うこと、および、それが『蜻蛉日記』に積極的な影響を与えることを指摘した。次に、『源氏物語』における洗練された時間意識を分析した。その後、例を通して、『源氏物語』に影響を与えた『蜻蛉日記』の特徴的な時間意識を論証する。

張玲(2008)[3]は日記文学の多様な人称叙述のなかで、一人称叙述は主としての叙述方法であると指摘する。『土佐日記』、『和泉式部日記』、『紫式部日記』などの人称叙述を分析し、『蜻蛉日記』と『更級日記』の例を挙げて、詳しく一人称叙述が日記文学においての意義と作用を論証する。

研究方法

まず、本稿は「文献研究法」を採用し、先行研究を参考し、摂政関白体制、国風文化の発展、仮名文字の発明などの平安女流日記文学の誕生の背景を紹介する。また藤原道綱母と菅原孝標女の自身の人生経験、社会の環境、文学の素養などを紹介する。次に、

『蜻蛉日記』と『更級日記』の作品の構成、形態、叙述方法や特徴などを分析する。そ

の後、両作者の人生経験などを結びつけ、その内容を比較する。最後は女流日記文学における共通点を挙げた上で、作品の特徴を指摘する。

第一章 女流日記文学

日記と日記文学

日記文学は日記と違うことである。この点についてはわれわれ必ずはっきり知っている。そして、現在日記と称するものは今の人々の私生活を記すプライベートなものである。日記文学は日記とぜんぜん同じものではない。

古来より、日本は中国と国交がある。当時、中国は世界的にも一、二を争う先進国で あったため、日本は小野妹子などに代表される遣隋使や遣唐使を中国へ派遣し、中国の 文化、技術や政治制度などを吸収しようとしていた。そこで、平安初期は中国文化の影 響が強く、漢詩文が盛んにつくられた。漢字も早く日本に伝えられた。当時の日記は宮 廷の行事や儀式などの備忘録であり、漢字で書かれた。894 年に遣唐使は廃止されたことがきっかけとなり、日本独自の文化が形成されていった。国風文化の始まりと言える。そして、日本独自の文字として平仮名や片仮名といった仮名文字が生まれた。この発明 と普及は国風文化発展の大きな要因で、その時代のすばらしい文学作品の誕生を促した。その中で、仮名文字による表現技術の深まりに伴って、自己の内面を自由に生き生きと 豊かに描くことが可能になった日記という新しい文学形式が『土佐日記』によって創出 されてから、主に女性の手で、藤原道綱母の『蜻蛉日記』によって平安女流仮名日記文 学が盛んになり、『和泉式部日記』、『紫式部日記』、『更級日記』などの創作が相次 いだ。

藤原道綱母と『蜻蛉日記』

朝日日本歴史人物事典[1]によると、藤原道綱母は本名が不明で、道綱を生んだので、道綱母と呼ばれる。女流日記文学作者で、平安時代の歌人、中古三十六歌仙の一人、三大美人の一人といわれている。家柄がよく、上級貴族である。伊勢守などを歴任した藤原倫寧は父は明確であるが、母は明確ではない。藤原春道の娘あるいは刑部大輔源認の娘と伝えられる。弟は藤原長能で歌人として有名である。『更級日記』作者の菅原孝標

[1] ここにある「朝日日本歴史人物事典」は 1994 年 11 月に朝日新聞社が発行した日本歴史人物事典である。

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