摘 要
本论文以日本近代社会背景和横光利一的两部作品 《苍蝇》与《机械》为中心,对两部作品进行了解读,将作品的梗概与其各自相对应的社会背景相结合分析,初步地总结了两部作品中比喻的意义。
西欧先进国家产业革命与第一次世界大战之后,在日本社会,人们以机械进行大量生产,城市里出现了汽车等交通工具,美国和法国等西方新文化流入到日本,被广泛接纳,使得当时的日本社会有了很大的发展。如此,在当时受到来自西方的文明与文化的影响逐步迈向新时代的日本,很多人为了追求财富希望去往城市。横光利一的早期作品当中就体现到了这一点。作品《苍蝇》中出现的六位马车乘客去镇上的原因从根本上来讲,就是为了追求财富和利益,而作品《机械》中所出现的三位在铜牌制造厂工作的职工也是为了追求财富流入城市的劳动者。另外,不同作品中的车夫和 “主人”作为中产阶级的代表,也同样是追求着更多利益与财富。
但是,随着机械文明的发展,出现了社会被机械化、复杂化的问题。无论是车夫和“主人”那样的中产阶级,还是《苍蝇》中的六位乘客以及《机械》中的三位职工那样的城市主体大众,都变得缺乏自主意识,人性逐渐开始走向毁灭。除此之外,由于战后恐慌、关东大地震、世界恐慌等问题的出现,使得人们对社会感到不安,焦虑。这更进一步激化了城市大众中存在的问题。但是其中还有另一部分人,如一些拾荒者、落难者等,在繁荣的城市,物质文明不均衡的情况下, 即便如苍蝇一般渺小又不起眼,但仍快乐顽强地存活在城市的各个角落里,像机械一样为城市不断地创造财富。苍蝇与机械就恰好代表了这样处在城市最底层的无理想、无思想、无尊严的人和物。
尽管暂时试着从两部作品中体现的比喻的意义中探寻机械文明时代下日本社会的伦理选择,但由于本论文的研究范围比较狭小,对《苍蝇》和《机械》的分析仍存在不足的地方。为了以这两部作品为中心更深入地分析研究课题,必须要更广泛地从各个方面研究,而这些也将是我未来仍要继续进行的课题。
关键词:横光利一 《苍蝇》 《机械》 机械文明 伦理选择
要 旨
本論は、日本近代社会の背景と、横光利一の『蝿』と『機械』を中心に、両作品を解読し、作品のあらすじをその対応する社会背景と合わせて分析しながら、両作品における比喩の意義を初歩的にまとめた。
西欧先進国の産業革命と第一次世界大戦の後、日本の社会では、機械による大量生産が行われている一方、自動車などの交通手段が出現し、アメリカやフランスなど西洋の新しい文化が流入、受容され、当時の日本は大きく発展してきた。こうして、西洋からの文明と文化の影響を受け、新しい時代へ進行している日本では、多くの人たちが富を追求するため、都市へ行くことを望んでいる。これは横光利一の早期作品にも体現していた。作品『蝿』に登場する六人の乗客が街へ行く原因は、根本的に富・利益を追求したいからである。作品『機械』に登場するネームプレート製造所で働く三人の職人ももともと富を追求するため都市へ流入した労働者である。また、それぞれ違う作品に登場する馭者と主人もプチブルジョア階級の代表とし、街でもう一層の利益と富を追求している。
しかし、機械文明の発展に伴い、社会は機械化、複雑化されるという問題が生まれ、馭者と主人のようなプチブルジョア階級でも、『蝿』での六人の乗客と『機械』での三人の職人のような都市の主体である大衆でも、自意識が乏しくなっており、人性が壊滅していく危機が出現し始めた。そのほか、戦後恐慌や関東大震災、世界恐慌などの問題により、日本の人たちは社会に対して不安を感じ、苛立っている。これは一層都市の大衆に存在している問題を激化した。しかし、その中で、ばた屋や苦境に陥っている者など、もう一部分の人たちがあるが、繁栄する都市の物質文明が不均衡する状況の下で、蝿のように小さく、目立たなくても、都市の隅々で楽しく、粘り強く生き残っており、機械という存在のように都市のため、絶えず富を作り出している。蝿と機械はまさしくこれらの都市の最下層にいる無理想、無思想、およびプライドなしの人と物を代表したのである。
さて、一応両作品に体現した比喩の意義から機械文明時代における日本社会
の倫理選択を探してみたが、本論の研究範囲は比較的に狭いので、『蝿』と『機械』の分析にはまだ不足なところがある。また、両作品を中心に、研究課題をさらに深く分析するためには、もっと広くいろいろな方面から研究する必要がある。これらは以後、私がやり続ける課題であると思う。、
キーワード: 横光利一、『蝿』、『機械』、機械文明、倫理選択
目 次
はじめに 1
第一章 横光利一について 3
第二章 『蠅』と『機械』のあらすじ 6
第一節 『蠅』のあらすじ 6
第二節 『機械』のあらすじ 7
第三章 日本近代社会の背景(1920 年代を中心に) 9
第四章 『蠅』と『機械』における比喩 11
第一節 『蠅』における比喩 11
第二節 『機械』における比喩 12
おわり 16
参考文献 18
謝辞 19
はじめに
横光利一は川端康成と共に新感覚派として大正から昭和にかけて活躍した作家である。『日輪』と『蠅』で鮮烈なデビューを果たし、『機械』は日本のモダニズム文学の頂点とも絶賛された。また「形式主義文学」論争を展開し、『純粋小説論』を発表するなど評論活動も行い、長編『旅愁』では西洋と東洋の文明の対立をテーマとし、多彩な創作で多い成果を遂げたため、1935 年前後には「文学の神様」と呼ばれ、志賀直哉とともに「小説の神様」とも称された。代表作には『日輪』(1923 年)、『頭ならびに腹』(1924 年)、『機械』(1930 年)、『上海』(1931 年)、『純粋小説論』(1935 年)、『旅愁』(1937―1946 年)などがある。
横光利一とその作品に関する研究が少なくないようである。杣谷英紀『横光利一「蠅」の隠喩』(『日本文藝研究』第 48 巻第 4 号,1997)、日置俊次『横光利一における昭和五年』(『青山語文』第 36 号,2006)、江後寛士『横光利一「機械」試論――心理ゲーム性について』(『近代文学試論』第 3 号,1967)、田口律男『横光利一「機械」論――ある都市流入者の末路』(『近代文学試論』第
24 号,1986)などが挙げられる。これらの研究には横光利一及び横光利一文学作品の創作手法や創作特色などが研究されていた。
横光利一文学作品の中で、『蠅』と『機械』はある意味で横光利一の文学観と当時日本社会における倫理選択を反映する作品であると言える。『蠅』には一匹の蠅と馬車、馭者、六人の乗客が登場する。蜘蛛の巣から逃げ出した蠅が馬にとまったことから始まり、馭者が饅頭をいっぱい食べたことで眠くなり、居眠りを始め、馭者と乗客六人全員が馬車といっしょに崖の下へ転落した。最後は蠅が生き残ったことで終わった。また、『機械』には主に主人、「私」、軽部、屋敷四人(細君と婦人は含まない)が登場する。工場職人の軽部は「私」 が主人の工場に来たのは、主人の秘密を盗むためでないのかと疑い、目を離さず監視し、そして工場に新たに屋敷という職人が加わった後、今度は屋敷の盗みの気配をかぎつけ、彼に殴りっかかることに変わり、やがてまた「私」を屋敷の共謀者と疑うことにまで発展した。最後は屋敷が劇薬で死んでしまうことで
終わった。『機械』は段落、句読点の極めて少ない独特のメカニックな文体を利用し、機械のように運動する複雑な人間心理の絡み合いが描かれている。
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