摘 要
樋口一叶是十九世纪末日本明治时代的著名女作家,也是日本近代批判现实主义文学早期开拓者之一。终身贫困并未埋没她的才能,而是在生活的不幸中寻求转机,使自身文学才能得到了最大的发挥。樋口一叶终其短短的二十五年生涯,为我们留下来一连串的不朽之作。一百多年以来,对于一叶文学的研究成果在不断充实,同时对其的价值的认识也在不断加深。
到目前为止,中国国内关于樋口一叶作品研究,还不是很多。近年来,大家都把研究的目光放在了一叶的中期著作和小说上了,对于其初期和后期的作品研究还是极少的。
《浊江》于明治28年9月发表在《文艺俱乐部》杂志上,是樋口一叶众多作品中的一篇短篇小说。
本篇论文将避开笼统的樋口一叶作家论,通过人物分析把研究的焦点放在其代表作《浊江》的悲剧性主题上。首先,介绍《浊江》的创作背景以及作品内容概要。其次,通过对作品中出现的结城和主人公、源七和主人公之间的纠葛,以及阿力的死的分析,呈现《浊江》主人公阿力的人物形象,并分析其悲剧性。
接着,分析作品中其他女性形象的悲剧性。
最后,通过主人公阿力与作者樋口一叶之间的关联性,分析作品悲剧性的产生原因。
本文在研读和借鉴大量先行研究成果的基础上,通过以上几个方面,对《浊江》悲剧性进行了进一步的探究。
关键词:《浊江》 樋口一叶 悲剧性 女性形象
要 旨
樋口一葉は十九世紀末、日本の文学史ににおける指折りの優れた女性作家で、明治の文学の一端を担った作家だと言っても過言ではない。一葉の小説は、大体社会最下層に生きている女性をめぐって、描写を展開したものである。
今まで、中国国内では樋口一葉の文学の研究は、あまり多くないようである。近年来、一葉の中期の小説と日記が注目されてきたが、初期と後期の作品に関する研究は極めて少ない。
『にごりえ』は明治二十八年九月に『文芸倶楽部』に発表され、短編であるが、一葉の代表作の一つとされている。
さて、本稿においては樋口一葉論とすることを避けて、この『にごりえ』という作品一篇にのみ焦点をあてて、先行研究を踏まえて、自分なりにこの作品を分析してみた。
先ずは、作品『にごりえ』のあらすじと創作背景を紹介して、それから、『にごりえ』のヒロインのお力をはじめ、女性像の悲劇性を分析し、女性の低い社会地位と哀れむべき運命をはっきりさせた。
最後に、ヒロインお力の特徴と一葉自身との関連性を考察して、『にごりえ』の悲劇性の成因を探究した。
キーワード:『にごりえ』 樋口一葉 悲劇性 女性像
目 次
はじめに 1
1.きっかけと問題意識 1
2.先行研究 2
3.研究の方法 3
4.研究の価値 3
第一章 作品『にごりえ』の紹介 4
1.創作の時代背景 4
2.『にごりえ』のあらすじ 5
第二章 お力の悲劇性 5
1.お力の人間像 5
2.お力と源七の葛藤 7
3.お力と結城朝之助の関わり 9
第三章 『にごりえ』におけるほかの女性の悲劇性 10
1.お初の悲劇性 10
2.お高をはじめ、菊の井に同じく酌婦である朋輩どもの悲劇性 11
第四章 作者一葉とヒロインお力 12
1.一葉自身の生き方 12
2.二人の共通点 13
終わりに 14
1.まとめ 14
2.本稿における不足及び今後の研究課題 14
謝 辞 15
参考文献 16
はじめに
1.きっかけと問題意識
相馬御風の言ったとおり、「明治のわが小説史上、単に短篇の作のみを以って第一流の地位を得た作家は、国木田独歩と樋口一葉の外はない。而して作品と生涯とが密接に相触れて、殆ど不離の関係を有している作家も亦、独歩と一葉の外にない。」[1]樋口一葉は日本近代文学史において異彩を初めて放った女流プロ作家で、優れたロマンチシズムの小説家である。それに、彼女は「紫式部にも負けぬ才女」「もっとも尊ぶべき作家」と文壇で非常に名高く評判されている。1872年に生まれて、25歳の若さで世を去ってしまった。彼女の文学的生涯は、明治二十五年(1892年)から同二十八年(1895年)に至る極めて短い期間に過ぎないが、今まで愛読された作品をいくつか世に残し、文壇に絶賛されている。一葉はそんなに名をなした所以のものはその生活によって鍛えられた彼女の不屈な精神が、たえずその文学を裏打して行ったことによると言わねばならない。根岸正純は彼の作品『近代小説の表現』に、一葉の作品を、大まかに、初期(明治二五年―七年)、中期(明治二八年)、後期(明治二九年)の三期に分けて考えられている。[2]それぞれの時期で、やや異なった作風によって創作した。とりわけ、中期は、一葉の代表作が連続的に執筆された時期である。その時期、一葉の作品は伝統に束縛された女性の反抗的な叫び声を反映したものが多く、それに、それらの作品に、作者自身の影が見られるのである。一葉の作品における女性は日本の都市の貧民階級を代表している。男性支配のそのときの社会では、女性として、どんなに運命に抗争しても、自分の意志で生きようとしても、終わりに悲劇になったわけである。秋田雨雀が、「一葉女史は日本の女に代わって『女に生まれた悲哀』を世の中に訴えたのだと見ていい」と言ったのは、動かす事のできない断案であると思う。[3]
一葉の短い人生を詳細に記されている日記を読めば、多くの作品に、作者自身の影が発見できる。例えば、『にごりえ』という一葉の中期の代表作の中で、最も個性的だと考えられる作品である。この作品の女主人公の「お力」と一葉は共通点が最も多いので、お力によって、一葉自身の性格、心理と経歴が再現されると言っても過言ではない。それゆえに、ここでは、その作品を中心に、『にごりえ』の人物性格分析、現実の中の作者の人生経歴との照合を通して、作品に出たそれぞれの人物の悲劇性、また作品に反映する明治時代の現実性を検討してみようと思う。
2.先行研究
先行研究を国内と日本と二つに分けて紹介する。
中国国内では樋口一葉についての研究は、近年から始まっているが、そして、だいたいは一葉の何かに対する「観」という論文や一葉本人に関する研究では、研究の大半は一葉本人の生き方から出発し、女性作家としての一葉の自己意識に対して、分析を行っている。近年来、一葉の中期の小説と日記が注目されているが、初期と後期の作品に関する研究は極めて少ない。樋口一葉の文学の研究は、『たけくらべ』や『にごりえ』などの作品に集中しているようで、主題の分析を通して、樋口一葉の作品を研究するものが多い。それに、一葉自身の人生経歴を研究するものも少なくない。例えば、屠茂芹は「一葉は、下層階級に生きる女性の悲しみに共感を持って描くと同時に、自分自身が苦難に対しての切ない体験によって、冷徹に見つめてもいる」[4]と指摘した。王暁寒は「一葉の中期の創作に、もう現実主義の特徴が著しくできて、日本の都市の貧民階級の代表としての女性に注目して、資本主義社会と封建論理道徳の二重の圧迫の下で生活に迫られている人々に同情している」[5]と述べた。
日本近代文学において、樋口一葉はもっとも名を馳せた女流作家であるため、日本における一葉に関する研究文献は数多く世に出ている。一葉本人及びその文学作品に関する研究が数多く、だいたいの研究は作者の個人経歴を根拠したもので、一葉の豊かな伝記が注目されている。新世社の『一葉全集』の「一葉研究参考文献書目」によると、ほぼ四百作である。国内の研究の視角の単一化であるのに対して、日本の研究は幅広くされている。作家論も作品論もある。作家論には、植村邦正の「樋口一葉入門」(一)(二)(三)(『名古屋女子大学紀要』29, 243-250, 1983-03-31)や屋木瑞穂の「樋口一葉と明治二〇年代文芸ジャーナリズム」(『大阪大学大学院文学研究科紀要』45,31-33,2005-03-20)や長峰麻衣の「樋口一葉の身体描写の研究」(『日本文学』102,71-86,2006-03-15)など。作品論には、宇井真理子の「樋口一葉『にごりえ』考 ―お力の死をめぐって―」(『二松学舎大学人文論業』58 ,268-269,1997-03-25)や宇佐美毅の「樋口一葉『にごりえ』―女たちの声―」(『国文学』解釈と鑑賞4,61-66,第56卷4号,1991);荻原桂子の「樋口一葉『にごりえ』論―<境界>という物語」(『九州女子大学紀要』人文∙社会科学編 37(1),45-52,2000-09)など。
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