摘 要
中文摘要
中日被动句有很多相似之处,但是也有很多各自的特点。日语被动句根据施事动作行为的影响是直接还是间接,来区分是直接被动句还是间接被动句。当谓语动词的动作直接作用于主语的时候是直接被动句,当谓语动词的动作间接作用于主语的时候为间接被动句。山田孝雄(1908)认为,日语被动句有自己的独特的特点,他动词并不一定都能成为被动句的谓语动词,且自动词也能构成被动。自动词被动句一般被认为是日语被动句的特色。汉语被动句最基本的特征之一就是句子的主语是谓语动词的受事,作为其主语的一般是人,或是其所有物。所以被动句的谓语动词一般都是他动词(即及物动词),表示某一动作行为给动作行为的承受者带来一定的影响,且其影响一般都是消极的,有损的。但是事实上仍有一小部分自动词(不及物动词)也能构成被动句。
汉语的被动句其实是通过被动标“被”、“让”等来引发谓语动词所表现的状态或者变化,主语是该状态变化的主体。日语的自动词被动句,是用来表示主语因谓语动词所表示的动作行为的发生,间接地遭受麻烦或者不利。其主语是间接受事。本文将以两国语料库为研究资料,搜集相关例句,从中日自动词被动句谓语动词的对比分析,来探究汉语自动词被动句的成立条件。
关键词:自动词;间接被动;谓语动词;补语;完成
目 次
はじめに 1
- 先行研究 2
- 概念規定および題材と収集方法 4
- 日中の自動詞述語の受身 5
- 日本語の自動詞述語の受身 5
- 日本語と対応する中国語の自動詞述語の受身 7
- 中国語における自動詞述語の受身の成立 9
終わりに 14
注釈 15
参考文献 17
謝 辞 19
はじめに
『语言学名词』(2011)では中国語受身文を動詞述語句の一種と定義した。(1)
a、(2)a、(3)a のように、中国語受身文では受身の意味を表す標識“被”(“叫”、
“让”)などが付加され、文頭にある主語は人やもの、すなわち動作と行為の対象であり、また、動作と行為の実行者は受身の標識“被”の後に置かれる。
(1)a 我的老母鸡已经被人偷走了。(CCL)1
b 私の年老いる雌鶏は誰かに盗まれてしまった。(筆者訳)
(2)a 杯子被我打碎了。(CCL)2
b コップは私に割られた。(筆者訳)
(3)a 草被牛吃了。(CCL)3
b 草は牛に食べられた。(筆者訳)
日本語受身文は中国語受身文と共通する点がたくさんあり、例えば、同じよ うに動作と行為の対象である主語が文頭に位置すること。また、(1)b、(2)b、
(3)b のような述語動詞が他動詞の場合では、日本語の受身文が中国語の受身文と直接対応することができる。しかし、これで中国語受身文と日本語受身文
が完全に対応できるとは言えない。
- 私は毎日人に来られて、勉強できない。(刘姝 2005)
日本語の中で、(4)のような、自動詞「来る」を使って構成した受身文が典型的である。しかし、中国語では、“来”という動詞は自動詞であり、受身文の述語にはなれない。本論では、自動詞を述語動詞とする受身文は中国語においては成立し得るのかについて日中両語を比較対照しつつ、研究していくと思う。
先行研究
先行研究では、前の研究者の研究成果全般を取り上げることはあまりなく、日中自動詞受身文の比較研究について、代表性がある理論は次のように示す。
日本語の受身文の分類については、数多くの分類方法がある。寺村秀夫(1982:
74)によれば、日本語の受け文は「間接受身文」と「直接受身文」に分けられる。また、日本語の教材『新編日本語』(2010)によれば、「間接受身文」はさらに、「自動詞受身文」と「目的語がつく受身文」に分けられる。
中島悦子(1993)は日本語と中国語の受身文との比較対照については、普通中国語の受身は日本語の直接受身に対応し、間接受身に対応する受身構文はないというのが大方の見解であり、特に、自動詞受身文は日本語だけに見られる顕著な特徴で、中国語においては成立し得ないと述べている。
守屋広則(1995:283)は日本語の中の「雨に降られた」、「風に吹かれて」のような、自動詞による受身文は中国語には存在しない、受身文に使える動詞は、動作、行為の対象を表す目的語を従える他動詞でなければならないことを表すとしている。
馬建忠(1898:160-166)は“外动字之行,有施有受。受者局宾次,常也。如受事居主次,则为受动字,明其以受者为主也”、“凡行之留于施者之内者,曰内动字。内动者之行不及乎外,故无止词以受其所施,内动之不得转为受动者此也。” と述べている。ここの“外动字”は他動詞という意味で、“内动字”は自動詞という意味である。この段落の意味は中国語の中では、受身の表現に使える動詞は他動詞だけという。
梅暁蓮(2009)は中国語受身文の基本的な特徴は主語が述語の目的や動作の
対象になることである。主語になれるのは人や物、或いはその人の所有物のことである。従って、受身文の述語は他動詞だけに限定され、自動詞は受身文の述語になれないと述べている。
以上の先行研究ではいずれも、自動詞受身文が中国語の中に存在しない、自動詞受身文を日本語だけに見られるものとしている。しかし、刁彦斌(2006: 434-438)は、自動詞だけではなく、形容詞までも受け身表現の述語になれることを指摘した。また、范建华(1990)も自動詞が受け身表現に使えると考える。
- を見てみよう。ここの自動詞“溜”は受身文の述語になることが明らかにみえる。つまり、自動詞受け身表現が確実に中国語に存在することはわかる。
- 菲利普看见一个男孩打身边跑过,想上前将他抓住,可他一瘸一拐, 眼睁睁让他溜了。(CCL)4
本論では、日本語と中国語に本来存在する自動詞受身表現を全面的に研究し、日本語における自動詞受身文は中国語においては成立し得るのかについて、研究していくことにする。
概念規定および題材と収集方法
山田孝雄(1980:372)は日本語の受身は自分なりの特徴を持ち、他動詞は必ずしも受身の述語動詞になるとは限らない。また、自動詞も受身文の述語動詞になれると表すとしている。許明子(2004:98-101)は『日本語教育のための基本語彙調査』と『日本語基本動詞用法辞典』の中の 218 個の自動詞について考
察、分析し、その中の 52 個の自動詞が受身文に使えることを指摘した。本論で題材にしたのは、日本の少納言現代日本語書き言葉均衡コーパスと中国の北京大学中国語言語学中心の現代中国語コーパスである。そして、北京大学中国語言語学中心の現代中国語コーパスにおさめられた“被”に関する 2000 センテンスと日本の少納言現代日本語書き言葉均衡コーパスにおさめられた「れる」、「られる」に関する 2000 センテを選び、例文を求める場合では、またこの二つのこーバスから例文を収集する。それに、今の収集の結果、日本語にも中国語にも自動詞受身文型の使い方が存在することが明らかにわかる。
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