从中日寺庙的对比来看审美观的不同毕业论文_日语毕业论文

从中日寺庙的对比来看审美观的不同毕业论文

2021-04-02更新

摘 要

一谈到中日审美方面的问题, 脑中经常浮现的是中日庭院建筑上的不同,而由此着手研究中日审美差异的人有很多。研究佛教差异的学者也有很多,但是从佛教建筑上来探究中日审美差异的文章并不普遍。由此希望能够通过佛寺这一中日共存的悠久建筑来探索审美的不同。

本文旨在通过分析中日两国佛教寺庙建筑的特点来探讨两国审美的差异。中日两国由于各自历史文化的不同,使得各自的佛寺建筑具有了独特的外观。很多细节之处都有着微妙的差异。因此,本文从两国佛寺建筑的外观入手,进行比较研究。并从中探讨反应在寺庙建筑上的中日审美差异。

关键词: 中日寺庙的发展; 中日寺庙的比较; 审美的差异

目 次

はじめに 1

  1. 中日における寺の発展 2
    1. 中国の寺の発展 2
    2. 日本の寺の発展 3
  2. 中日における寺の比較 4
    1. 寺の様式から見る 4
    2. 建築技術から見る 5
    3. 寺の場所から見る 6
    4. 寺のサイズから見る 7
    5. 寺の色彩から見る 8
    6. 寺の環境から見る 8
  3. 中日の寺から見た美意識の相違 9
    1. 小さいと大きい 9
    2. 素朴と鮮明 9
    3. 静かと賑やか 10
    4. 不完全と円満 11

終わりに 12

参考文献 13

謝辞 14

はじめに

中日仏教の思想から相違を研究する学者は多い。でも、この思想の相違は中日美意識の相違を引き起こした。本稿は中国と日本の寺を例として中国と日本の美意識はどう違うか研究する。ご周知のように日本の文化や民俗などが中国から大きい影響を受け続けた。でも、中国と日本はそれぞれ独特な特質がある。そして日本の仏教と寺が中国から輸入されたものである。我々は日本文化を考察する時、日本中世文化の内包は、ほとんど中国禅宗の移入に伴って自然に輸入された中国宋元文化の影響が窺われる。でも、美意識から見て、違うところも多い。本稿は中日代表的な寺の相違を分析して中日美意識の相違を研究する。

本稿ではまず中日仏教の建築の発展を説明し、それから寺の様式、建築技術、場所、サイズ、色彩、環境との外観相違を分析して、美意識の相違を分析して、結論をまとめる。

1 中日における寺の発展

中国の寺の発展

お寺の建物は古代インドからの起源で、北魏の時代から中国で盛んになってきた。唐時代にピークに致し、その後、明清時代には大量な寺が建設された。たくさん王朝の更迭や戦争によって破壊されたり消えたりの宮殿より、寺の建物がたくさん保存してある。

記載された最初の寺は後漢永平十年の洛阳の白馬( ペクマ)寺であるが、それは客を接待する鴻盧寺を利用して改築したのである。そして、この寺は中庭がある住宅の特徴がある。三国を経て、南北朝時代に支配階級は仏教を提唱するので仏陀の寺が社会に一つ重要な建物になってきた。南北朝の後半まで、北魏と梁に仏教が盛んでいた。洛陽には寺が 1361 所あって、全国に寺が 13727 所あった。梁に寺がほぼ 500 所、全国に寺が 2846 所あった。隋唐とは、中国仏教の発展の重要な

時期である。仏教の建物は多いわけですが、分布するところも広く、寺は宗教のセンターから市民の活動センターになっていた。寺も市民の公共文化の一つになっていた。

明清の仏教は禅が盛んでいた。「宋元の禅家が「五山十刹」を提唱し、明には四大名山がそれを代わり、五台山(オデサン)が文殊の修行場で、普陀山は観音の所で、峨眉山は普賢の修行場で、九華山はお地蔵の修行場である。」1この四座山には寺が林立し、これも明清の仏教の建物のマークになっている。

これらの建築は中国封建社会の文化発展と宗教の盛衰を表わし、重要な歴史価値と芸術価値を持っている。それに対して、日本は、最初は朝鮮から、続いて中国から、仏教が伝わった。仏教も、儒教も国策としての導入して、国家の制度、技術、文物などにひどい影響を与えた。儒教にも、儒教建築や儒教指導者の持っていた知識技術はあったけれど、思想や考え方などが中心だった。一方、当時の仏教はもっぱら繁栄を目指す儀式などが多く、お守り、雨を願うなどの効果を期待していた日本側の希望にぴったりだった。

1 李寅生《论宋元时期的中日文化交流及相互影响》[M]巴蜀书社,2007,43 页.

    1. 日本寺の発展

中国の仏教の建物が日本に輸入される前に、日本建物の代表は日本の神社である。それが柱の下に土台を持つものと心御柱(しんのみはしら)を持つものと内部が 2 室に分かれるもの三つスタイルがある。「流造と春日造は柱の下に土台を持つものの代表である。神明造と大社造は心御柱を持つものである。住吉造と八幡造は内部が 2 室に分かれるものである。」2飛鳥時期に中国の建築が輸入された。

飛鳥時期に中国の建築が輸入された。飛鳥寺などが建築された。法隆寺もそのときに建築された。その時の日本は他の国とよく連絡したので他の国特に中国から先進的な文化と技術を勉強した。

それから奈良時代に寺のスタイルは唐の寺と比べて、同じところは多い。東大寺、西大寺、大安寺、興福寺などがそのときに建築された有名な寺である。でも、平安時代に日本は唐の建築文化を吸収して自分の文化を融合して自分独特なスタイルがだんだん形成してしまった。この時代表的な寺は東寺と当麻寺である。鎌倉時代の日本に宋元の禅宗建築が盛んでいた。鎌倉建長寺が建築されてしまった。

  1. 李红艳《从住宅浅析日本文化》[J] 品牌下半月, 2015-03-23,21 页.

2 中日における寺の比較

寺の様式から見る

中国寺の様式はインドから影響を受けたが、王朝を代表する寺院の様式は宮殿の様式と同じところは多い。中国の歴史はずいぶん長いので、寺の様式もいろいろある。しかし、日本に伝された寺院建築文化に限りがある。ここに日本寺院の様式と中国同じときに存在する寺院を比べて、その相違を分析する。日本寺の様式には和様式、禅宗様式、大仏様式という三つがある。

和様建築とは、鎌倉時代に中国から伝わった建築様式に対して、それまで日本で寺院建築に用いられてきた寺院建築の様式を指す。代表的な寺は室生寺五重塔、当麻寺本堂である。もともと寺院建築の様式は中国から伝わってきたものであるが、平安時代の国風文化の時代に日本人好みに洗練されていった。大寺院では規模の大きな仏堂もあるが、住宅風に柱を細く、天井を低めにした穏やかな空間の仏堂も造られた。これが中国と違うところである。鎌倉時代に中国から新たな様式が伝わってくると、従来の様式との違いが意識されるようになり、やがて和様という言葉が生まれた。「中世においては、禅宗寺院では禅宗様、密教寺院には和様と宗派と建築様式の区分もあったが、近世に入ると様式の折衷化が進み、密教寺院に一部禅宗様の要素が取り入れられることもあった。」3

次は禅宗様、これは日本の伝統的な寺院建築の様式の一つである。飛鳥・天平時代に中国から伝えられた建築様式は、平安時代に日本化し、柱を細く、天井を低めにした穏やかな空間が好まれるようになった。平安時代以降、日本化した建築様式を和様と呼ぶ。平安時代後期になると、平清盛の大輪田泊対外開港など宋との貿易が活発になったことで、再び中国の建築様式が伝えられた。まず入ってきたのは東大寺再興の際に用いられた様式で、大仏様と呼ぶ。その後、禅僧が活発に往来し、中国の寺院建築様式が伝えられた。これは禅宗寺院の仏堂に多く用いられ、禅宗様と呼ぶ。他のこのスタイルの寺は善福院釈迦堂安楽寺八角三重塔、 正福寺地蔵堂清白寺仏殿、円覚寺舎利殿、不動院本堂などである。

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