从16世纪以来外来语使用的变化毕业论文

 2021-04-02 10:04

摘 要

本文希望通过研究日语中16世纪以来外来语的相关变化,来了解自16世纪以来日本对西方文化的相关态度的变化。对此,本文采用了归纳的方法,从什么是日语外来语,日语外来语的使用变化以及日本民众对日语外来语使用的再认识这三个方面,着重就日本人对外来语的态度变化进行研究。

本论文阐述了随着日本社会和世界的发展,日语中的外来语也在不断地发展与变化着的,论证了因为日语中的外来语在某种程度上象征了日本这一民族对外来文化的吸收和态度,所以这些16世纪以来的外来语的发展与变化也同样表明了,日本对外来文化,尤其是对西方文化的态度也是不断地发展与变化着的。因此,通过研究16世纪以来的外来语的这些变化和发展,我们就不难得出这样的一个结论:在对西洋文化这么一个方面,日本这一民族已经从过去的狂热着迷崇拜的状态慢慢地转变为了对其的不断批判、反省与对自己传统文化、特色文化的不断保护与重视的状态中。

关键字:外来语;16世纪以来;变化;西洋文化;态度

目  次

はじめに 1

1 「外来語」について 2

1.1 「外来語」の定義 2

1.2 「外来語」の歴史 2

1.3 「外来語」の表現方式 3

2 「外来語」の使用の変化 6

2.1 「外来語」の語源国の変化 6

2.2 日本語における「外来語」の比率の変化 6

2.3 「外来語」輸入する時の変化 7

3 日本人の「外来語」の使用に対する再認識 10

3.1 民衆の再認識 10

3.2 専門家の再認識 10

3.3 権威機関の再認識 11

終わりに 13

参考文献 14

謝  辞 15

はじめに

四年間の日本語の勉強の中で、私にとって、一番悩んでいるのは外来語(特に16世紀以来の外来語)の勉強である。実際にいうと、今の日本社会では、外来語はあらゆる分野に根強く存在している。しかも、その形勢はだんだん強くなっている。外来語の起源や使い方などを詳しく知るために、筆者はいろいろな資料を調べてみた。

もちろん、外来語は日本語の本来な物ではなく、歴史の物あるいは日本人が外国から外国文化を勉強した結果である。しかし、資料を調べているうちに、日本社会と世界の発展に従って外来語も変化し続けてきたことに気がついた。その変化は今でも続いている。その他、今、外来語変化した現状に対して、日本人及び日本社会は昔と違って、むしろ外来語の「氾濫」に対する心配な気持ちも現れてきた。このことは、すでに多くの学者の研究によって明らかにされていた。

外来語に対する態度の変化も、言葉だけでなく、西洋文化に対する態度の変化を表しているものであるから、外来語を研究することは、自分の日本語勉強に大きな役割を果たせるほかに、日本人が西洋文化と自分の固有文化をどうみているかを調べ、中日の文化的交流を促進することができる。また急速な近代化と国際化の過程にあるわれわれ中国人にとっても、なかなか参考する価値があると思う。

16世紀以来外来語の使用の変化から日本が西洋文化について態度の変化という問題を研究するために、本稿は帰納という方法で、まず外来語の歴史と表現方法を調べ、それから外来語の語源国の変化、日本語における比率の変化とそれを輸入されるときの変化という三つの視点から外来語の使用がどう変わっていくかを分析する。最後に、日本人の外来語に態度の変化について説明しようと考えている。

1 「外来語」について

1.1 「外来語」の定義

日本語の中に、外来語はいったい何の言語であるか。有名な辞典は私たちに以下のように説明する。

「他の言語から借用して、自国語と同様に使用するようになった語。借用語。日本語では広義には漢語を含まれるが、狭義には主として欧米諸国から入ってきた語を言う。現在では一般に片仮名で表記される。」『小学館 大辞泉』[1]

「主として室町時代以降、漢字文化圏以外の国から入ってきた語を言う。」『小学館 日本国語大辞典』[2]

「もと外国語だったものが、国語の中に取り入れられたことば、おもに明治以降、欧米から直接伝わったことばに言う。ふつうカタカナで書く。」『三省堂 国語大辞典』[3]

「主に比較的に新しい西欧語源のものについて言い、漢語や古く入った朝鮮語などには言わない」『講談社 国語辞典』

「わが国には古く伝来した漢語は外来語と呼ばない」『集英社 国語辞典』[4]

以上の有名な辞典の説明から、私たちは外来語が古く伝来した漢語や古く入った朝鮮語などを含まないと知る。つまり、外来語は主にポルトガル、スペイン、イギリス、ドイツ、イタリアなどという外国から入ってきた言語である。それに、外来語は以下の特徴をもっている:⑴外国語を借用することである、⑵古く伝来した漢語や古く入った朝鮮語などの以外の外来語である、⑶片仮名で表記されることである。[5]

1.2 「外来語」の歴史

外来語としてのポルトガル語は一番早く日本へ伝来された。時間は室町時代﹙1336-1573﹚の末から江戸時代(1603-1868)の初めまでという百年間である。日本享禄三年﹙1530﹚から、日本とポルトガルの貿易や文化の交流にしたがって、一部分のポルトガル語は訳されて、最初の外来語として出て来た。ここで、私はいくつかの例をあげできる。パン、ボタン、タバコなどはポルトガルよりの外来語である。

ポルトガルの後、スペインも日本天文十二年(1543)に日本にやって来た。そのために、新しい外来語は一つ一つに現れた。タンゴ、ビールなどというの外来語はこの歴史にとって、素晴らしい証拠である。

日本慶長五年にオランダは初めに日本に到着して来た。慶長十四年(1609)から、日本とオランダの貿易は始まった。貿易のおかげで、オランダの医学、化学等先進な科学知識は絶たなくて日本に入った。その時期、「蘭学」は盛り上がっていた。そのため、レンズ、コーヒー、ゴムなどというオランダからの外来語はたくさん出て来た。

文化五年(1808)、イギリスは再び日本とつきあってはじまった。その時、英語で書いた本も日本に出版できた。明治維新の時に,特に明治の末から大正の初めまでという時期と大正の末から昭和の前の十年までという時期に、「蘭学」のかわりに、「英学」は人気が盛り上がっていた。それで、その時期に英語からの外来語は非常に多く出現した。

ヨーロッパのフランス、ドイツ、イタリア、ロシアなど諸国が日本と外交関係を結び付けるから、それぞれの長所を体表する言葉はざまざまな交流に従って日本に入った。このところで、私はフランス語のズボン、ルージュ、ドイツ語のアレルギー、ザイン、イタリア語のアルト、フィール、ロシア語のソビエトということを例として説明できる。

1858年を過ぎてから、日本とアメリカの間の貿易は頻度が多くなって始まった。その他に、第二次世界大戦の後、アメリカの軍隊は日本に駐兵した。だから、アメリカ式の英語の外来語も随分に現れた。

1.3 「外来語」の表現方式

外来語の定義から、カタカナで書くのは外来語の一つの特徴である。それで、片仮名で書く外来語は新しい文字の表現式になった。実は、この特別な文字の表現式は仕組みにたくさん表現式がある。具体的には、直訳語、意訳語、同語源姉妹語、和製混種語、和製英式外来語という表現式があると言える。[6]

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