明治时期“和制汉语”的形成和发展毕业论文_日语毕业论文

明治时期“和制汉语”的形成和发展毕业论文

2021-04-02更新

摘 要

摘要:外来语是日语发展的一种形式,社会经济、思想、文化的进步都对语言产生了不可小觑的影响,而且与其他国家之间的交流也直接促成了外来语的产生和发展。由于文化的交融,日语和中文也有着不可分割的联系。

本文拟探讨日语里和制汉语的演变过程,希望在语言交流和翻译等方面作一点尝试。

关键词:和制汉语;兰学 ;语言的逆输入

はじめに

日本語を勉強する人は日本語には「外来語」が沢山あるのをよく知ている。私は日本語を勉強した後中国語にも外来語がたくさんあることにも気が付いた。例えば、「社会」「個人」「近代」「権利」「自由」など。それは大部分日本語から輸入したのもので、「和製漢語」と言われる。中日両国の文化は昔からお互いに影響をしている。日本は漢語を手本として自分の文字を創造した。百年の発展を経て、日本人の創造した新しい漢字をまた中国に伝わっていて、また中国人の言語、思想、文化などに影響があたえた。「和製漢語」の勉強を通じて更に日本語を理解するだけではなく、漢語に対しての理解も深くなる。それに、教学や翻訳の仕事をする時、和製漢語についての知識があれば最も良い翻訳方法が見つけて、ことばの使い方が的を射ていることができる。それに、今後直接に言語の交流と吸収に役立つ。明治時期に出た和製漢語は今常用和製漢語に大きな部分を占めている。特に幕末以降、西欧由来の新概念などを表すために翻訳借用として盛んに造られるようになった。本稿は大量の先行研究を参考して、出来る限り自分の角度から明治時期の和製漢語を分析して、まとめる。近現代日本の「和製漢語」と中国の「外来詞」を分析して、中日文字の交流を探ってみる。

1 和製漢語の概念

字面から見ると、「和製漢語」は日本製造した漢字のようである。日本「漢字百科大事典」[1]に「和製漢語」は「漢語の日本語化として、日本で生まれた漢語(字音語ともいう)を和製漢語とも言い、本来の漢語(中国語)にない漢語である。和製熟語ともいう」というものである。だから、「和製漢語」は必ず二つの条件を満たしなければならない。一つは「漢字」で、もう一つは「日本製造」である。

1.1 和製漢語の分類と統計

  • 佐藤喜代治の「漢字百科大事典」の中に「和製漢語一覧表」があって、奈良から大正までの和製漢語併せて1156個を収集する。これらはまた江戸時代以前に出たものと明治時代以後に出たものを分けられる。古代の部分が佐藤武義に編集られて、637個。近代の部分が飛田良文に編集られて、519個。それは完全収録ではないと編者が認めた。
  • 1984年高明凯、刘正琰などは「漢語外来詞詞典」を出版した。その中に日本からの言葉が889個ある。
  • 1978年出版した「現代漢語詞典」に和製漢語が768個収載する。

1.2 相関先行研究整理

漢語を分類する先行者と言えば山田孝雄は勿論名高い学者である。彼は「国語における漢語の研究」の中に漢語の來源を四つに分ける:(1)、直接的或いは間接的に付き合いを通じて輸入したもの;(2)、漢学を借りて入ったもの;(3)、漢学仏教語書籍を通じて輸入したもの;(4)、洋学を翻訳するために創造したもの。Ⅰ中国が洋学を勉強するために翻訳した本に使われた漢語だが、日本そのまま踏襲したもの;Ⅱ日本は洋学を勉強するために創造したもの。そう見れば、和製漢語の大部分は(4)に存在する。学術界内の研究者の数年の研究によって、山田孝雄の分類方法は合理的だと思われる。

そのほか、国内に和製漢語を研究する学者もたくさんいる。彼らは和製漢語にもいろいろ分析をした。朱京偉は「和製漢語の構造分析と意味分析」にそう書いた:日本人によって作られた語彙——「和製漢語」は二つ種類に分けれる。まずは、江戸末期前「和文」、「変体漢文」出自の語彙。次は、江戸中期後の洋学を紹介、翻訳する語彙を含む。即ち:前者は伝統的な国学領域で生成した非翻訳語で、後者は洋学領域で生成した翻訳語である。[2]

陳力衛在「和製漢語の形成とその展開」の中そう指した:「和製漢語」の構成はせめて四つの条件を満たすべきだ。「漢籍に出典のない語」、「漢語の構成を元にする」、「漢字の字音で表記される」と「日本で創造する」。実はまた「訓から音へ」「訳語」「和文構造」「軸字の和化」「省略」「当て字」「漢文構造」「接辞による派生」といった造語パターンから分類を行っている。[3]

本論は明治時代の和製漢語に注目する。前の先行研究によって、明治時代に洋学を研究するため和製漢語が大量に出た。

  1. 明治時期の和製漢語的形成

明治時代は日本文化の新しい転換点である。西洋文化が殺到したので、新しい物や概念が次々と現れてきた。新しい社会の発展と変化に伴ってある時期に日本文字が足りないまでになった。夏目漱石は日記でこのような話を残した、「lawハnatureノworldニ於ル 如クhuman worldヲgovernシテ居ル」。それらの英語にふさわしい日本語はなかった。だから異文化と融合するを目指して、日本人は自分のことばを充実しなければならないと思ってきた。今はこの話はこういうふうに理解できる、「法律ハ自然ノ世界ニ於ル 如ク人类世界ヲ统治シテ居ル」。その中に「法律」みたいの言葉は全部「和製漢語」だ。日本人にとって、言語を創造するのは初めてのことではない、蘭学運動の基礎があって日本人は西方の文明への道を探し出して英学に転換した。

2.1 形成の歴史

2.1.1 蘭学の基礎

18世紀末葉から19世紀中葉まで、日本人はオランダ語を媒介として西方近代の科学を吸収した。蘭学運動の中に蘭学者達がオランダ語の本が日本語に翻訳した。主には医学、天文や軍事などの方面で、専門語が多いが、翻訳も難しかった。蘭学者達は実践をしている時、「狭義」「直訳」「意訳」三つの翻訳方法を提出した。狭義の翻訳方法は漢字の中に本文の意味と相応しい言葉を捜して使う。直訳は音訳ということだ。漢字は意味を表す言葉だと言われるから、意訳の方法はその漢字の特性を利用して新しい言葉を創造する。当時、意訳は広範囲に採用された。蘭学の内容は大部分専門語であるので、翻訳をする時原文の表現方法に制約された。だから、原文の文法単位のそのものを翻訳して組み合わせる場合が多い。たとえば:Melk(乳) tanden(歯)=乳歯;Kraak(軟) been(骨)=軟骨;Noord(北) ster(星)=北極星。それに、今の外来語も蘭学のおかげで、たとえばガラス(glas)、コップ(cop)、ビール(bier)など直訳されたものだ。[4]蘭学が和製漢語の発展を促進していた。

2.1.2 和製漢語のブーム

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