论中日隐逸思想的异同——以白居易的《白氏文集》和鸭长明的《方丈记》为中心毕业论文

 2021-04-03 11:04

摘 要

中文摘要

隐逸文化是中日文学史上的重要组成部分。中国的隐逸思想古已有之,随着时代的变迁而不断演变,从布衣终身或辞官隐居的“真隐”到身在朝堂心在山林的“心隐”不断发展。而白居易更是“心隐”的典型代表,他在“心隐”中探索出一条“中隐”之路,对后世吏隐之道有重大的影响。同时,日本文人对于白居易及《白氏文集》也是相当推崇。在日本隐逸文学史上久负盛名的《方丈记》, 受到了庆滋保胤的《池亭记》的重大影响,而白居易与《池亭记》的渊源早已被前人学者所指出。

日本隐逸思想来源于中国,但在日本生根发芽,与日本传统文化相融合,形成了具有日本特色的文化内容。日本特殊的地理环境与社会背景使得其隐逸思想从“无常观”出发,其中不乏对现实生活的不满与逃避。但在中国,尤其是唐朝中后期的隐逸思想很少有彻底的“遁世”,更加青睐“心隐”,将隐逸思想作为世人心灵的一种自我调节机制。

本文采用比较研究法及文献资料法,通过白居易的《白氏文集》展现中国文人的隐逸思想不仅仅是对现实生活的逃避,而是“穷则独善其身,达则兼济天下” 人生态度。并且通过鸭长明的《方丈记》展现以“无常观”为特点的日本隐逸思想,探讨中日文人隐逸思想的异同。

关键词:隐逸;白居易;心隐;鸭长明;无常观

目次

はじめに 1

  1. 白居易の隠逸思想 2
    1. 白居易の生平 2
    2. 「白氏文集」の内容概要 2
    3. 「白氏文集」における隠逸思想について 3
  2. 鴨長明の隠逸思想 5
    1. 鴨長明の生平 5
    2. 「方丈記」の内容概要 5
    3. 「方丈記」における隠逸思想について 7
  3. 中日隠逸思想の比較 8
    1. 相同点 8
    2. 相違点 8

おわりに 10

注 釈 11

参考文献 12

謝 辞 13

はじめに

隠逸文化は、シンプルで素朴な生活や心の平和を目指す、認めを求めずに「隠」し、自分で楽しむことを「逸」とする。これは世俗の文化にとってのものである.世俗の文化は功名利禄と栄華を追求することを目標としている。どちらも過度に非難すべきほどでもない。個人的な好みが違うだけである。「隠逸文化」の表現は多岐にわたっており、最も直接的な表現はこの隠遁山林であり、それ自体が特殊な文化現象である。このような現象は昔からあったが、「隠逸文化」として魏晋から生まれ、それはこの時期と後の世俗文化に大きな影響を与えた。

白居易と鴨長明は文学の大家として、中日文壇で重要な地位を持っている。特に、両者は隠逸文学において非凡な業績を持っている。国籍は違っても、数百年の歳月を隔ていたが、切っても切れない関係があった。多くの中国人の心の中で、唐代の詩人は李白と杜甫を推す。しかし日本では、白居易の地位は「李杜」よりはるかに高く、代表作「白氏文集」も日本で広く知られている。日本人も「李杜」の詩を鑑賞しているが、日本古代から現代までの翻訳作品や関連研究の数を見ると、白居易は「李杜」の合計を上回っている。鴨長明の代表作

「方丈記」は、日本の隠逸文学史上随一の作品として、白居易とは不可分の関係がある。慶滋保胤の『池亭記』は『方丈記』に重要な影響を与えた先行作品として、その思想内容が『方丈記』で継承と発展してきたことが研究者から重視されてきた。一方、『池亭記』は思想的にも内容的にも、白居易の影響の跡が明らかになった。三者の間に深い繋がりがあるのは既に広く認められていることである。

1 白居易の隠逸思想

白居易の生平

白居易の字は楽天で、号は香山居士である。彼は中唐時代に有名な詩人であった。白居易は「世敦儒業」の中小官僚の家庭に生まれ、幼い時に戦乱で流浪し、少年時代は一生懸命に読書し、その後高校に進士して、彼の官吏としての生涯を始めた。元和四年(809 年)、白居易と元微之、李紳らは「新楽府運動」を提唱した。在官中,彼は近臣を恐れず,直言して議事を上申した。元和六年、白居易の母は長安で病死した。彼は当時の規則に従って、郷に帰って三年間服喪した。満期になった後、左讃善大夫を務めた。元和十年、白居易は宰相武元衡を刺殺する犯人を厳しく処罰することを主張しため、江州の司馬を貶められた。それ以来、彼の「心隠」への道が始まった。白居易は廬山の香炉峰に草堂を建て、思想も「兼済」から「独善」へと変化した。彼の作品にはのんびりと感傷的な詩が増えてきた。晩年の白居易は、「安泰」な生活で「貧乏なら一人で善きる」という人生哲学に反応することが多かったが、彼は自分の人生理想を完全に捨てなかった。会昌四年(84 年)、73 歳の白居易が出資して龍門八節の石灘を切り開いた。後になって「開竜門八節石灘詩二首並序」という詩を作って、詩の中にその「兼済天下」の人生観を反映した。会昌六年、白居易は洛陽で亡くなり、享年は七十五歳であった。

「白氏文集」の内容概要

『白氏文集』の別名は『白氏長慶集』で、唐代の詩人白居易作品の集名である。本書はもともと唐穆宗長慶年間に編集出版されたので、『白氏長慶集』といい、その後『白氏文集』と改名された。元は七十五巻で、現存七十一巻で、その中の詩は三十七巻で、風喩、閑適、感傷、雑律など、文三十四巻に分けられた。

風喩詩とは、政治や社会の現状を風刺し、人々を戒める詩のことである。白居易は『与元九書』の中で『白氏文集』の風喩詩について説明した。「自拾遗来,

凡所遇所感,关于美刺兴比者;又自武德至元和,因事立题,题为 新乐府’者, 共一百五十首,谓之 「讽喻诗」」1。

閑適詩とは、心の安らぎ時の静かな境界を表す詩のことである。白居易の解釈は、「又或退公独处,或移动病闲居,知足保和,吟玩性情者一百首,谓之「闲适诗」」2。

感傷詩とは、人の世の悲喜と離合を描いた詩のことである。内容は家族、知己と恋人を懐かしむことと四季の風景を見ながら詠む詩などが含まれている。白居易が『与元九書』に書いているのは、「又有事物牵于外,情理动于内,随感遇而形于叹咏者一百首,谓之「感伤诗」。」3と説明している。

雑律詩とは,様々な詩体を指す律詩である。形式的な美しさを重視する詩体であるため、白居易自身はそれを軽視している。しかし、それでも、雑律詩の数はすべての作品の中で第一位をなっている。彼は詩人たちが大胆に試してみない排律を駆使して、百句、二百句の長編傑作を完成させ、その方面の驚異的な才能を表現した。その上、題材は非常に広範で、閑適、感傷、贈答叙景などを含み、その中には詠むべきよい詩がある。しかし、彼のような作品の多くは、自分の政治的な苦悩を含んでいるので、この点に細心の注意を払ってこそ、彼

の詩の深い意味を理解することができる。

「白氏文集」における隠逸思想について

『白氏文集』は白居易の作品集名で、その作の詩文 3800 余編を収録している。その中で『中隠』は白居易の隠逸思想を最もはっきりと表している。「大隐住朝市,小隐入丘樊。丘樊太冷落,朝市太嚣喧。不如作中隐,隐在留司官……人生处一世,其道难两全。贱即苦冻馁,贵则多忧患。唯此中隐士,致身吉且安。穷通与丰约,正在四者间。」4白居易は「中隠」を推すことができ、中隠は閑散の

官職を担当することを隠居方式として、大隠と小隠の間に一つの折中の道を見つけることができる。飢えと寒さの患うことを免れ、また朝堂の紛争を避けることができて、暇な時に山水に身を寄せることができる。白居易の若い時の志は済天下にあり、兼済の志が挫折した後、彼は独善の義に戻ることを選択した。しかし彼はよく官吏と隠世の関係をバランスして、最終的に両者の間の矛盾を調和した。彼が言ったように、「古人云:“穷则独善其身,达则兼济天下。”仆虽不肖,常师此语。大丈夫所守者道,所待者时。时之来也,为云龙,为风鹏, 勃然突然,陈力以出;时之不来也,为雾豹,为冥鸿,寂兮寥兮,奉身而退。进退出处,何往而不自得哉!故仆志在兼济,行在独善,奉而始终之则为道,言而发明之则为诗。」5

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