中日两国茶文化渊源及异同比较毕业论文_日语毕业论文

中日两国茶文化渊源及异同比较毕业论文

2021-04-03更新

摘 要

中国是茶的故乡,自神农时期,汉族人就开始饮茶,因此中国有着几千年的饮茶史,而中国的茶文化也在几千年的文化中孕育而生,成为中华文化的代表之一。日本是一个善于吸收他国文化的国家,日本也是最早引入中国茶文化的国家,它是由日本僧人传入日本的,饮茶习惯逐渐在日本风靡起来,并形成了具有日本特色的“茶道”文化。中日两国的茶文化一脉相承,既有异曲同工之处又各有不同,本文以中日茶文化为研究对象,重点研究中日两国茶文化的起源及发展史,并从它们其形成的过程,发展的演变,背景文化等方面对比分析中日茶文化的异同,“茶文化”是表达两国民族文化的载体之一,茶文化也体现出两国民族文化的精髓所在,从而以便于我们更好的加深对日本这个民族的了解,也能考证日本对属于外来文化的“茶文化”的吸收与消化能力。本文以中日茶文化为研究对象,着重论述中日茶文化的异同之处,并从形成背景、文化、过程、规范仪式等方面对比分析中日茶文化的差异。

关键词:中国;日本;茶文化;外在形式;内在思想;异同点

目  次

はじめに 3

1、 「茶文化」について 1

1.1 茶の起源 1

1.2 中国茶について 1

1.3日本茶について 2

2、 中日茶文化の比較研究 3

2.1 中国の茶文化 3

2.2 日本の「茶道」精神 4

2.3 中日茶文化の比較研究 5

3、 日本茶道が中国文化に対する吸収 6

3.1 中日茶道の精神 6

3.2 日本茶道文化の吸収と融合 8

3.3 茶文化が社会発展に対する影響 9

おわりに 10

参考文献 11

謝  辞 12

はじめに

 古代から、一衣帯水の隣国である日本は中国と頻繁に文化交流を行ってきた。そして、中国の伝統文化は日本文化の発展に深い影響を与えた。唐の時代、中国の茶と茶文化が共に日本に伝来し、日本の茶道思想の基礎を定めた。紀元780年陸羽により書かれた『茶経』は世界初の茶学専門著作である。日本は最も早く中国の茶文化を導入した国家の一つである。そして、日本において、茶文化が日々成熟し、独特な茶道思想が形成された。中日両国の茶文化の共通点は中国茶文化が日本茶文化に与えた深い影響を表した。だが、両国は文化背景が違うため、茶文化について異なるところも沢山存在する。両者を深く比較研究することは両国の茶文化の継続的な発展に重要な意味があると考えられる。

  1. 「茶文化」について

 1.1 茶の起源

 現在、全世界において、160個以上の国家と地域の中の30億人が茶を飲むのが習慣になっている中国は茶葉の最も大きい産地であるが、お茶を飲むランキングにおいて、中国は一番ではない。Quartzネットサイトの統計により、全世界において、一人当たりの茶葉消費量が最も多い国はトルコということが分かった。トルコ人はお茶を飲むのが好きなだけではなく、茶文化をかなり崇拝する。トルコ人の年間一人当たりの茶葉消費量は約7ポンド(約3.2キロ)である。トルコの次はアイルランド、イギリス、ロシア、モロッコ、ニュージーランド、エジプト、ポーランド、日本(9)、サウジアラア、南アフリカ、オランダ、オーストラリア、チリ、アラブ首長国連邦、ドイツ、中国香港、ウクライナ、中国である。中国は19位である。それゆえ、中国が茶の発祥地にも関わらず(近年、いよいよ認められた)、茶を飲むことは中国人の特許ではない。現在、全世界では、茶の木を植えて、茶葉を生産する国家と地域は50か所を超える。そして、生産量から言えば、一位は中国ではなく、インドである。[1]1980年7月、科学研究者は貴州晴隆県碧痕鎮新庄雲頭大山で茶種化石を発見した。中国科学院地化所及び中国科学院南京地質古生物研究所の鑑定により、四粒の茶種の化石と判明した。それは最も古い茶の木の証拠である。『華陽国誌』の記載により、紀元前一千年、周武王が紂王を討伐した時、巴蜀地区はすでに茶葉を珍品として献上したということが分かる。それは茶が献上品として最も早い記述である。また、「武王伐紂、巴人献茶」ということわざもある。

1.2 中国茶について

 茶の発見と運用は最初は薬物に関わった。「神農嘗百草、日遇七十二毒、得茶而解之。」晋の張華の『博物誌』にも「飲真茶、令人少眠。」という記載がある。唐の[2]陸羽(728-804)は『茶経』において、「茶之為飲、発乎神農氏、聞于周魯公。」と述べた。神農時代(約紀元前2737年)、中国人はすでに茶の木の新鮮な葉には解毒効果があると発見した。これが茶の医療効果の起源であり、中国人はせめて四千年以上前から茶葉を運用し始めたということを説明できる。茶の木は元々我が国の西南地区で栽培された。我が国は世界で最も早く茶木を発見し活用した国である。中国は茶の発祥地として、「茶の祖国」と呼ばれる。東漢末期、三国時代の医学学者華佗は『食論』において、「苦茶久食、益意思」の観点を提起した。それは茶葉の薬用効果に関する初の記述である。東漢時期、仏教の伝来に伴い、茶と禅が関わりを持つようになり、「茶禅」が現れた。文人が高く評価したため、茶を飲む人が増える一方であった。貴族だけではなく、一般庶民も茶を飲むようになった。それゆえ、茶を植える人が増えて、茶を植える地域も浙江、江南などの地域まで広げられた。その時、茶を接客の為に使う人が多かった。それが茶を飲む習慣が芽生える時期であった。後程、仏教が盛んになり、仏教信者はお茶により元気を保つため、寺の近くの谷に茶の木を植えるようになった。隋に入り、茶を飲む習慣が普及された。隋文帝が病気にかかり、一般人に出会えて、茶を沸かして飲めば治ると言われた。そのままやってみて、効果があった。それゆえ、人々は真似し始めた。そして、茶も段々薬草から社交的な飲み物になった。だが、やはり上層部の人々に限られた。唐に至り、茶は飲み物として普及され、社会の上層部から下層部まで広げられた。唐の科挙において、受験者の疲労を解消するために、茶の湯を現場に持って入った。その時の茶は「麒麟草」と呼ばれた。それゆえ、茶を飲む習慣は文人の中で広げられた。以降、茶は正式的に大衆の飲み物として、民間で普及された。紀元8世紀以降、陸羽[3]の『茶経』が作成された。唐順宗永貞元年(紀元805年)、日本僧侶の最澄は中国から茶の種と茶の木を持って帰った。それは茶葉が日本に伝来した最も早い記載である。

 1.3日本茶について

日本人が茶を飲み始めたのは紀元700年前後であった。聖武天皇時代に「初茶」が現れた。紀元800年前後の嵯峨天皇時代に、唐から帰朝した永忠が天皇に滋賀里の梵釈寺で茶を献じたという記載がある。(『日本神道秘密記』)桓武天皇(781-806)時代、伝道師最澄が唐から帰国し(805年、日本桓武天皇延歴24年)、初めて茶葉と茶種を持ち帰り、茶事を日本に紹介した。栄西禅師は禅宗を勉強するために、二度も中国に訪れた。そして、日本禅宗の祖先とされる彼は茶を日本に持ち帰り、中国茶文化の理念が入った禅宗思想を日本に持ち帰った。彼自身は後程日本で形成された「茶道」について大した貢献を残さなかったが、「先駆」としての地位を無視してはいけない。具体的に言うと、禅宗思想の普及に連れて、円爾禅師は日本で宋の「闘茶」を普及し、日本の僧侶の南浦昭明が径山寺で径山茶宴、闘茶などの習慣を身につけた。これは日本「茶道」の起源である。それゆえ、栄西を茶道の祖先と評価しても過言ではない。だが、当時の茶道は後程の「茶道」と大きく違っている。

  1. 中日茶文化の比較研究

 2.1 中国の茶文化

 中国の茶文化は中華民族の国粋であり、歴史が長くて、意味深い。茶文化は絶えず発展してきた中、儒、道、仏教の優秀な思想を吸収し、三宗教の文化精髄を代表するようになった。茶文化は中華民族の伝統的な礼儀、道徳と情操を表す。
 茶文化はまず儒教の「中庸調和」の思想観念を吸収した。儒教に高く評価される中庸思想は儒教の最も重要な道徳標準である。また、中庸思想において、儒教は「和」[4]の思想を提起した。つまり、「和」が「中」を含み、「中を持って」「和」を実現できる。人と自然の関係について、儒教は自然との親しみ、自然に対する保護を提唱する。他人との関係について、思うままに行動するのではなく、欲望を抑えるよう提唱する。人と人、人と社会の関係について、「礼之用、和為貴」を提唱する。儒教の門人たちに深く信仰される中和思想は茶道精神に影響を与えた。陸羽により提起された五行調和に役立つ中道の和も、裴汶が提出した其功致和も、宋徽宗が提起した致清導和も、儒教の中和精神を中国茶道の精神にした。儒教から見れば、和は中であり、和は度であり、和は宜であり、和は当である。和はちょうどいい具合であり、過度にならないし、劣ることもない。儒教は茶で人間関係の調和を求め、愛し合い、尊敬し合い、助け合う大同思想を実現し、茶の清廉で高潔な精神で己の意志を磨き、茶で礼仁を促進し、茶で敬意を表し、茶で清廉潔白の雰囲気を醸成すると提唱する。中国茶文化が「和」を最高の境地にし、茶人が儒教の中の中和哲学に対する理解を表した。茶文化はまた道教の「天人合一」思想を吸収した。道教から見れば、人と自然は繋がる全体であり、万物は陰と陽の調和を踏まえた上で現われ、発展し、変化することにより安定した状態に至る。人として自然に順応し、大道に合わせて、自然との調和を実現してから、初めて心身の自由を手に入れる。「和」は道教哲学の重要な思想である。道教は人と自然との調和を強調し、「天人合一」の哲学テーマを明確に提出した。陸羽は『茶経』を作成し、茶道を確立した時に、道教思想の精華を吸収し、天人合一の理念を中国茶道の霊魂にした。茶は天地の霊気が生み出した自然の物であり、人と宇宙の精霊である。茶の品格は道教の淡泊、静寂、帰真反璞の趣を表す。茶の品格の中の清純、淡雅、素朴さは人間性の静、清、虚、淡と一緒に茶道の中で高度に統一できた。道教は茶葉の生理効果に気付く時、茶葉の平和の特性及び「致和」「導和」機能、天人合一思想の担体としての可能性に意識し、道教の道と茶道の道を融合させた。同時に、道教の「和」と「儒教」の「和」には共通するところがあり、補充し合うことができる。それゆえ、道教の「和」は儒教の「中和」という思想に入り、共に中国茶道の思想を豊富にした。茶文化はまた仏教の「衆生救済」思想観念を吸収した。仏教は「衆生救済」精神を宗旨にし、茶の湯で人々の心の中の壁を破り、人々の疑問を解ける。人として、「清寂」の態度を学び、「和敬」精神を勉強し、心境を鍛えて、身を清めるべきである。「茶禅一味」は茶道精神と禅学の繋がりを表す。禅宗は自分自身の悟り、有イコール無、無イコール有を強調する。日常生活の中で修業し、心を広くすることを重視する。そして、茶は人々の乱れた心を落ち着けさせ、趣を持ちながらも過度に享受しない。仏教は坐禅を提唱する。茶を飲むことにより、元気を回復し、眠気覚ましになる。そして、心を清めて修業するのに役立ち、仏教の戒律に一致する。仏教思想は和の境地を求める。禅宗は万物に頼らなくて、求めなくて、捉われなくて、絶対的に静かな状態に陥り、直接に禅の境地に入り、思考に専念し、あっという間に悟って仏になると提唱する。茶の本性は素朴、淡さ、純粋さに関わり、仏教精神と一致するところがある。それゆえ、仏教に受け入れられる。仏教は茶葉生産と茶文化の発展を促進させるために大きく貢献したため、間違いなく中国茶道の精神内容に影響を与えた。中国茶道は雑念を捨てて、専念し、目の前のことに身を投げ、自己と現実の存在を忘れるよう提唱する。これらの茶道精神は仏教思想から由来する。

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