摘 要
中文摘要
日本人从古代开始就已经从临近的国家借用词汇,比如,幕府末期、明治初期。日本第一次接受的外来文字是汉字,受到隋唐朝的文化的影响,借汉字的几个偏旁或者汉字,日本创造了片假名和平假名文字,然而没有自己的文字。在室町时代前,日语几乎全部的外来语来自汉语。
后来随着日本与葡萄牙、西班牙、荷兰、英国、法国、德国等西方国家的不断交流与接触,外来语作为一种传递外国文明以及外国文化的词汇而涌入日本。在大正时期之后,外来语的发展开始兴盛。
外来语作为吸收外来文化的媒介,它与文化的吸收是并行的。因此,日语外来语不是一种偶然的语言现象,而是社会发展的一种文化现象,反映了语言与社会、文化的关系。本稿以日本的历史时间为顺序,通过研究日本的文化背景和现状,对日本人的内心
活动进行研究探讨,并以此展开外来语对当时社会影响的探讨。
关键词:日语中的外来语;历史;形成原因;社会影响
目 次
はじめに 1
先行研究 2
- 外来語の定義 4
- 日本は初めて外来語を受け入れる時間と原因 5
- 日本は初めて外来語を受け入れる時間 5
- 日本は初めて外来語を受け入れる原因 6
- 日本語の中にある外来語が現れてからの日本における発展 7
- 飛鳥時期に日本における外来語の発展 7
- 奈良時期に日本における外来語の発展 7
- 平安時期に日本における外来語の発展 8
- 室町時期と江戸時期に日本における外来語の発展 8
- 明治維新以降の日本における外来語の発展 9
- 第二次世界大戦以降の日本における外来語の発展 10
- 戦後から今までの日本における外来語の発展 10
- 外来語は日本社会にあたえた影響 11
- 積極的な影響 11
- 消極的な影響 12
終わりに 13
参考文献 14
謝辞 15
はじめに
日本語学習者は日本語を初めて学ぶ時、日本語教科書の中の単語表に外来語と注記した日本語単語がたくさんあり、しかも多くの外来語の発音は外国語と似ていると気づくだろう。そのため、日本語の中の外来語に対して、深く研究したいと思う。外来語は日本全体に非常に大きい影響があり、ある程度、日本人が外の世界に対する見方を変え、日本人の多くの心得を与えたと言える。日本は初めて受け入れる外来の文字は漢字である。日本人はどのような原因でそれを受け入れるのか、どのような環境の下で、どのような気持ちでそれを受け入れるのか、漢字は当時の日本社会にどのような影響を与えるのか、これらはすべて研究が必要である方面である。本稿の研究対象について、本稿は時間の順序に従って書いた。日本は初めて外来の文字を受け入れることから、近代の日本の外来語までの順序で書いた。時間の順序で書くと、関連な資料と文献を探しやすいからである。
先行研究
国外研究:
金田(2004)は、日本語の外来語は広義と狭義に 2 種類に分けることができると指摘した。広義の外来語は他の国との交流の中で、文化として日本に輸入した外国語語彙を吸収したもので、その中は中国の漢字の語彙を含む。狭義の外来語は欧米の言語から輸入した外来の語彙を指す。
国内研究:
申秀逸(2006)は出、日本は外来の先進文化と物事を吸収することが優れた国家であると主張する。明治維新の後、日本はより積極的に西方の先進的な科学技術と思想を学んで、大量の新しい物事、ニューコンセプトまでに接触する。日本語固有の語彙が不足しているため、適切な語彙が探し出せないでそのまま音訳したことが現れ、あるいは翻訳としても全くその意味やニュアンスが表現できなくて、どうしてももう一つの国家の言語を借りて表現しなければない。そのため大量の新しい物事や概念を伝達する外来語は次第に形成するようになってきて、人々に認めて用いられるようになった。
張麗穎(2002)は、外来語形成後の影響を論じた。(1)積極的な影響:外来語は日本国が絶えず外来の文化を吸収している過程で形成し発展したため、欧米の外来語を吸収すると同時に、西方の先進的な科学技術、思想などをも吸収した。一方、外来語は音訳する方法によってカタカナを使うために、発音は元の語に近くて、異なる言語に更なる直接な連絡を作ることによって、国際社会との頻繁な交流を促進するのに有益である。(2)消極的な影響:日本社会の各領域はあらゆる広範で外来語を用いて、場合によって一文に大半の語彙が外来語である場合も現れた。その文は日本語の固有の語彙を使っても表現できるのに、人々は流行を追及するためによく盲目的に外来語を選ぶことが、日本語の固有の語彙を片側まで投げる。日本語の固有語彙の一部が忘れられることを招いて、外来語に代わられる。
以上は日本語外来語に関する研究をまとめた。しかし、日本は初めて外来語つまり漢字を受ける時、どんなきっかけで、またどんな気持ちでそれを受けるのか、これらの研究はまだ言及していないので、本稿はその時の日本の社会と文化背景を前提にして、外来語を受け取る時の日本人の精神活動に対して研究
を行って、そしてその時の社会に与えた影響に対して探求を行うことにする。最後に近代の日本語外来語を検討してみる。
1 外来語の定義
外来語に関して、辞典と本により、説明が違う。外来語の定義は多くあるが、ここで 4 種類を挙げる。
「日本語外来語大辞典」
主に室町時代以降、漢字の文化圏以外の国家から日本に伝来されたという。
「日本語概説」
外来語は主に明治維新以降、欧米国から直接に日本に伝えられる、片仮名で書く言語のことをいう。
「大辞泉」
他の言語から借用する、日本語と同じように広く使われる言語のことをいう。日本語の中で広義の外来語は中国語も含むが、狭義の外来語は主に欧米諸国から日本に伝えられた言語で、よく片仮名で書かれる。
「広辞苑」
他の言語から借用する、日本語と同じように日常生活の中で使われる言語のことをいう。「ガラス」「ノート」「パン」などはその例である。広義からいうと、中国語も外来語だが、中国語以外の西欧の言語が一般的な言い方である。今ほとんど片仮名で書かれる伝来語である。
外来語というのは、実際に日本人は外国の言語の中から抽出して、現在益々多くの日本の若者に使われる言語だと考えられる
2 日本は初めて外来語を受け入れる時間と原因
日本は初めて外来語を受け入れる時間
日本が初めて外来の文字を受け入れるのは漢字である。日本の縄文時代に文字がなく、言語しかない。飛鳥時代と平安時代(西暦紀元 600 年の時)に、隋唐文化の影響を受け、漢字の偏旁あるいは漢字を借りて、日本はカタカナとひらがなの文字を作り出したが、自分の文字がない。室町時代の前に、日本語はほとんどの外来語昔から中国語から伝来されたものである。日本の漢字の読み方は音読みと訓読み二種類がある。音読みの発音と普通な中国語の読み方と似ているが、訓読みは日本人自身が作り出した読み方である。明治維新初期、日本が訳した外国の書籍も漢字で書かれた。
日本は初めて外来語を受け入れる原因
- 外国を尊重する民族の心理は外来語の形成を促進した。ずいぶん前からも、日本民族は向上心が強い民族であり、他の国の経験を学んで受け入れるのが得意で、中国漢朝の時、学士に中国で製紙業、漢字などを学ばせた。その上、奮起させた西方の先進的な文化の導入により、日本人は好奇心がいっそう駆り立てられ、多くの目新しい物事と本民族が追い付かない思想文化、文字を受け入れた。また、物事が新しければ新しいほど好ましいと日本人は考えられている。人々に上品で、新鮮な感じを与えることができるからである。特に日本の若者は外来語の使用が好きで、更に外来語を使うのは自分の個性をはっきりと示すことができると考え、そのうちに、言語の交流上で、いくつかの外来語を自ら創り出した。
- 日本語自体の特徴は外来語の伝来と形成に有利である。日本語をある程度知る人はすべて外来語は片仮名で表わされるものだと分かる。これは片仮名は表音文字で、着実な意味がないからである。日本人は外来語を受け入れる時、その中に含まれる意味などの要素をあまりにも考えることはなく、大体の発音によって片仮名の形式で表わすだけである。その表示の形式は以下のいくつかの種類がある。1、直接音訳 2、外来語と中国語の結合 3、英語と外来語の組み
合わせ 4、和語を基にした増減等。外来語の構成と使用の形式は柔軟で変化が多い。これは日本語自体の特徴により決められたからである。また、日本語は膠着語に属し、語気助詞、助動詞と接尾語の変化を利用して、多種の言語の成分の役をする。動詞、形容詞、形容動詞の接尾語と外来語を結び付けて新しい動詞、形容詞と形容動詞になる。日本語の名詞は英語に対して、性、数、格の変化がなく、音訳の外来語はほとんど名詞であるため、二つの名詞をうまく結びつけると、新しい名詞を生み出すことができ、単複数、名詞所有格のような文法性の要素を考える必要がない。こうして、外来語の伝来、形成と絶え間ない拡大を大いに促進した。
日本語の中にある外来語が現れてからの日本における発
展
日本人は幕府末期、明治初期などにずいぶん前からすでに隣国から言語を借用した。その後、日本はポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランス、ドイツなどの西側諸国と絶えず交流し接触するにつれて、外来語は外国の文明及び外国の文化を伝承する言語として、日本に乗り込んだ。大政時期以降、外来語の発展は勃興し始めた。
飛鳥時期に日本における外来語の発展
飛鳥時代は日本の歴史上で重要な文化、社会と政治の交流の時期であり、中国から伝来した仏教の影響を受けて、日本の社会構造は変化が起こった。7 世紀に公使、僧侶と留学生を含む政府の使節団体は六回に中国に派遣された。飛鳥時代の派遣された公使の最大の目的は中国の政治の体系を学ぶことである。これは古墳時代に倭五王は日本の国際における地位を強固するための公使の派遣と全く違うのである。また、彼らは中国当時の言語も持って帰って、中国言語の特徴を参考にして、本国の言語を改良した。
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